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神戸市灘区「摩耶商店街」を歩き「西灘市場」跡と幻の「中原新道会」に迫る

 兵庫県神戸市灘区、阪急電鉄王子公園駅の北東に「摩耶商店街」がございます。


2010年3月14日

 それは2010年3月14日のこと。
 私はあてもなく町を歩いていました。

2010年3月14日

 ……何か気になりますね。

2010年3月14日

 これは……

2010年3月14日

 おぉ、商店街のアーチが立っています!

2010年3月14日

「摩耶商店街」。

 その頃スマホは発売されていたもののまだまだ普及しているとは言い難く、私もガラケーを手にしていました。
 ガラケーに地図を見る機能は無かったわけではないと思いますが利用しておらず、何のヒントもなく摩耶商店街に辿り着けたことは幸運だったと思います。
 まぁ地図を見たとて摩耶商店街が載っていたかというと疑問ではありますが……。

 ここは南の端です。北へ向かって歩きます。

2010年3月14日

「とうふ・あげ 藤本商店」さん。

 ところで

2010年3月14日

 先のアーケードといい

2010年3月14日

 このアーケードといい、商店会が設置したというよりは各自で設置したという印象を受けますね。かつては商店街全体にアーケードがあったのかなぁ?

2010年3月14日

 北の端に着きました。100メートル強の短い商店街でした。終わり。

 ……終わりません!

2019年3月16日

 あれから9年!

2019年3月16日

 私は再び摩耶商店街を訪れていました。

 変わらない姿で佇み続ける摩耶商店街……。

左が2010年、右が2019年

 並べてみますと……間違い探し?
 数多の地震や台風を乗り越えてよくぞという想いがします。

 2010年の頃は商店街に惹かれてはいたものの、マニアというほどでもありませんでした。写真の枚数が少なかったのはそのためです。
 今回はどんどん撮っていきますよ!

2019年3月16日

「たのしく買いよい セルフストアー ヨコタ」さん。
「ヨコヲ」とも読めそうですが「ヨコタ」です。

2019年3月16日

「セルフストアー」とは自分で棚から商品を選びレジへ持って行き精算するというお店です。スーパーマーケットやコンビニでお馴染みの現代では当たり前の買い方ですが、それがウリになっていた時代があったのですね。
 このお店はいつから営業されているのでしょう……?

 神戸市と言いますと阪神・淡路大震災で建物が軒並み倒壊したという印象を抱かれている方もいらっしゃると思います。
 しかし同じ神戸市でも海側と山側とでは被害はわりと違いまして、山側では倒壊せずに残った建物も多かったのです。
「たのしく買いよい セルフストアー」の看板も恐らく阪神・淡路大震災を乗り越えたものと思います。

2019年3月16日

「摩耶商店街」のアーチも健在です。

2019年3月16日

 9年前は気にも留めませんでした街灯をチェックします。商店街によってデザインが違いますので面白いんですよ……。誰も興味はないと思いますが。

2019年3月16日

 この形の照明器具を見るとノスタルジーを感じます。昭和の長屋の軒先で光っていそうなイメージですよね。

2019年3月16日

 藤本商店さんが営業されています。
 昔ながらの商店街は閉店されてしまうお店が多いものの、豆腐屋さんは営業されていることが多いように思います。特にデータを集めたわけではありませんのでイメージですが……。
 豆腐の需要は安定しているのかなぁ? いやまぁ安定しているんでしょうけど、スーパーマーケットで他の物と一緒に買うのではなく、ここまで買いに来るということですよね。根強いファンが多いのかな……?

2019年3月16日

 北へ歩きます。
「レディスファッション OKUI」さんと「クリーニングショップ 芦屋ランドリー 神戸店」さんが並んでいます。

2019年3月16日

 南を振り返ったところ。

2019年3月16日

「毛糸 手芸材料 和・洋裁材料 裏地・ボタン スワ」さん。
 営業されているお店はあるものの、民家や駐車場になっている場所も多くありました。

 ところで……

2019年3月16日

 このあたりが気になります。

2019年3月16日

 これ!
 商店街と言えば造花ですよね。通路の左右に造花が並んでいる姿を思い浮かべますよね。

造花が並ぶイメージ

 こんな感じの。その造花を挿すところです。
 これも商店街によって挿すところが1本だったり2本だったり3本だったりと違うのですよ。
 まぁそんなところが気になるから全国の商店街マニアの皆様からは見えない存在になってしまったのでしょうけどねー。

2019年3月16日

 北の端から南を向いたところ。

2019年3月16日

 アーチの「店」の文字が少し剥げてしまっていますね。

 さて帰るか……と来た道を戻っていますと

2019年3月16日

 おぉ!

2019年3月16日

「摩耶商店街」の文字が書かれた消火器の箱!
 宇宙で私以外の全ての人間が「だから何やねん」と思うことでしょう。こんなだからいつまで経ってもマイナー以下略。

2024年3月27日

 あれから5年!

2024年3月27日

 また来たよ!
 3回とも3月なのは偶然です。

2024年3月27日

 ヨコタさんの看板やアーケード、そして摩耶商店街のアーチも健在です。

2024年3月27日

 アーケードに守られているから綺麗ですよね。

2024年3月27日

 アーケードのない場所の看板は……

2024年3月27日

 傷みが激しいですね。先の看板と同じように塗られていたのでしょうけど。
 ……「ヨコタ」の周りにも何か書かれていたようですが……何でしょうね?

2024年3月27日

「味」……?

2024年3月27日

「花」に見えますね。

2024年3月27日

「〇〇花店」に見えますね。
 先の写真は「花」が「タ」の字と被っていましたし、何かが書かれていた看板の上から「ヨコタ」の文字を書かれたのでしょうか。
 そうなると

2024年3月27日

 ここは生花の「生」かな?

2024年3月27日

「生花」と思って眺めると「生花」とすぐ読めますね。不思議!

 さて……

2024年3月27日

 写真の奥の方を歩いたことがありませんでしたね。何があるのでしょう?

2024年3月27日

 アーケードの少し飛び出したところに「ヨコタ」の文字がありました。

 もうちょっと進みますと……

2024年3月27日

 おぉ!

2024年3月27日

「ヨコタストアー」の文字!

 そして

2024年3月27日

「ヨコタストアー お買物専用駐車場」すご!
 まさか駐車場があるとは思ってもいませんでした。遠方から来られるのか、大量に買って帰られるのか……。

2024年3月27日

 アーチに戻ります。
「街」の文字が剥げてしまっていますね。

2024年3月27日

 藤本商店さんは変わらず営業されていました。
 そういえば

2010年3月14日

 道を覆うようにあったアーケードが半分なくなっていますね。

 摩耶商店街の変化と言いますと……

2024年3月27日

 分かりますか?
 分かりませんよね……。撮影した私でさえ、一瞬「何で撮ったんだっけ?」と考えてしまいました。

 5年前の写真を見ますと分かります。

2019年3月16日

 うぉ!

左が従来のもの、右が新しいもの

 街灯が新しくなってる!
 すごいー。

左が従来のもの、右が新しいもの

 デザインが簡素化されているのは費用の問題なのでしょうけど、従来のものに似せようとする心意気は素晴らしいですね。

2024年3月27日

 大きな照明だけ新しくなっているポールもありました。写真の下側は従来の照明です。
 しかしどうして一斉に新しくしなかったのでしょう?

 歩きます。

2024年3月27日

 お店だったのだろうなぁというテントやショーケースはあるものの、お店として営業されている雰囲気はありません。

2024年3月27日

 アーチや消火器の箱がなくなれば商店街であると気が付くこともないでしょうね。

2024年3月27日

 北の端に着きました。
 ところでこのアーチ……

2024年3月27日

 この部分は

2024年3月27日

 山の形なのですよ。

 どうして山?
 この町の北側に「摩耶山」と呼ばれる山があるのです。このあたりでは「摩耶」という名前は馴染みのあるものなのです。

摩耶商店街の歴史を調べてみる

 摩耶商店街の歴史はどのようなものだったのでしょう? 調べてみましょう。
 2025年1月29日、何らかの書物に巡り合えるのかどうかさえ分からないまま神戸市立中央図書館へ向かいました。

 まず1956年(昭和31年)の住宅地図を閲覧しましたところ、現在と同じ場所に「横田商店」の文字がありました。
「摩耶商店街」の文字はありませんでしたが、お店らしき名前は並んでおり、商店街が形作られていたことはうかがえます。

 1971年(昭和46年)発行の「神戸市商店街連合会20年史」や、その10年後の「神戸市商店街連合会30年史」には名前が載っていませんでした。
 商店会は結成されていなかったのか、連合会の会員ではなかったのか……?

 1985年(昭和60年)の「神戸の小売商業便覧」には「摩耶商店街」の名が記載されており、5月末時点で店舗数は30だったとのことです。

 阪神・淡路大震災の少し前である1992年(平成4年)の「兵庫県商店街・小売市場団体名簿」を開きますと店舗数は18とのこと。
 そして阪神・淡路大震災が発生し、摩耶商店街は……と思いきや、2012年(平成24年)の「兵庫県商店街・小売市場団体名簿」を開きますと店舗数は20とのこと。増えてるやん!

 2010年に歩いたとき20店舗前後もあった印象は受けませんでしたが……。摩耶商店街の範囲はアーチの間だけではないのかな。

2024年3月27日

 なお、先に書きましたこの看板の場所は1986年(昭和61年)の住宅地図では「沢井花店」となっていました。

かつて市場があった

 1956年(昭和31年)の住宅地図を眺めていますと横田商店さんの北側に店舗らしき名前が並んでいることに気が付きました。
 1966年(昭和41年)の住宅地図を開きますとそこに「西灘市場」の文字が書かれていました。商店街のそばに市場があったのね!

2025年1月29日

 というわけで図書館を出た足でやって来ました神戸市灘区。

 ……ここはどこ? となりますよね。

地図

 ざっくりとした地図を描きました。
 先の写真に見えますローソンか、その北あたりが西灘市場の場所なのですが……。

2025年1月29日

 阪急電鉄の線路を越えて西を向いたところです。
「ほていDo」さんというパン屋さんが営業されてはいますが、市場の面影はありませんね。本当にここだったのかな……。

 そこで1970年(昭和45年)の「神戸市小売市場連合会20年史」を開きますと「ほてい堂」さんの名前が載っていました。ちなみに開店は1963年(昭和38年)6月とのこと。何故か「従業員数」まで載っていまして、「2」とありました。
 とにかくこのあたりが西灘市場だったようです。

 住宅地図を見ますと西灘市場は東西の通路が北と南に2本あったようです。

2025年1月29日

 ほていDoさんの手前が南側の通路でしたが、現在はマンションが建っています。

2025年1月29日

 少し北へ歩いて南西を向いたところ。この矢印の先が……

2025年1月29日

 北側の通路だったようです。

 さて、西灘市場の歴史はどのようなものだったのでしょうか。
 先の「神戸市小売市場連合会20年史」によりますと、

1947年(昭和22年)12月1日「奄美廉売市場」として発足。
1948年(昭和23年)「西灘廉売市場」と改称。
1953年(昭和28年)「西灘市場」と改めた。

「神戸市小売市場連合会20年史」より要約

 とのことでした。「奄美」とは鹿児島県の奄美群島……?
 そうです、このあたりは奄美群島の人たちが多く移り住まれていたのです。奄美群島出身の人たちが開かれた市場だったのかも知れません。

 さて、20年史を読み進めますと

1961年(昭和36年)近くにスーパー「東洋ストアー」が進出。
1964年(昭和39年)6月 1,000万円を投じ市場の大改装。
1965年(昭和40年)大型スーパー・ダイエーが進出。

「神戸市小売市場連合会20年史」より要約

 とあり、この頃には既に「買物客の減少が目立ってきた」と書かれています。

 1980年(昭和55年)の「神戸市小売市場連合会30年史」では会員数は32名でしたが、1992年(平成4年)の「兵庫県商店街・小売市場団体名簿」では店舗数が15にまで減ってしまっています。

 そして1995年(平成7年)に阪神・淡路大震災が起こりました。

 西灘市場があった場所は、2000年(平成12年)3月に「レジオン王子公園エルコート」というマンションが建ちました。
 ここまでお読み下さいましてありがとうございました……

もう1つの商店街

 と言いたいところなのですが、実は近くにもう1つの商店街がありました。

 時は2019年3月16日に戻ります。

 摩耶商店街を歩いた私はそのまま南へ歩いていました。

2019年3月16日

 右手に見えます線路は阪急電鉄のものです。

2019年3月16日

 ……風が語り掛けます……あれは何でしょう?

2019年3月16日

「ストアー ヨコタ」さんの看板だ! このフォントください!

2019年3月16日

 こちらには……

2019年3月16日

「摩耶商店街」の看板! シンプルかわいい! 欲しい!

2019年3月16日

 こちらにも……

2019年3月16日

「スナック でんえん」さん。可愛いフォント!

2019年3月16日

「明石名物 たこやき 柏屋」さん。
 線路沿いにもお店が何軒かあるのですね。それで看板が並んでいるのね。

2019年3月16日

「占い処 りんく」さん。

2019年3月16日

「ビニール加工 [株] 岡村」さん、「KANSAI こども研究所」さん。

2019年3月16日

 これらの看板は2020年頃に撤去されてしまったようです。1枚ずつ撮影しなかったことが悔やまれます……

2019年3月16日

 ……ん?

2019年3月16日

「中原新道会」?
 え、これは先の「摩耶商店街」と同じデザインですし名前からしてお店ではありませんよね。

「中原新道会」とは何ぞ?

 2025年2月1日現在はダブルクォーテーションを付けて検索しますと私のツイートがヒットしますが、当時は何もヒットしませんでした。

 Twitterで情報提供を求めるも

 知っているという情報はなし。商店街マニアの巨匠みたいな人の呼びかけであれば反応は違ったのかも知れませんけどねー。

 そして2024年3月27日。

2024年3月27日

 中原新道会の名残がどこかにないかなぁ……と歩いていましたところ

2024年3月27日

 おぉう。
「中原新道会」と書かれた消火器の箱が置かれていました。
 どうしてこれまで気が付かなかったのか……。建物や高いところばかりに目を向けていて線路側の足元には目を向けていなかったのです。

2024年3月27日

 進みますとこちらにも

2024年3月27日

 針金で括り付けられていました。必要なときにパッと開かへんやん……。そもそも右側は消火器が入っていませんし、左側もどうなのか。入っていたとしても使用期限は大幅に過ぎているでしょうけどね。

2024年3月27日

 誰もメンテナンスはしていないのでしょうけど、勝手に捨てるわけにもいかず放置されているというところでしょう。

 さらにGoogle マップのストリートビューを見ますと2013年9月の時点で

(Goole マップのストリートビューは過去のものが非表示になることがあります)

 ここにも中原新道会の看板が!

 さて、2025年1月29日に神戸市立中央図書館へ行きまして、中原新道会のことも調べました。

2025年1月29日

 1988年(昭和63年)8月の「神戸市小売商業地図」に「中原新道会」の名前がありました。

地図

 摩耶商店街や西灘市場の南側、阪急電鉄の線路に沿ったところが「中道新道会」でした。中原とはそのあたりの町名です。

 中原新道会にはどのようなお店があったのでしょう?

 1986年(昭和61年)の住宅地図を開きますと「スナック モガ」「和風スタンド 三奈」「スナック輝」「酒房 茜」「スナック なおみ」「スナックマロン」「お酒処 道子」「スタンド きり子」「すし 喜多さん」「スタンド静」「千代 スタンド」「スタンドたちばな」……といった飲み屋の名前が並んでいました。
 1994年(平成6年)の住宅地図ではかなり減っていましたが、

2024年3月27日

 現在でもその名残りを見ることは出来ます。「知里」さんというスナックですね。

2025年1月29日

 左手の「美容室スマ子の店」さんは1986年(昭和61年)の住宅地図に載っていました。

 ところで1956年(昭和31年)や1966年(昭和41年)の住宅地図を眺めていましたとき違和感を覚えました。

 線路のそばにお店が並んでいる……。

 いやいや写真を見たら分かるやんと言われるとそうなんですけどそうではなくてですね。

2025年1月29日

 左手に並ぶお店ではなくて、

2025年1月29日

 このあたりにお店が並んでいたというのです。狭過ぎない?

 昔は線路が単線で道がもっと広かった……? と思いましたが、調べましてもそのようなことはなさそうでした。
 国土地理院の航空写真をよく眺めてみますと線路のそばに建物が並んでいるように見えなくもありません。

2025年1月29日

 かつては右手にも小さな飲み屋が並んでいて、狭い歩道に飲み屋が密集した夢の町があったのかも知れません。
 この町から1キロメートルほど海の方へ歩いたところには製鉄や造船、ゴム製造の工場があり、そこで働いていた人たちが毎晩飲み歩いていたのかもですね。
 あぁ、当時の写真を見てみたい……。

 最後までお読み下さいましてありがとうございました。
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栗橋英実
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