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運動が苦手な人は人生終盤で覚醒する

はじめに

自分は運動が苦手で、若い頃からスポーツを避けてきた。そんな自分でも45歳からジムとランニングで身体を動かすことを始め、その後トレランを楽しんだ。最近はトレランからスピードハイクに趣向が変わったが、ジムは現在でもライフスタイルとして続いている。

運動が得意な人と、自分のように運動が苦手な人の人生を、独自の考え方で比較してみた。


運動能力の変化

人生における運動能力の変化について、人生を序盤、中盤、終盤の3つに分け、運動が得意な人と運動が苦手な人を比較した。

運動能力の概念図(エビデンスなし)

序盤

人生のうちで最も運動能力が高い時期である。この時期にスポーツをすれば運動能力を大きく伸ばすことができる。

運動が得意な人は身体を使うことが好きなので、この時期にスポーツをして運動能力を大きく伸ばす。

一方、運動が苦手な人は身体を使うことにコンプレックスを持っているので、スポーツを避ける。そのため、運動能力は育成されない。

中盤

運動能力は加齢に伴い緩やかに低下していく。

運動が得意な人、その代表的な例としてプロスポーツ選手は運動能力の限界を感じてくる時期になり競技生活から引退する。引退すると数年で、運動能力は一般人レベルまで大きく落ちてしまう。
趣味でスポーツを続けていた一般の会社員は、会社で重要なポストになっていく。仕事が多忙となり趣味のスポーツから遠ざかっていく。徐々に体型は変わり、運動能力の低下を感じ出す。

一方、運動が苦手な人は、スポーツをしてこなかったので運動能力そのものが低いため、加齢に伴う運動能力の低下にはほとんど気付かない。

終盤

高齢なってくると健康を意識し出す。

運動が得意な人は、高齢になってからスポーツを再開しても人生序盤で達成した運動能力を越えることはできない。(上図の桃色枠を参照)年老いたことを実感し失望する。高齢になってからもスポーツを続けるには、その失望感に耐える必要がある。ただ、スポーツの再開を断念しても、人生序盤のスポーツでの輝かしい思い出に支えられ最期まで過ごせる。

一方、運動が苦手で運動能力が元々低い人でも、人生終盤になると運動能力が人生序盤より低くなったことを感じ始める。そして、人生で初めてウォーキング等の軽い運動を始めるようになる。そして、ランニングや筋トレなどを始める。その結果、スポーツを避けた人生序盤の運動能力を越える(上図の水色枠を参照)。それが運動へのモチベーションを高めることになる。人生終盤になってようやくスポーツに目覚め、最期まで元気に生きることができる。

運動が苦手な人が高齢になってからトレーニングをすると、運動が得意な人の運動能力を越える可能性がある(上図の橙色吹き出しを参照)ことも、興味深い点である。

自分の目標

自分は運動が苦手だが、45歳から運動を始めた。自分の目標は、20代の頃の運動能力を下回らないよう最期まで元気に楽しく生きることだ。

自分の運動能力の概念図

おわりに

運動が得意な人は人生序盤で、大きな花火を打ち上げることができる。しかし、その花火はすぐに消えてしまう。運動が苦手な人は人生終盤で、小さな線香花火に火を着ける。その線香花火は火の玉が地面に落ちるまで、細く長く燃え続ける。

自分はスポーツで活躍することはできない人生だったが、人生後半から適度な運動を始め、身体を動かすことの楽しさに気付いた。そして、「運動能力は年齢との相関よりもトレーニングとの相関の方が大きい」という自論を持つようになった。現在67歳の自分は20代の頃より筋肉量は多く運動能力が高い。これが自論のエビデンスである。

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