竜とそばかすの姫 わかりにくいとなぜ言われるのか?
【はじめに】
結論から言うとジブリの呪いです。
で「竜とそばかすの姫がわかりにくい物語構造をしている」と、書きましたが同じ物語構造を持つ「ARIA The BENEDIZIONE」をみてやっとその原因がわかった気がしました。結論から言うと「声優に俳優出身を使いすぎ問題」に端を発しています。ジブリが「声優嫌い」で成功しているからといって安易に「声の専門じゃない俳優」を使うから、肝心なところですずの葛藤がわかりにくい表現になっている、と言うわけです。
【竜とそばかすの姫の声優についてどう思っているか?】
「すずの声、なんか素人丸出しの棒読み感が気になる」
「おばちゃんずの声が素人くさい」
「まとものなのはすずのお母さんくらい」
・・・
で、パンフのプロフィールを見たら
「お察しください」
だったなー
【アニメ声優に俳優を使う理由】
自然な演技()を求めるためみたいですね〜
いや、リアル世界の声の人、
「違和感しかなかった」
です。
とういうか、
「自然な演技()」
って何?って言いたいわけですが
【俳優の声に違和感を覚えた理由】
<Uの世界>でずず/Belleが歌を歌うと言うコンセプトを描く以上、この物語は「ミュージカル」に近いわけですよ。「ミュージカル」に俳優の自然な演技()って必要なんですかね?その辺りが違和感の根源にあるわけです。
【声優の力量不足が引き起こすわかりにくさ】
端的に現れているが
「すずがリアル世界でケイを助けに行く」
シーンです。
この場面、すずの気持ちは
で書いたベルリ&アイーダと同じなんですよ
<Uの世界>でも<リアルの世界>でも虐待を受けているケイくん達を助ける大人達はいなかった。いたとしても「口先」ばかり・・・。大人達はいつもいつも自分たちにとって都合のよい理屈を持ち出す・・・。そんな大人達の「賢しい」言葉を聞いてもずずは納得しないわけですよ。
Gレコのベルリはクレセントシップの艦長に
「そんな大人の理屈はいいんです。宇宙の夢というものがあるなら(中略)それを姉さんに見て欲しいんです」
と叫びますが、ずずの気持ちも同じなんです。周りの大人がなんと言おうとも
「そんな理屈はどうでもいい、私は私の意思で行動する」
って叫けばよかったんです。そばかすの姫、「ベル」として竜と触れ合って得た生身の感触と体感から出た言葉、大人の賢しい言葉でなく、自分の奥底から湧き上がった感情を表現する言葉、それは俳優の自然な演技()からは生まれてこないわけです。まぁ、そのすずの生身の言葉を表現するにはすずの声優さんも周りの大人達の声優さんも力量不足な感じはしました。
【最後に】
色々、書いてきましたが作品全体の評価は「今年の映画作品でトップクラスに面白い」で変わらないです
にも書きましたが、キャラクターの目線や仕草で感情を表現するって繊細な描写はすごいと思います。
ただ、これは細田守監督くらい力量がある監督だからできる芸当で、声優に安易に俳優を使って欲しくない、という想いはあります。話題先行の駄作は本当に勘弁です・・・