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「モノ」ではなく「機能」に着目しよう

はじめに

ミニマルライフの定義は「自分にとって本当に必要な、最低限のモノだけで生活すること」である。それが最近、この定義がその本質から外れてきているのではないかと感じている。

「モノ」ではなく「機能」に着目したほうがいい。現代のデジタル社会においては、自分にとって本当に必要な「機能」を見極めることが大切ではないだろうか。


単機能から多機能へ

昔はモノは単機能だった。「機能=モノ」だった。モノに着目することで、その本質である機能に着目できていた。しかしモノの時代は終ろうとしている。もうすでに機能の時代に入っている。

現代はデジタル化が進み、多機能なモノが多くなってしまった。モノを少なくしても多機能なデジタルデバイスをひとつ持っていれば、大切なことに集中できなくなってしまった。その最たる例がスマホだろう。

iPhoneが世の中に登場したときのジョブズのプレゼンが印象的である。

本日、革命的な新製品を3つ発表します。
1つ目、ワイド画面タッチ操作のiPod
2つ目、革命的携帯電話
3つ目、画期的ネット通信機器

3つです。タッチ操作iPod、革命的携帯電話、画期的ネット通信機器。
iPod、電話、ネット通信機器。 iPod、電話……お分かりですね?
独立した3つの機器ではなく、一つなのです。

名前は、iPhone

スティーブ・ジョブズによるiPhone発表時のプレゼンテーションより

3つの機能が一つになった。そして、iPhoneはハードウェアの進歩とともに、サードパーティ製アプリとネットサービスによって多機能化の道を歩んでいく。

アプリ開発者によって開発された多くのサードパーティ製アプリによって、多様なニーズに対応した機能が提供されてきた。そして最も多機能化を推し進めたのは、SNSやゲーム、動画配信サービスなど、爆発的な成長を遂げたネットサービスである。

単機能と多機能を使い分ける

けっして多機能を否定しているわけではない。現代のデジタル社会では、単機能と多機能を使い分けることが大事であると考えている。

人間は同時に二つ以上のことに集中できない。そのことから人間の使う道具は単機能なモノが適していると言える。単機能な道具は、ひとつの機能に最適化されたデザインとなり使いやすく美しい形状をしている。人間はその感触と機能美に魅せられる。道具を手入れして癒しを得る。昔の人は道具を愛し使い込んで、自分の身体の一部のように使っていた。

一方、コンピューターは同時に多くの作業を並行してこなせる。そのことからコンピューターは多機能な道具を使うことに長けていると言える。コンピューターに手順を指示すれば、人間が苦手な定型の繰り返し作業を自動化できる。そしてそれらの作業を同時並行で行わせることもできる。

また、多機能なモノは、多くの機能を集約してコンパクトに収納できることから、収納性と携帯性に優れているというメリットがある。非常時に使うなどの使用頻度が低い機能に向いている。(例えば、マルチツールなど)

まとめると、

  • 単機能なモノ:人間が日常で使う。

  • 多機能なモノ:人間が携帯し非常時に使う。コンピューターが日常で使う。

選択思考

デジタルデバイスの多くの機能の中から、自分に本当に必要な機能を見極める。そして見極めた機能だけを使う。

例えば、スマホのアプリは、電話・カメラ・写真・ミュージックのみを使い、それ以外のアプリは削除する。

分散思考

いっそのこと多機能なデジタルデバイスそのものを使わないという選択もある。多機能なモノから単機能なモノに機能を分散させ、単機能なモノで生活する。

例えば、スマホを捨てて、携帯電話とカメラと音楽プレーヤーを使う。電話をするときは会話に集中する。写真を撮るときは撮影に集中する。音楽を聴くときは音楽鑑賞に集中する。

「多機能なモノ」を捨て、「単機能なモノ」で生活すれば、現代のデジタル社会でも自分を見失わないで生きていけるだろう。

おわりに

これまでのミニマルライフの定義のままであれば、「わたしの部屋の中にはモノがなにもありません。スマホだけで生活しています。」というミニマリストを自称する「機能マキシマリスト」が、いずれ現れてくるかもしれない。

自分に本当に必要な「機能」だけで生活することが、本当の意味でのミニマルライフではないだろうか。

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