evergreen 第1話(ジャンププラス原作大賞/連載部門応募作品)
彩のない人生だった。
灰色に塗りつぶされたような日々を、ただひたすらに生きているだけだった。
あの『庭園』に足を踏み入れるまではーーー。
目隠しをされた男が、神々しい森の中を導かれながら歩いている。無精髭を蓄え、青年期を過ぎつつあるその男は、視界を塞がれているにも関わらず、大胆に歩を進めていた。彼を先導するのは別の男で、兵士の装いをしている。森は静寂に包まれており、彼らの足音だけがその場に響いていた。
やがて彼らは巨大な木のうろに入っていった。トンネルのような空間を抜けると、陽の光が輝く開けた場所に出た。
「着いたぞ。」
先導役の兵士が言った。同時に、男の目隠しが地面に落とされる。男は眩しそうに辺りを見回した。
「すげぇ……。」
そう呟く男の眼前には、周囲をぐるりと巨木に囲まれた美しい隠れ里の風景が広がっていた。里の中に柱のように生えている巨木の枝と葉は空高くまで伸びており、まるでドームのようにこの隠れ里一帯を覆っている。独特の様式美を持つ木造の家々が立ち並び、木漏れ日の中で人々が農作や牧畜をしているのが見えた。
彼の名はリド。先導役を努めた兵士・スピルと同じく、アヴァニ国の近衛兵である。
「ここが俺の新しい赴任地ってことか?」
リドが尋ねると、スピルは頷いた。
「そうだ。我々は『常磐の郭』と呼んでいる。」
「隠れ里にしては大層な名前だなぁ。スピルもそう思わねぇか?」
「いいか、ここでは俺のことを『隊長』と呼べよ。」
スピルは大真面目に言った。どこか飄々としたリドとは対象的である。
「いいじゃねぇか、固ぇこと言うなよ。長い付き合いなんだしさぁ。」
リドはわざと不貞腐れて見せた。
「親切心で言ってるんだ。お前はすぐに目をつけられるからな……。くれぐれも俺が庇いきれないことは起こすなよ。」
二人は里の中を歩いていった。リドは新鮮な空気を心地よさそうに吸い込む。
「すでに承知のこととは思うが、今日からお前の任務はこの『常磐の郭』の警備だ。」
やがてリドとスピルは、木々が城壁のように立ち並ぶ一角にたどり着いた。このあたりには人気がなく、しんと静まり返っている。木々の間にはめこまれるような形で、鉄格子で出来た門がある。門にはツタが生い茂っており、中の様子を見ることはできなかった。
「お前の持ち場はここだ。」
スピルが言うと、リドは「ほーん」と気の抜けた返事をした。スピルは気にせず話し続ける。
「この門の中に、前女王のカトレア様が隠居生活を送っておられる城と庭園がある。お前の任務はこの門の警備だ。庭園の中に誰ひとり入れるんじゃないぞ。」
リドは門に生い茂るツタを手で掻き分けて奥を覗こうとしたが、スピルは瞬時に門からリドを引き剥がした。
「それからもうひとつ。門の中は絶対に覗かないように。言うまでもないがお前が門の中に入るのも禁止だ。」
「は……? 何でだよ。鶴が機でも織ってんのか?」
リドは違和感を覚えたが、スピルは
「お前はその理由を知らなくていい。」
とリドの質問を一蹴した。
「……で、返事は?」
スピルが言うと、リドはしぶしぶ
「……御意!」
と短く言った。
スピルはそんなリドを、弟を見守る兄のような眼差しで見つめ、フッと微笑んだ。
「ではさっそく任務にあたれ。2時間後に交代だ。」
去っていくスピルの背中を見ながら、リドは
「変わらねーな、あいつ……。」
と呟いた。
一時間ほど経過しただろうか。
「しっかし、誰も通らねぇな……。本当に警備の意味なんてあるのか……?」
リドは暇そうに突っ立っていた。
「城下町はよかったなぁ。人がいっぱいで活気もあって。またいつかあそこに戻りてーなぁ……。」
頭の後ろで手を組んだリドは、そう言うと何かを思い出したかのように表情を曇らせた。
「いや、もう二度と戻れねー、か……。」
リドがそう呟いた次の瞬間だった。
「キャアアアアァァ!!」
突然、門の内側から金切り声が響いた。
「!?」
リドは驚いて門の方へ振り返る。
「リリイ、しっかり!! ……誰か、誰か来て!!」
女性の叫び声だ。助けを求めているらしい。
「なんだってんだよ……!?」
リドはたじろいだ。門の中に入るな、というスピルの言葉が脳内に響き渡る。
「クソッ……!!」
リドは塀のような木々を見上げた。幹はツルツルしており、手をかけられそうな場所はない。
「誰か……!!」
再度、さきほどの女性の叫び声が響き渡る。
『……中に入るな、だ? そんなこと気にしてる場合かよ……!!』
門を揺すったが開きそうな気配はない。リドは腰から短剣を二本抜き、木の幹に突き刺した。短剣を上へ上へと刺していきながら、ロッククライミングのように腕の力だけで木の壁をよじ登る。やがてリドは枝の部分へと這い上がり、木の壁の内部へと降り立った。
目の前には、豊かな草木に囲まれた美しい庭園が広がっていた。リドは思わず目を見張って立ち止まった。
『なんだ、この庭園……? 妙に懐かしいような、不思議な感じがする……。』
「リリイ!!」
リドはハッと我に返ると、その叫び声を頼りに駆け出した。
「……!!」
やがて前方に、必死に木の枝にしがみついているが今にも落下しそうな女性と、彼女を見上げながら青ざめるもうひとりの女性の姿が見える。服装から判断するに、彼女らはこの城の侍女らしい。
「今行く!!」
リドが助けに向かおうとしたその瞬間、ぶら下がった女性の手が枝から離れた。
「ひゃ……!」
もうひとりの女性が声にならない叫びを発する。万事休すかと思われたその時、
「リリイ!!」
突然、別の叫び声がしたかと思うと、幼い少女が草陰から飛び出してきた。少女がサッと手を伸ばすと、その手は緑色の光を放った。
「!??」
リドが驚く間もなく、木の枝から突如としてツタが伸び、リリイと呼ばれた侍女の腕と体を絡め取った。リリイはツタに巻き付かれてぶら下がった状態になり、落下を免れた。
「なんだ……今の……。」
リドは自分の目を疑った。
「よかった、間に合って……。怪我はない? リリイ。」
少女は安心した様子で、ぺたんとその場に座り込んだ。リドは改めて少女を見た。彼女は10歳くらいの外見で、長い緑の髪に緑の目をしていた。肌も透き通るようなかすかな薄緑色で、美しい裾の長いドレスを着ており、まるで妖精のような雰囲気だった。
「あ、ありがとうございます! サーラ様。」
地面に下ろされたリリイはお礼を言った。サーラ。それが少女の名前であるらしい。
「はっ!? あ、あなたは!??」
次の瞬間、もうひとりの侍女がリドの存在に気づいた。驚いた少女は、さっと侍女の後ろに隠れてしまった。
「いやー、どうもどうも……。」
へへへ、とリドは愛想笑いをした。このときのリドはまだ、事の重大さに気づいていなかった。
その夜。
リドは近衛兵の駐屯所にある牢屋の中にいた。手足は磔のような格好で鎖につながれており、身動きをとることはできない。そんなリドの姿を将校とその側近、そしてスピルが檻の外から眺めていた。
「……おい、いいから早くここから出せよ! 何の恨みがあってこんなことするんだ!!」
リドは獣のように吠え立てて暴れるが、手足の枷が外れる気配はない。
「お前は禁を犯したんだ。まだ命があるだけでありがたいと思え。」
将校が冷たく言い放った。
「確かに庭園の中に入ったことは悪かった。謝る……! でもこれはあまりにも酷くねぇか!?」
そう叫ぶリドを、スピルは少し青ざめた様子で見つめていた。
「だからコイツはやめておけと言ったんだ。こんな重要任務に向くような奴ではなかった。」
将校がそう言うと、側近は「まぁまぁ」と彼を宥め、
「秘密を知ったからには、殺すか永遠にここに閉じ込めればいいだけです。スピルもそういう条件で彼をここに寄越したのですから。」
と言った。
「なっ……!!」
リドは側近を睨みつける。将校はハハハと笑いながら
「それもそうだな。」
と吐き捨て、側近と共に執務室へ戻っていった。スピルは彼らが去ってしまったのを見届けると、
「……まったく、まさか赴任早々に厄介事を起こすとは……。」
と溜息をついた。
「殺すか閉じ込めるか、だって…? お前、俺に隠れてそんな物騒な取引してたのかよ!?」
「黙っててすまない、リド。」
憤るリドに、スピルは心から申し訳無さそうに頭を下げた。
「あのときお前の近衛兵としての立場を守るためには、こうするしかなかったんだ……。」
そんなスピルの様子に、リドは態度を軟化させる。
「……黙ってるといえば、側近の野郎が言ってた『秘密』っていったい何なんだよ。」
リドは真実を引き出そうと、じっとスピルを見つめた。
「秘密って、あの緑髪の少女のことか? あの場所には前女王が住んでるんじゃなかったのかよ……!?」
「本当にすまない……。あれは彼女を守るための嘘だ。」
スピルは気まずそうな表情で答える。
「彼女は『緑の彩神』だ。そしてこの『常磐の郭』は、彼女を隠すための隠れ里だ……。」
「彩……神……!?」
リドは驚愕の表情を浮かべる。
「あの、世界に七人いると言われている『人ならざる者』のことか……!?」
「そうだ。」
スピルは静かに頷き、こう続けた。
「彩神の力は強大だ。彩神がひとり存在するだけで、国家間の勢力図が塗り替えられるほどだ。その彩神を、我がアヴァニ国も保持しているということだ。」
「嘘だろ……? まさかこの国にもいたなんて……。」
リドは汗を拭おうとしたが、枷に阻まれて鎖がガシャンと音を立てただけだった。
「知らなくて当然だ。我らの国王は、国をあげて彼女の存在を隠しているんだからな……。」
リドは少し考えた後に口を開いた。
「つまり……俺は国家レベルのトップシークレットを知っちまったってことか……?」
「そうだ。」
スピルは真面目な表情で答えた。
「ハハ……。」
その答えを聞いたリドは、力なく笑った。
「……残念だが、今の俺の力ではここから出してやることはできない……。お前をここに連れてきた俺の責任だ……。本当に申し訳ない……。」
スピルは鉄格子の前に跪いてリドに謝罪した。
やがて真夜中になった。
暗闇の中でまどろむリドは、ある夢を見た。
草原の中で、リドの隣に一人の少女が座っている。昼間に見たあの緑髪の少女だ。
彼女はまるで昔からリドを知っているかのように、優しくニコリと微笑んだ。
彼女がそっと伸ばした薄緑色の手が、リドの頬に触れそうになるーーー。
リドはそこでハッとして目を覚ました。どうやらもう朝になっているようだった。
気づけば、ギイ、と音を立てて牢屋の扉が開くところだった。将校の側近がしぶしぶといった様子でリドの枷を外した。
「出ろ。サーラ様がお呼びだ。」
将校がリドを冷たく見下ろしながら言った。
リドは昨日の庭園に連れてこられた。将校たちはどことなく不満げな表情をしている。庭園にはサアァと風が吹き、木々が穏やかに揺れていた。城の前にはスピルと並んで、気品のある老婆が立っていた。リドはその老婆を見て驚いた。
「カ、カトレア様……!?」
彼女は前女王のカトレアだった。リドは慌てて片膝をついてお辞儀をし、敬意を表した。
「サーラ様、彼が参りました。」
カトレアが声をかけると、彼女の背後からヒョコッと緑髪の少女が顔を出した。彼女はリドを見てドキッとした様子を見せたが、ぐっと勇気を出すかのように口を一文字にして、おずおずと前へ出てきた。
「私はサーラといいます。あなたの名前はリドね?」
サーラの幼い声が響く。
リドはこの先の展開を想像し、唾をごくりと飲み込んだ。そして、頭を垂れたまま
「……昨日のご無礼、どうかお許しください。」
と言った。
そんなリドの様子を見てカトレアが口を開く。
「頭をお上げなさい。サーラ様はそんなこと気にしておられません。」
「え……。」
リドは顔を上げた。
「てっきり、これから罰せられるものかと……。」
「どうして? あなたはリリイを助けようとしてくれたんでしょう。きちんとお礼が言いたかったの。」
サーラとリドの目が初めて合う。
「本当に、ありがとう!」
サーラはそう言うと、はにかむような微笑みを見せた。まるでタンポポの花がふわっと開いたようなその愛くるしさに、リドは思わず魅了された。
「め、滅相もないお言葉……」
リドはたじたじと答えた。サーラの背後では、この前助けたリリイという侍女が頭を下げていた。
「……ところであなた、アンジュラスのことを何か知らない!?」
「アンジュラス……?」
リドは戸惑った。アンジュラスが人名であろうことはわかる。しかしその名前に全く聞き覚えがなかった。
「アンジュラスというのは、昔この隠れ里に仕えていた少年兵です。」
カトレアが横から補足した。
「あなた、アンジュラスの面影にとてもよく似ているの。彼が成長したら、きっとあなたみたいな姿になるはず……。ねぇ、彼のことを何か知らない!?」
よほど大切な人物なのか、サーラはさきほどまでの照れた様子から一変し、真剣な表情でリドを見つめた。
「いや……全く知らない名前です。しかしおかしくないですか? 少年兵なんて制度はとっくの昔に廃止になったはず……。」
その言葉を聞いたカトレアは、何かを悟った様子で口を開いた。
「……彼がこの隠れ里から姿を消したのは、60年ほど前のことです。」
「は……!?」
リドはキョトンとした。なぜ60年前にいた人物をこの少女が探しているのか、全く見当がつかない。
「サーラ様は百年の間、この常磐の郭で身を隠して暮らしてこられました。この庭園より外へ出ることはなく、謁見できるのは身の回りの世話をする侍女か、秘密を知るごく少数の近衛兵のみ。そんなサーラ様と深く交流していた、数少ない人物なのです。」
「ひゃ、百年……!?」
リドは思わず声をあげた。
「え!? 百歳にはとても見えねぇ……、いや、見えませんが……。」
戸惑うリドの様子を見て、サーラはフフフと笑った。
「彩神は歳をとらないの。ずっと生まれたままの姿なのよ。殺されない限りは死ぬこともないわ。あなた、そんなことも知らなかったの?」
そしてサーラはカトレアの方を見た。
「カトレアは幼い頃から私の侍女をしてくれていたの。まさか先代の国王様と結婚するとは思わなかったけどね。今やアンジュラスを知っているのは私とカトレアだけ……。」
そう言うサーラは微笑んでいたが、その表情は少し曇ったように見えた。
「……ねぇ、リド。私に仕えてくれないかしら? 話し相手になってほしいの。そうしたら、誰にもあなたを殺させないわ。」
ざわ、と風が庭園の木々を揺らした。ここで断るという選択肢など選べるはずもない。
「……俺みたいな不肖者で良ければ、謹んでお受けしましょう。」
リドは再度片膝をつき、サーラに忠誠を誓う体勢をとった。
「本当!? 嬉しい!!」
サーラの顔が夏の向日葵のようにパッと明るくなる。
「じゃあ、早速この庭園を案内するわ。来て!」
「おわっ!」
サーラはリドの手をとって駆け出した。リドは慌てて後についていった。
サーラとリドは庭園の一角に辿り着いた。そこにはたくさんの苺が実をつけていた。
「食べてみる?」
サーラはリドに苺を手渡した。
「どうも……。」
リドは苺を受け取り、頬張りながら庭園を見回した。まるでこの空間だけ時が止まっているかのように穏やかだった。
『しっかし……百歳には見えねえなぁ……。』
リドは苺を詰むサーラの横顔を眺めた。
『それに百年生きたにしては、精神的に幼すぎる……。よほどの箱入りで育てられてきたみてえだなぁ……。』
「……普段もこんな風にして過ごしてるんですかぃ?」
リドはサーラに尋ねた。
「いろいろよ。お庭を散歩したり、お花を摘んだり。雨の日は読書したり、侍女に刺繍を習ったりしてるわ。」
サーラはあっけらかんと答えた。
「それ、退屈で死にそうになりません?」
「でも、他にできることなんてないもの。」
サーラはさも当然という風に答えたが、その目はどこか寂しそうに見えた。リドは怪訝そうな表情になる。
「昨日のあの力……。あれは彩神の力なんですかぃ? あの、ツタを生やした力。」
「そうよ。私は『植物』を司る彩神なの。木や草を生やしたり、枯れそうな植物を元気にしたりできるの。見てて。」
そう言うとサーラは地面に手をかざした。サーラの手が緑色の光を放つと、何もない地面からふわりとマーガレットの花が伸びてきた。サーラはその何本かを花束のようにしてリドに差し出す。
「ハイ。知り合った記念に。」
サーラは愛らしく微笑んだ。
「すげぇな……。」
リドは驚きながらその花を受け取った。
『けれども、これが国の勢力図を塗り替えるほどの力とは思えねぇ……。戦闘訓練をされた経験もなさそうだ。』
リドは不思議に思い、サーラを用心深く眺めた。
「……あなた、ここに来る前は何をしてたの?」
サーラはそんなリドの様子にはお構いなしで、ちょこんとその場に座った。
「将校達があなたのこと、やけに悪く言ってたわ。ここに来る前に何かあったんでしょ?」
「……。」
リドはマーガレットを見つめながら押し黙っている。
「……話したくないんだったら、別にいいけど。あの将校よりも、スピルの話の方が信頼できるし。スピルはあなたのこと、いい人だって言ってたもの。私の話し相手にも快くなってくれたしね!」
サーラはそう言って無邪気に笑った。
「……いい人でいるのは生きづらいですよ。」
リドはぽつりと呟く。
「え?」
「なんでもねぇです。」
キョトンとするサーラを見て、リドは誤魔化すように笑った。
「……それにしてもあなた、本当にアンジュラスに似てるわ。親戚じゃないの?」
サーラは話題を変えた。
「わからないですね…。俺ぁ孤児なんで。親が誰かも知りません。」
「孤児……!?」
リドの答えに、今度はサーラが驚いた。
「それならもしかするとあなたはアンジュラスと血が繋がってるのかもしれないわね……!! 調べる価値はありそう……。」
デリケートな話題にも関わらず、サーラは無遠慮に話し続けた。
「なぜその人をそんなに必死に探してるんです? 失礼ですが……60年前にいなくなった人なんっすよね? 行方がわかっても生きてるかどうか……。」
さわ、と足元の草が揺れた。
「……私にとって、初めてできた友達だったの。侍女でも近衛兵でもない、ただの友達。」
サーラは揺れる草を見つめながら言った。まるで小さな箱から宝石の粒を取り出すかのように、一言一言、大切そうに語る。
「彼は好奇心旺盛で、この箱庭に忍び込んできて……。私たち、すぐに仲良くなったわ。毎日とてもとても楽しかった。」
サーラの頬がかすかに赤く染まった。リドは直感的に、サーラは彼に恋していたのではないかと思った。
「でも……ある日突然、この隠れ里からいなくなって、それっきり……。黙っていなくなるような子じゃなかったのに……。」
サーラの表情が曇る。
「確かに生きてるかどうかわからない。でもこの60年、ずっと会いたいと思ってるの。ずっと、ずっと……。」
「……ここを出て探そうと思ったことは?」
リドが尋ねると、サーラは力なく首を振った。
「ここにいるのが私の役目だから……。」
そしてサーラは笑った。悲しい微笑みだった。
リドは思案した。彼女が自分をアンジュラスの代わりとして側に置こうとしているのは明らかだった。
「……不老不死なのに、未来じゃなく過去ばかり見て生きてるなんて、もったいねぇな。」
「え……?」
リドの呟きにサーラが反応する。次の瞬間、リドは
「あーー、辞めだ辞めだ! 敬語なんて堅苦しいモンはもう辞めるぜ!」
と叫んで、サーラの方に向き直った。
「……確かに俺はアンジュラスとかいう奴の血縁者なのかもしれねぇ。でも、どっちにしろ俺はアンジュラス本人じゃねぇ。俺は俺のやり方でやらせてもらう! 代役なんざ御免だね。」
サーラは呆気にとられていた。リドは構わず続ける。
「だいたい、お前も彩神だか何だか知らねーけど、俺には普通の女の子と変わらねぇように見えるぜ。世間知らずで、狭い世界に囚われて、つまんねぇ毎日を送ってる、ただの子どもだ。」
「子どもって……。」
「未来永劫生きられるんだろ? だったら百歳なんてまだまだ子どもじゃねえか。」
そう言うとリドはキョロキョロと辺りを見回し、
「なぁ、あの木とあの木をツタで結べるか?」
とサーラに尋ねた。
「で、できるけど……。」
そう答えたサーラは腕を伸ばすと、お互い少し離れたところにある二本の木々をツタでロープのように結んだ。
「上出来じゃねーか。あと何本かツタを出してくれ。」
サーラが言われるがままにツタを渡すと、リドはそれを結んで何かを作り始めた。
「よし、完成!」
「これは……?」
「これか? ターザンロープってやつだ。」
「ター……ザン……?」
二本の木々の間に張られたツタには、同じくツタでできた一本のロープがぶら下がっていた。反対側にはツタで編まれたネットが張ってある。
「これはこうやって遊ぶんだぜ。」
そう言うなりリドは、ロープの下部を結んで作られた穴に足を引っ掛け、そのまま身を任せた。ロープは木々の間に張られたツタを滑走し、リドの体はネットに勢いよく吸い込まれた。
「ほら、お前もやってみろ。楽しいぜ。」
リドはサーラに勧めたが、サーラは
「だめよ! そんな危険ではしたないことはやってはいけないと侍女たちに言われてるわ。」
と言って後退りした。
「なるほどねぇ。それで毎日散歩だの読書だのしかしてないわけか。」
リドは納得したように頷くと、
「この先もずーっとそうやって大人しく生きていくつもりか? もっと新しいことに挑戦してみろよ。」
と言って、ロープをぐいっと引っ張った。
「それに、せっかくこんな面白ぇ能力があるんだ。こうやって活用しないと損だろ。ほら。」
「……。」
サーラは訝しむような表情を見せている。
「……もう一度言うが、俺はアンジュラスとして側に仕えることはできねぇ。」
リドはサーラの緑色の瞳を真っ直ぐ見つめて言った。
「……けどな、俺は俺のやり方でお前の毎日を面白くしてやれるぜ。」
「……。」
サーラは意を決したのか、前に歩み出ておずおずとロープを手に取った。そして足をかけて、地面を蹴った。
「!!」
ロープは加速しながら滑走していく。やがてサーラの体は、猛スピードでツタのネットに突っ込んだ。
「わぁっ!!!」
サーラはネットに絡まって動けなくなる。
「ちょ、大丈夫か?」
リドは慌ててサーラを助け出し、顔を覗き込んだ。サーラはしばらく黙っていたが、
「……クッ、フフフフ…!!」
と堪えきれないように笑い出した。
「なにこれ、すごく楽しい……! こんなの初めて! ねぇ、もう一回やっていい?」
サーラはパアッと顔を輝かせる。その瞬間、リドは世界に緑色の光が差したように感じた。
「……な、面白かっただろ? この先もっといろんな遊びを教えてやるよ。」
リドはニヤリと笑った。その表情を見て、またサーラがフフフと笑う。
「本当にスピルの言ってた通りね。リドは、ムチャクチャだけどいい人だって。」
「はぁっ!? アイツそんなこと言ってたのかよ!!」
リドはそう言いながら、自分の中に不思議な感覚が芽生えるのを感じた。サーラを楽しませようとしているうちに、自分の心の奥の何かが癒えて、暖かな緑色の光で満たされていくような、そんな感覚だった。
それ以来、リドとサーラは、毎日庭園を駆け回って遊ぶようになった。
「それっ!!」
木の枝の上に立ったサーラが、地面にこんもりと積もらせた落ち葉の山の上へザブン!と飛び下りる。
「サーラ様、危ないですからお辞めください!」
「いいじゃねえか、このくらい。」
慌てふためく侍女たちをよそに、リドはサーラが落ち葉から這い出るのを手伝った。
「そうよ。あなた達もやってみる? 面白いわよ!」
サーラもいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「フフフ、まるで父親と娘みたいね。」
そんな二人の様子を見たカトレアが言った。
「カトレア様! 俺ァまだそんな年齢じゃありませんよ!」
リドが耳ざとく反論する。
「あら、兄と妹の方がよかったかしら?」
とカトレアが言うと、
「私にはガキ大将が悪い遊びを教えてるようにしか見えないですけれども……。」
とスピルが呆れた様子で言った。
「いずれにしても……あんなに楽しそうなサーラ様は本当に久しぶりに見たわ。」
カトレアは目を細めてサーラを眺めた。サーラは無邪気に笑いながら飛び跳ねていた。
しかし、隠れ里の平穏な日々は突如終わりを告げた。
人々が陽気に畑仕事や酪農をし、子ども達が駆けまわる。
そんな光景を、里を囲む巨大な木々の枝の上に立って見下ろす黄色い髪の男がいた。
「――こぉんなところに隠れてたんかぁ〜!」
彼はニヤリと笑い、指をパチンと鳴らす。
「森の奥に身を潜めても、おてんとさんからは隠れられへんでぇ!!」
その指から黄色い閃光が飛び散った――。