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わたしの履歴書・・・働く事とは?
初めて来てくださった方々、はじめまして!!
毎回見てるよー、という方ありがとうございます!!
海月清明です。
今回は「わたしの履歴書」と題し、今までの職歴から自分の価値観などを掘り下げていきたいと思います。
私は職歴が10以上ありまして、転職を繰り返しています。
内装工事業
パン屋さんのレジ
ケーキ屋さんの洗い場
デパートのレジ
喫茶店
テレアポ
コンサートホール業務
事務職
工場内勤務
スーパーの品出し&総菜コーナーの手伝い
現在は某激安の殿堂で働いています。
そんなわけで、だいたいの職業は経験していますが、3回ほどうつ病&うつっぽい心の病にかかったことがあります。
最初はテレアポ。電話会社のお客様相談窓口みたいなところです。
半年くらいしか働いていないけど、自分の出来なさ加減と電話してくる客のクレイジーさに心が病んでいました。
「いかに効率よくお客さんを納得させて数をこなしたか」を評価する効率ランキングなるものがあり、それがさらに私の心をむしばんでいきました。
気づいたら、体重が5キロくらい落ちていて、鏡で見たときの自分の顔がすごく貧相で、「あ、これヤバいかも?」と気づいたことがきっかけで退職しましたが、当時の私は「声も小さくて、いつも顔色が悪く下を向いていた」という印象だったみたいです(家族の話)
同期の仲間とは仲が良くて、海にキャンプしに行ったり、鍋やってみたり、飲みに行くこともあって、楽しかったことがせめてもの救いでした。
・・・ただ、完全に心を開いて付き合っていたわけじゃなかったかな・・・という部分はありますが・・・。
2回目は事務職だった時で、治験を紹介する仕事です。
これもほぼテレアポみたいな形で、登録者に治験を紹介し、参加者を探すというもの。
ちゃんと社員として働いていて、ボーナスももらっていました。
代表を含め4人という小さなところで、ものすごく狭い会社。
登録希望者に、その人の既往歴とか現在使用している薬とか、かなりプライベートな深い部分まで確認しないといけなかったり、治験の条件と合致するかどうか確認する点もたくさんあって、小学校以来病院に行っていないという超健康体な私にとって全くの未知の部分であり、知らないことが多すぎる無謀な職場でした。
人数が少ない分、しぐさや言葉遣い、所作など気を付けてほしいと言われることが多くて、それにもかなりめげていました。
やっぱりここでも「できない」という劣等感が強く、結構しんどいと思っているのに「もう少し気を使って、他の人が働きやすいようにしてほしい」とか言われるし、代表は「こんな簡単な仕事他にはないと思うけどな」などぶちかますしで、我慢ができなくなり、ある日突然仕事に行くのをやめました。
いわゆる「飛んだ」感じで、事前に退職することを伝えずに突然仕事を辞めたのはこの職場だけです。
なんか、愚痴っぽくなってる気がしますが・・・もしそういうのが嫌な方はこの記事はスルーしてくださいね!
3つ目は有名どころの喫茶店。
喫茶店はこのほかに2つほど経験していますが、ここだけは物凄くブラックな会社でした。
フランチャイズ元の会社自体がブラックで、その喫茶店自体はすごく素敵なところなんですが。
とにかくシフトがめちゃくちゃ、福利厚生も曖昧、学生に2枚目のタイムカード作らせるし、下手したら休憩なしで7時間ぶっつけで働かされる。ものすごく忙しいのに、なんでかキッチンは1人だけ、とか。
よく考えたら、仕事の契約書すら書いていないかも・・・その写しすらもらっていないし。
いちお夜番の締めまでしていたので、その手当もつけますって言われてた割に辞めるまでそういった類は何もついていないし、1年半働いていても有休はつかず。
飲食店はまだそういうところが多いのかもしれませんが。
最大で10勤位してたことはありました。
仕事に行って帰ってきて寝て、起きてまた仕事に行き・・・と、ほとんど無意識でそんな毎日を送り、仕事が終わって社員の人と上司の悪口を言うことだけが楽しみになっていました。
体は素直で、この職場で勤務していて初めて血液検査で「要再検査」のD判定になってしまいました。
元々血液が薄くて貧血気味だったのですが、ストレスもあってかとうとう健康診断で数値が引っかかってしまったのです。
それもあってこの職場を退職しましたが、この時のうつ病はその後も尾を引く事になり、様々な影響を及ぼすことになりました。
その後どうなったのか・・・?はまた次の記事にて。