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伝説のレーサー室町さん

抜群のセンスで優勝

お正月休みも今日で終わりなので、堅苦しくない記事を書きます。
伝説のレーサーとはお会いした事はありませんが、ある車屋さんの社長と話していて思わぬ事が繋がり、「電話してみて下さいよ」と頼み、その場で電話してもらって聞きたい事のメモを渡した記憶があります。
ですから、その社長さんが伝説のレーサーと面識があり、電話をかける仲であったのは事実です。その社長さんから聞いた事なので、間違いは無いと思います。かれこれ15年とか20年前の話なので、その伝説のレーサーがご存命かどうかも分かりません。
車屋さんに行って知り合いの社長さんと話をしていました。話が進むにつれ、「昔過ぎて記録にも残っていない、○○さんという伝説のレーサーがいたんだよ」という話を聞きました。

私が知る往年の自動レースの名レーサーは、黒沢元治、高橋国光、風戸裕、星野和義、生沢徹、長谷見昌弘等(敬称略)、小学生の時に船橋サーキットや富士スピードウェイ等で行われていたレース中継があって、よくテレビで観ていました。
この中で一番の古株はおそらく高橋氏。海外のレースとなると、この頃でさえ情報は少なく、リザルトやレースの内容は雑誌や専門誌がほとんど。
今回の主役はそれより前の世代なので、リザルト自体の資料がないと聞きました。
その伝説の名レーサーの姓は室町、名は分かりません。
話好きの社長さんが語り出しました、室町さんとはオークション会場で知り合ったようです。「室町さんって凄いんだよ、首に赤いマフラーを巻いてなびかせながら、トヨタ2000GTでサーキットに現れる。それでレースを走って勝っちゃうんだ、そしてまたマフラーをなびかせながら手を振って帰る」まるで、マッハGoGoGoのような話です。

余談ですが、もう20年位前でしょうか、某陸運事務所に行ったら、積載車に載せられているトヨタ2000GTのオープンカーが登録に来たのを見かけました。それで積載車の運転手に「この2000GTのオープンカーは2,3台だけ生産されたものですよね」、「はいそうです、良く知っていますね」、「写真撮らせてもらってもいいですか?」、「それはオーナーの意向でダメです」と言われて諦めた事がありました。

TOYOTA 2000GT(初期型) MEN'S EXから転載

社長さんとの話に戻り「そんな人知りませんよ、かなり昔の人ですよね?」と、私が知っている前述の名レーサーの名前を挙げました。「それよりもっと昔の人だよ。古すぎて記録も残っていないらしい」。この頃は日本の自動車レースの黎明期、敗戦後の焦土から僅か20年程で世界と戦える技術と人材がが育っていたのです。
「室町伝説」の話を聞いているうちに「室町って、どこかで聞いた事あるな?」と思い始めました。しばらくして思い出してこう聞きました。「室町さんって、もしかしたらスタントをやっていた室町さんですか?キカイダーに乗っていた!」「それは分からない。じゃぁ電話してみようか」となりました。
人造人間キカイダーとは石ノ森章太郎のマンガが原作で、それを東映が実写版としてテレビ番組として放映したもの。
サイドカーは確かカワサキがモーターショーに参考出品したものを、カラーリングを変えてそのまま使っていたようです。元々の車種はマッハIII(500)で、変身前は350の別のサイドカーのようです。
そのサイドカーの試乗記です。2輪レーサーの滋野穂氏がリポートしています。

掲載元はオートバイ又はモーターサイクリストだと思います

アクションシーンをスタントしていたのが室町レーシングの室町健三氏で、それを思い出したのです。思わぬ展開に胸がワクワクしました。小さい頃に夢中になっていたヒーロー番組のスタントをしていた人と繋がるなんて、思ってもみない事です。
社長さんが電話をかけると室町さんが電話に出ました。「お久しぶりです~」という感じで話し始めたのを覚えています。
話が始まると、私は社長さんにメモを渡し始めました。内容全ては覚えていませんが、「キカイダーのサイドカーに乗っていましたか?」というのは聞いてもらいました。
返答は「あれは、弟だよ。俺は乗っていない」でも、スタントをやっていた人のお兄さんだったのです。あとは何を聞いたのか、そのサイドカーはどこに行ったのかと聞いたような気がします。
今回、記事を書くに当たり調べてみました。おそらくこのサイトに掲載されているのが室町兄弟が参戦していたと思われる、1973年の「全日本富士1000km」のリザルトを見つけました。
弟さんの名前は健三で間違いないので、室町という珍しい苗字から、兄弟で参戦していたと思われます。

この時はフェエアレディー240Zですから、トヨタ2000GTでサーキットに行ったかどうかは不明ですが、日産ワークスだったのでしょう。
ネットは便利ですね。これも室町明氏が参戦した記録のブログです。

名前で検索すると、オートバイクラブマンレースのリザルトも出て来ました。
おそらくごれもご当人で間違いないと思います。ヨシムラチューンのCB77が1-2-3フィニッシュを飾っていて、室町氏は優勝です。
ちなみにPOPこと吉村秀雄氏は、1983年代頃の雑誌で、CB72か77を当時のレースマシンより速く走らせる事が出来ると言ったそうです。POPが言うのなら本当でしょう。

日本モーターサイクルレースの歩みより転載 室町明氏とヨシムラチューンのCB77

これらから類推すると、オートバイレースで成果を収めて自動車レースに転向した、よるあるパターンのようです。

知り合いの社長さんから聞いた、室町さんの逸話をご紹介します。
その社長さんはゴルフはしないので、一緒にラウンドした人から聞いたようですが、室町さんはとにかくスポーツのセンスが抜群だったのだとか。誰に習った訳でもないのに、ゴルフでラウンドを回るとボールが真っすぐ遠くに飛んで、そこそこいい成績になるのだそうです。この辺りは、持って生まれたものなのでしょう。
レース活動を終えると、確か埼玉県で自動車販売を始めたと聞いた覚えがあります。調べたらそれらしき会社が見つかったのですが、本当にご本人の会社かどうか分からないので掲載は控えます。
商売のセンスは分かりませんが、何かあってもスーパースターだから、知り合いの車屋さんが車を提供してくれたりして、なんとかなってしまうと話していました。とにかく、周りが支えてくれるのだそうです。
この電話をした当時は、まだトヨタ2000GTは所有しているものの、ボディーが腐ってしまい、あちらこちら鉄板で修理していたらしい。マフラーも腐ってしまいステンレスで作るとか聞いた覚えがあります。静岡県の東部のどこかに隠し置いてあったようです。

いかがだったでしょうか。私は四輪のレーサーとは関りはありません。
すぐ近くで見たのは中嶋悟氏、ネルソン・ピケ氏位。ちなみに鈴木亜久里氏は学校の先輩にあたり、今年の箱根駅伝の応援の際に、亜久里さんを知る先輩から面白いネタを聞いて来ました。
亜久里さんが入学したした頃は、まだ学校に校舎建設予定の広い空き地があったそうで、そこをナンバーの無い車で走り回っていたそうです。
カラオケに行って、山下達郎氏の目の前でクリスマス・イヴを歌った事もある位ですから、F1レーサーになるにはその位の心臓がないとダメなんですね。
昔は速ければレーサーとして契約されましたが、いつからかチーム運営費込みでの契約するパターンが出て来ました。それがいいのか悪いのか分かりませんが、このような時代のレースが動画サイトで見られるいい時代になりました。

マジ軽ナットはレースでも使われています。使われているというより、トヨタを中心に当たり前に行われているチューニング技術です。
除電チューニングの入り口はタイヤからどうぞ。

メルカリでも自動車用とオートバイ用の販売を開始しました。「マジ軽ナット」で検索して下さい。

カバー写真は「ken@埼玉の備忘録」から転載。フォードコスワースFVと室町明氏

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