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びわ湖タワー閉園の日


びわ湖タワーとは

 滋賀県大津市、琵琶湖のほとりJR湖西線の堅田駅から徒歩10分弱のところに「びわ湖タワー」という遊園地がありました。「タワー」という名前ですが遊園地です。
 そのあたりは後で説明いたしますが、Wikipediaによりますと1965年(昭和40年)にドライブインとして開業し、1967年(昭和42年)に遊園地として拡張されたとのことです。
「びわ湖タワーへ行こう!」というキャッチフレーズのテレビCMが放送され関西では名の知れた遊園地だったのですが、残念ながら2001年(平成13年)8月31日に閉園してしまわれました。

 私はその最終日に初めてびわ湖タワーを訪れました。
 遊園地で遊びつつ、ポケットにも入らない大きなデジタルカメラで園内の様子を撮影しました。
 最終日の貴重なレポートを自身のWebサイトで公開し、現在に至るのですが……

「びわ湖タワー」でググっても私の記事がトップに来ません。

 あっれー。おかしいな?
 当時は「ホームページ」全盛期でしたし最終日に訪れた人のレポートはいくつかあったものと思いますが、20年以上が過ぎてそれらがどれだけ残っているかというと? 私のレポートだけですよね、きっと。

 納得いかない!

 というわけで、検索結果トップになることを夢見てびわ湖タワー最終日のレポートをnoteにて書き直します。
 2001年はインターネットの回線速度がまだまだ細くて遅かったため、容量の大きな写真は載せるべからずという時代でした。そのためオリジナルの記事の写真は320ピクセル×240ピクセルという小さなものでした。20年以上が過ぎた今、もっと大きな写真を後世に残そうという思いもあります。今から読み直しますと文章が気に入らないというのもあります。

 ↓オリジナルの記事はこちら

びわ湖タワーへ向かう

 2001年というのは家庭でのインターネットの常時接続がようやく現実になろうかとしていた頃でした。携帯電話も普及し始めてはいたものの、誰もが当たり前に持っている時代ではなく、しかもパケット定額制のサービスは開始されていませんでしたので、屋外でインターネットに接続するということも一般的ではありませんでした。
 私も屋外でインターネットに接続出来る身ではありませんでしたので、JR堅田駅まで行って後はその場で何とかしようという感覚で堅田駅に降り立ったのでした。
 今から思えばインターネットで地図を閲覧するサービスは当時既に存在していたでしょうから自宅でびわ湖タワーの場所を調べておけよという話なんですが……。

 恐らくびわ湖タワーへ向かっているのであろう小学生たちが歩いていましたので後について歩くことにしました。

びわ湖タワーに到着

 到着!

 良かった、これが自宅へ帰る小学生でしたら不審者も良いところでしたし私は迷子にもなっていました。

 ところでこのロボットは何ぞ……。オリジナルのロボット? 著作権という概念が緩い時代でしたでしょうし、何かのパクリ……調べてみますとあのWikipedia大先生をもってしても「謎のロボット」呼ばわりでした。

 今度はドラゴンや……「謎のドラゴン」か。入園する前からびわ湖タワーの世界観が分かりません。子供が好きそうなものをとりあえず用意しとこかという感覚だったのでしょうか。
 ドラゴンの下には「AMUSEMENT City-JUNCu」と書かれているんでしょうかね。恐らくゲームセンターだったのでしょうけど、当時の公式サイトを調べましても分かりませんでした。
 写真の右下の幟には「スリラーワールド 恐怖の館」と書かれています。お化け屋敷ですかねぇ。公式サイトを調べますと「新登場! キモダメシはこれで決まり」との案内が掲載されていました。公式サイトがいつ開設されたのか分かりませんが、早くても1997年くらいなんですかね。わりと末期にオープンしたお化け屋敷だったようです。

 というか公式サイトが開設されていたって当時としては進んでいた遊園地だったのですよね。しかも.comの独自ドメイン。企業の公式サイトでさえインターネットプロバイダが提供する xxxxx.ne.jp/~kurihashi-shoji/ みたいなアドレスということが当たり前にあったのですよ、2001年って。

びわ湖タワーの名前の由来

 ところで……

 左に見えます巨大な棒は何ぞ……。
 そうです、これがびわ湖タワーです。
「タワー」と言われましてもね、という風貌ですがWikipediaによりますと

ドライブインの目玉は展望室が回転しながら昇降する「びわ湖タワー」で、琵琶湖や比良山地を一望できる高さ63.5mのタワーであった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/びわ湖タワー

 とのことで、閉園後の公式サイトに掲載されていた写真にその姿を確認することが出来ました。

びわ湖タワー公式サイトより

 遊園地としてスタートした頃は

びわ湖タワー公式サイトより

 このような姿だったようです。タワーの姿は何度か変わって来たようですね。
 しかしこれ、びわ湖タワー周辺の様子もちょっと衝撃的ですね。のどか過ぎる……。

目指せスーパーバンジーマスター

 晩年のタワーはバンジージャンプ台に改造されていました。
 びわ湖タワーはバンジージャンプが名物となっていまして、「絶叫4点セット」としてびわ湖タワーを改造した「地上30mバンジージャンプ」の他に「30mスカッドダイビング(ヒモなしバンジー)」「36mスカイコースター(横バンジー)」「大空へ31m逆バンジー」が建造され、全てをクリアすれば「スーパーバンジーマスター」の称号が貰えたそうです。
「スーパーバンジーマスター」で検索しましても情報が見付かりませんでした。何らかの物を貰えたのか、おめでとうと言って貰えるだけだったのか……。

 下手な写真で申し訳ないのですが、これがスカッドダイビング、ヒモなしバンジーです。
 ヒモなしバンジーとは自由落下のことなのですね。何らかの方法でこのネットの上で宙吊りになり、パッと離されるというものだったようです。ネットがあるとはいえ身体のどこかを怪我しそうなイメージしか浮かばないのですが……まぁ大丈夫だったのでしょうね。

 こちらはスカイコースター、横バンジーです。何の写真か分かりませんね……。
 写真の中央に黒い線が見えると思うのですが、それがバンジー真っ最中の人なのですよ。写真の左にそびえ立っている鉄塔のようなところとロープで繋がっているのが見えますでしょうか。
 横バンジーとは振り子のように往復するものだったようです。面白そうではありますが……怖いなぁ。

 逆バンジーの写真もありました。ペアシートがパチンコのように宙へ放たれます。

 こっわ……。空中で縦回転! 目を開けていられるのか……。酔わずにいられるのか……。
「逆バンびわ湖」という名称か愛称だったと思うのですが、公式サイトには載っていませんし検索しても私の記事しかヒットしませんので私の捏造だったのかも知れません。いやそんなはずは。

入場無料のびわ湖タワー

 日本でバンジージャンプが流行り始めたのは1990年代だったと思いますが、そんなバンジージャンプを4種類も導入したびわ湖タワーはなんと入場料金が無料でした。
 バンジージャンプは1回あたり2千円前後の料金が必要でしたが、乗り物は大人でもほぼ500円以下という良心価格。まぁフリーパスというものはありませんでしたので全てに乗ろうと思えば結構な金額になったのですが……。

 マニアが泣いて喜びそうな新旧観覧車そろい踏みの図。
 右側は開園当初からの観覧車と思いますが、左の巨大な観覧車は1992年に登場した「イーゴス108」です。

 イーゴスは後で乗りに行くとして、ちょっとうろうろしてみましょう。

楽しいゲームコーナー

 射的場がありました。
 夜店にあるような白い台に景品を並べただけの射的ではなく、ウェスタン風の舞台が組まれていました。その様子を撮影しておけという話なんですが……。
 しかしこの看板
「何発でも打てます 15発」
「的に当たると怪音がでます」
 というゆるい説明がたまりません。「怪音」って普段の生活で口にすることがありませんよね。

 エレメカが並ぶゲームコーナーもありまして……

 おぉお! 巨大なレバー! 巨大なミスタードリラー!
「ミスタードリラー」というカラフルなブロックを削りながら地底深くへ進んで行く名作アクションゲームがありましてね、本当はこのような巨大な筐体で遊ぶゲームではないのですが、何故か巨大な筐体でミスタードリラーが稼働していました。元々は他のゲームのために作られた筐体なんでしょうけど……。

 まぁ遊びますよね。青いシャツに赤いパンツは若気の至りです。
 レバーを倒すだけで一苦労ですし、ボタンは足で押しますのでこれまた疲れます。ハイスコアを狙うには不向きな筐体です。
 当時はもう気が狂ったかのように遊んでいたゲームでしたが筐体が変わるだけで新鮮で面白かったですね。汗だくになりましたけど。

 びわ湖タワーのゲームコーナーは複数ありました。全体像を撮影しておけば良かったのですが、2001年当時はデジカメといえ記憶媒体は8MBとか16MBとかいった僅かなもので、現代のように半ば無限に撮影出来るというものではなかったのですよ。

 しかし蛸の応援団、懐かしいですね。右に見えるのは山のぼりゲームでしょうか。これらのエレメカが廃棄処分にならず今もどこかで稼働していれば良いのですが。

孤高のポップコーン売り

 やぁ!

 ゲームコーナーから出ましたら孤高のポップコーン売り、ポップジョッキーさんに出会いました。
 調べてみましたら和歌山県の電創さんという会社が製造した袋詰めポップコーンの自動販売機で、製造開始は1993年(平成5年)と当時としては最近のものだったようです。
 しかし彼は明日から失業の予定……なんですかね。それでも最後まで手を振り続ける姿が涙を誘います。彼は自らの仕事に誇りをもっているのだ。

「長い間ありがとうございました」はともかく、その上に並んだ無節操オールスターズが気になります。絵の上手いスタッフが描いたのか、役員のお孫さんが描いたのか……謎です。
 公式サイトによりますと「どんひゃら村の池」のようで、「コイがKISSするよ」とのこと。本当にするんかと思いますし、したところで嬉しがる人がどんだけおんねんという話ですよね。

いざイーゴス

 先にちらっと書きましたが、びわ湖タワーの名物は「イーゴス108」という巨大な観覧車でして、1992年の完成当時は108mという世界一の高さを誇っていたそうです。

 こちらがイーゴス……ではなくて、開園当初からの観覧車です。

 これがイーゴス! スケールが違いますね。
 閉園ということで無料開放されていました。さすがに人は多く、30分ほど並びました。普段の待ち時間はどのくらいだったのでしょうね。

 窓からの景色。開園当時のままとはいきませんが、まだまだのどかな印象を受けますね。

 向こうに見える橋は琵琶湖大橋です。橋を渡った向こうには一時期話題になりました「ピエリ守山」があるのですが、2001年当時は「びわ湖わんわん王国」でした。

 ところで「イーゴス」とはどういう意味なのでしょう。それは……

 すご~い すご~い すご~い イーゴス!

「すご~い」の逆さ読みだったのでした。

 よく見ましたらすご~いの左の絵はまさかまさかの観覧車箱乗りでこれまたすごい。現代なら虚構と現実の区別が付けられない人たちがSNSで大騒ぎしそうですけど。

 ちなみにこのイーゴス、夜になりますと光を放ちモールス信号で「びわ湖に優しさを」というメッセージを送っていたそうです。
 読み取れる人がどんだけおってんという話ですが……。

ちょっと休憩

 外へ出てファミリーレストランで食事をとりました。私と同じびわ湖タワー客で賑わっていましたが、びわ湖タワー亡き後、このレストランはどうなってしまうのでしょう。

 びわ湖タワーの中にも食事をする場所はあったと思うのですが、混んでいたのか魅力を感じなかったのか……。当時は二十歳でしたしマニア気質もありませんでしたので、せっかくだからびわ湖タワーの中で食事をしようという考えにはならなかったのですよ。

 びわ湖タワーへ戻る前に1枚。
 右側の「THE DYNAMIC」は現代でいうVR……いやもちろん現代ほど良いものではなかったと思いますが、ほら、あの、ジェットコースターを疑似体験するバーチャル何とかみたいなの……そういうものを楽しめる施設だったようですが、公式サイトにそれらしい記載が見付かりませんでしたので詳細は不明です。
 よく見ますと写真中央からやや左下に「本」という看板もありますね。その通り、書店も営業されていたようです。書店に敷地を貸していたのかびわ湖タワー直営だったのかは分かりませんが……。

急流すべり

 公式サイトによりますとバンジージャンプやイーゴス以外に20以上の乗り物があったようです。
 どれだけ遊んだのか記憶にはないのですが、2回乗ったことを覚えていますのがこちら

 激流は呼んでいる 急流すべり 壮快 スリル!!

 ボートに乗って水の流れるコースを進むというものです。USJのような大迫力なものではありませんが、高いところから一気にすべり落ちるゆるいスリルが気に入っておかわりすべりを楽しんだのでした。1回400円でした。

「一度乗ってみたかったんだ、びわ湖タワーの急流すべり」
 若い娘がそう言いながらボートに乗り込みました。なんという良い人。
 ボートを降りた彼女は実に満足そうな顔をしていました。

閉園が近付く

 日が暮れて来ました。
 びわ湖タワーに残された時間はわずか。歴史が、一つ終わろうとしています。そして私はその瞬間に立ち会っているのです。

 大半の客はイーゴスに向かいます。

 イーゴスに存在感を奪われた観覧車。並ぶほどの人はいません。

 このお姉さんたちが恐らくこの観覧車の最後のお客さんです。イーゴスほどではない少し高い空から終わりゆくびわ湖タワーを眺め何を想ったのでしょう。

 乗り物に布が被せられていきます。長い間人々を楽しませていた乗り物。もう動くことはありません。この布が剥がされることはもうきっとありません。

 全てが終わりに近付いていきます。

 アイスパニック。「激寒!! -30℃ 君は耐えられるか?」本当は何℃だったのでしょうね。さすがに-30℃なんてことはありませんでしたよね。よね?
 確かめることはもう出来ません。

 ミニ急流すべり「しろくまくん」。幼児向けの急流すべりですね。
 遊園地とは小さな子供も遊べてナンボというものだったのですよね。現代は大人が楽しむために生後数ヶ月という子供を連れてテーマパークへ行きますもんね……。

 メリーゴーランド。料金は大人でもまさかまさかの200円。これって利益は出ていたんでしょうかねぇ? レストランやお土産屋さんに立ち寄って貰ってこそという商売だったのでしょうかね。

 激流はもう呼ばない。人々がこの子に会うことももうありません。
 ところで手に何か持っているように見えますが、何なのでしょう?

 そうだ、ゲームコーナーも覗いておこう。

 電源が落とされていくゲームたち。

 どこかに引き取られて行くのか、ここでこのまま朽ちるのを待つのか……。あぁ、惜しい、惜し過ぎる。

 しかし乗り物は概ねレトロなわりにこれらのゲームはわりと新しいものが揃っていますね。右端の「アルペンレーサー2」は1996年12月稼働とのことです。
 どのゲームも決して安くはないでしょうに……。こういうところにお金を掛け過ぎたから閉園になってしまったのでしょうか、もしかして。

さようならびわ湖タワー

 休憩所の椅子に座り、びわ湖タワーが暮れていく様子を眺めていました。本当に、今この瞬間、私の目の前で歴史が終わろうとしているのです。

 今日、ここに来れたことを光栄に想います。

「びわ湖タワーは八月三十一日で全館閉店致しました。長年に亘りご愛顧賜り誠に有りがとうございました。びわ湖タワー」。

「営業終了しました。ありがとうございました。」

 最後の日とはいえ特別なセレモニーもなく、まるで明日も営業するかのような雰囲気でびわ湖タワーは閉園しました。

 全ては、静かに消えゆく。

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栗橋英実
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