女性は二択を選べない
交差点で車が止まった。
その車の運転手は女性で直進したいんだろうけどそこは工事中で警備員に止められてた。
後ろからクラクションが鳴る。
プーッ!(何やってんだババア!)
しかし女性は何やら工事現場の警備員と言い合っており、警備員のジェスチャーを見るに「ここは通れません!曲がって下さい」と言ったところだ。
実際、工事中の道路は今まさにアスファルトを引き剥がしているところで誰がどう見ても通れる状態ではない。
またクラクションが鳴る。
プーッ!プーッ!(ババア!おいババア!)
交差点を占拠する車の運転手の女性は(オレから見れば)まだ若く30歳くらいだったせいかクラクションが自分に向けられていることにようやく気がついた。
(え?なに?なんなの?キモ)と言った様子でまるで動かない。
どう考えても直進はできないのだから警備員に何を言ってるのかは想像もつかないが警備員の言っていることはその動きでわかる。
「通れません、迂回して下さい」だ。
プッププー!!(バッ!ババア!)クラクションがうるさくなってきた。
現場監督らしき人が慌てて走ってきて女性に手を向けた。
「ココに止まらないで!車を動かして!いいから行って!」
おそらく女性にはそのジェスチャーが「右に行け」と見えたんだろう。
女性はクラクションを鳴らされながら右折していった。
直進できないのだから右に曲がるか左に曲がるかしか無い。
右か左。こういう単純な二択を選べない女性は多い。
カルボナーラにするかペスカトーレにするかを10分悩み
副菜をタコのマリネにするかソーセージの盛り合わせにするか10分悩み
サラダのチョイスはこちらに委ねてくれるが間違ってもシーザーサラダを選んではいけない。
チーズソースのサラダなんぞを選ぼうものなら10分間悩んで決めたカルボナーラと言う選択がリセットされペスカトーレにしようものならタコのマリネがキャンセルされるからだ。
つまりスタート地点に戻りこれまでの20分間が無駄になるという事だ。
他にもポットを買いに行き30分かけて二つまで候補を絞るが残念ながらここがスタート地点だ。もちろん始まるのは100メートル走ではなく42.195キロのフルマラソン。
女性は二択を選べない。
正確に言うと「どっちでもいい二択を選べない」だ。
右折していった女性を見てふと思い出した。
男性に比べて女性の学者は極端に少ないと言う話だ。
オレ(中卒)は女性は「どっちでも良い二択を選べない」から学者に成る事が少ないのだと思った。
それは男性に比べて女性が劣っているという事ではなく、シンプルに生物学的な仕組みだと思った。
中卒がね。
例えば両の拳を握って男性に向けたら
ラウンド1が始まるか
ピシ!ガシ!グッグッ!されるか
「あ?なに?右」と返されるだろう。
しかし女性に握った両拳を女性に向けると
「え?なにー?プレゼントー?えー?なんでー?どうしよー!くれるのー?ほんとにー?えー?まようー↑」などと五分くらいは一人でしゃべってくれるだろう。
女性とは「選ぶ」生き物だからだ。
男性は「選ばない」
選ぶ必要が無いからだ。
男性は数多くの女性との間に子供を作ることが可能だ。
「選ぶ」ことはあまり重要ではない。
選択肢の「多さ」が重要なのだ。
だが女性は違う。
一度に複数のオスの子供を宿せる猫のような生き物と違って、人間の女性はほぼ一匹しか宿せない。
しかも出産で死ぬ可能性も低くはなく、その選択は非常に重要となる。
だから二人の男性のどちらと子供を作るかという選択は命がけとも言っていい。
「どっちでもいい」とはならない。
だからあの交差点を封鎖していた女性も「右の道はとても狭い」とか「右の道はいつも渋滞している」等の明確な理由があれば「左に曲がる」と言う選択をするが、そう言った理由が無かったり、また正確に判断できるほどの「かしこさ」が無いと途端に「選ぶ」ことが出来なくなる。
逆に男性は「なんだと通行止めかよ」と思うと何も考えずに右に曲がったり左に曲がったりした後に「ああ、こっち道が狭いんだよな」とか「渋滞してるよ!」と怒ったりする。
そう、男性は基本的に「バカ」なのだ。
何も考えていない。
何も考えない「バカ」だから、出来るかどうかも分からない研究に没頭したり、役に立つかどうかも分からない研究に打ち込んだり、ゴールがどこかすら分からない研究に邁進するのだ。
もちろん多くの場合は徒労に終わる。
しかし、女性は行き当たりばったりでわけのわからない男と子供を作るような「バカ」な真似はしないし「学者」と言う先行きの見えない道ぶ「選ぶ」ことはしない。
男性は「海賊王にオレはなる!」とバカな夢に突き進むが
女性は海賊王になる男を「選ぶ」のだ。
だから道の真ん中で平気で止まる。
勘弁してくれ。