Gレコ劇場版3の感想 宇宙開発にロマンはあるのか? 番外編
今回は番外編、ということで軽めに描いてみる
と思ったけど、やっぱり2000文字超えたや
Gレコ公式のTwtterで劇場版3でザンクトボルドの追加シーンについて言及していた
で、その時のアイーダとベルリの描写をイラスト化してみた
このシーン、
・港のゲートから外に出た時、ベルリが空の眩しさに目を顰める
・目が慣れたベルリの視界の先に自然溢れるザンクトボルトの景色と飛び跳ねてゲートを出るアイーダの姿が目に映る
・ベルリが自分の頬を叩く
って順番で描写されている。劇場版で追加されたのはアイーダの動きの方。
このアイーダを映すシーン、ベルリ視点でカメラアングルが
「右下から左上に移動して左下に戻る」
ってなっていて、
・ベルリがアイーダの動きを追うことでザンクトボルドの風景を徐々に認識していく
・アイーダの躍動感と後ろ姿の美しさ
を同時に表現していて地味に凝ったアングル作りをしているなーと。
で、ザンクトボルドの風景を目にした時の「アイーダの躍動感」と「ベルリがほおを叩いたシーン」は彼らのザンクトボルドの風景に対する感じ方の違いがTV版より顕著になってわかりやすくなっている。
【躍動しているアイーダの描写の意味】
アイーダはおそらく「豊かな自然」というものに触れる機会が少なかったのではないかな?アイーダの出身地、アメリアはGレコでは辺境の地だ。これは私の想像なんだけど、Gレコの世界では辺境の地になればなるほど「自然の回復」が進んでいないように見える。きっと、アイーダが住んでいる地域は旧宇宙世紀の遺跡みたいな場所に住んでいて、「自然」は貴重なものだったのだろう。だから、ザンクトボルトの「自然あふれる風景」に素直に感動した。これがあのアイーダの躍動感につながったのだろう。余談だけど、Gレコの女性キャラって止め絵でも充分魅力的なんだけど、動くとさらに魅力度が増すね
【ベルリがほおを叩いた意味】
これはアイーダの躍動感とは全く逆の意味になるね
ベルリはキャピタルテリトリーというGレコ世界における富の集積地、経済の中心地でエリートとしてずっと暮らしてきた。キャピタルテリトリーの自然の豊かさについては劇場版2でメガファウナがアメリア大陸からキャピタルテリトリーへ移動するシーンでところどころ描写されている。キャピタルテリトリーは経済の中心地だけあって、自然の回復が長い年月をかけて行われてきた。そして、長い月日が経ち、ベルリくらいの年代になるとキャピタルテリトリーに住んでいる人は「自然が豊かなのは当たり前」と思っていたのかもしれない。その無意識の中で前提としているものと現実のギャップが「ほおを叩く」という行為に現れている、つまり、見慣れた風景が延々と続く土地が「タブーとされていた聖地」な訳がない、もっと宗教的に畏れを抱く何かがあるはず?、と。
【Gレコ世界の人が大切にしているもの】
地球人にとって最大のタブーであった聖地ザンクトボルドが
「自然にあふれていてその中で人の営みがある」
って風に描かれていて、Gレコに生きている人々が
「モビルスーツや科学技術より自然の中で人の営みを大切にしている」
ってことがわかる。で、さらに「豊かな自然にアクセスできる」人っていうのは特権階級というか、経済力がある人たちに限られているじゃないだろうかなー。宇宙空間に「自然があふれる空間」を作り出して維持するというのは莫大なコストがかかりそうだからね。で、最大のタブーな地に「自然」があるってことは、リギルドセンチュリー時代において、「自然とは万人に与えられるものではなく、希少な資源で秘匿にされるもの」になる。自然が当たり前のものとしてあるという描写は、視聴者に聖地がこんなものかという気持ちにさせるもので、ベルリが代弁しているというわけ。一方、アイーダはリギルドセンチュリーに生きる人たちのリアルな気持ちを代弁している。ここにアイーダとベルリの価値観の違いが垣間見えて、まさに「世界は四角くない」、ということですね
【宇宙空間に自然が溢れているということの歪さ】
Gレコは他のガンダムシリーズとは異なり、ザンクトボルドといいトワサンガといいビーナスグローブといい「当たり前にそこに自然がある」って描画が多い。でも、冷静に考えてみて宇宙空間って本来、人間が住むには過酷な環境で「地球と同程度の自然がある」って環境を生み出すだけで莫大なエネルギー、労力が必要なはずだ。Gレコ以外の宇宙世紀とそこから派生しているアナザーガンダム(ターンA、Gガンを除く)はなんか、宇宙と地球の政治的対立を描いているものばかりだけど、本来、宇宙空間に地球的な国家なんて成立するわけないんだよね。だって、せいぜい地球圏にとどまっているガンダムの世界観では宇宙空間で国家を成立させるもの、つまり豊かな自然を背景にした農業生産力がないんだもの。月と地球の距離を考えると輸送力の関係で宇宙側にある程度、食糧生産力がないと国家が成り立たないでしょ。現在の日本が食料自給率が低いままでいられるのは、昔、といっても高々200年くらい前だが、比べて輸送コストが劇的に下がり、人とモノの交流が盛んなシステムの中にあるからだ。
【ガンダムはリアルロボットものではないよね】
ガンダムファンはよくファーストガンダムをリアルロボットものといっているけど、よくよく考えたらジオンなんて食料生産の関係から国家として成立するなんてありえないんだよね。だって、地球側から農業生産に関わる物資を止められたらモビルスーツとかいう前に、飢えてとてもじゃないけど連邦と戦えわけがないんだもの。リアルと言っても所詮、戦場の描写だけで戦争をするために必要な経済システムをまともに説明していないんだよね。そこにあるのは戦記物から派生しているある種のロマンチズムだ。
【Gレコがファンタジーと言っているわけ】
御大はGレコはファンタジーと言っているわけですが。
まぁ、実際、宇宙に国家が成立するだけの自然空間を作り出す、それがアニメであっても、今の技術、今の世情から考えると、ファンタジーと言わないとだめなんでしょうね。いつか実現できるお話ではなく、いつまでたっても絶対にできないお話として語らないといけないということ。これは今の技術力では絶対にできないという意味でもあるし、そんなものに莫大な費用をかけるのであればまずは「地球環境の保全に必要な技術を開発するのに全力を注いで欲しい」ということでもある
【今後のガンダムシリーズの展開】
最後に今後のガンダムシリーズの展開について個人的な意見を記載しておく
ガンダムシリーズはいまだに宇宙世紀の延長、つまり戦記物のロマンチズムを押し出そうとしているみたいだけど、新規ファンはなかなか獲得できないじゃないのだろうか?そうじゃなくて、ファーストガンダムがあの当時のロボットアニメの常識を180度変えたように、今の世の中の問題意識を取り込んで戦記物のロマンチズムに頼らない、新たな物語の手法を確立していかないと世間一般の人に届かないという結果になってしまうのではと思ったりする