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流れ星を見つけたなら

 夜の街には雨の気配が濃厚に残っていた。むわっとする大気をかき分けるようにして、駅前の陸橋の一角にある花壇の前に立った。Tシャツに制服のスカート。この格好は意外と誤魔化しが利くとわかってから、お定まりの格好になっていた。
 帰宅ラッシュを少し外した時間。月が明るくなり始めた時間。アコースティックギターを抱え、いくつか音をつま弾いた。足元に置いたギターケースには「リクエストやります」の紙が貼ってある。今日はそういう気分だった。
 通行人はそこそこいたが、誰も注意を留めることなく歩きすぎていく。そんなものだ。とりあえず一曲弾かないと誰もリクエストなんかしない。目を閉じる。曲の始まりをイメージ。
「はろー、イスカ。こんばんは」
 矛盾した挨拶が耳朶じだを打った。その声はピックを掲げた一瞬に滑り込んできた。
「ナツキか」
「そだよー。今日はリクの日なんだ」
「まあ、見ての通り」
 長い黒髪の先端だけが白い。手間のかかりそうな髪色をした少女は、制服にサマーカーディガンをひっかけた姿だった。スクールバッグを背中に回して、ローファーの足がレンガ調の舗装を踏んでいる。
「もう誰かのリク受けちゃった?」
 首を振って応えると目で問う。
「そっか。じゃあ、一曲良いかな」
 ナツキの声はよく通る。おまけに目を惹くだけの容貌かおを持っている。これもパフォーマンスと思われたのか。足を止めてやり取りを見る人がぽつぽつと現れはじめていた。
 それをわかっているナツキは、これ見よがしに五百円玉を取り出して、一度高く指先で跳ね上げた。銀色に輝く硬貨は、綺麗な放物線を描いてギターケースに収まった。
「なにがいい?」
「coldrain、Someday」
 端的にそれだけを告げる。こっちの心境を見透かしたようなリクエストに少し戸惑ったが、その戸惑いを打ち消すように脳内で仮想ドラマーにスティックを叩かせた。ラウドロックをアコースティックギターだけで再現するには無理がある。だから、他のパートが鳴っているつもりでアレンジすることにしていた。
 君はかつて何かになりたかった。君はかつていくつも夢を持っていた。けれどそれらはもう薄れてしまった。そして何をすべきかと言われても気にすることはない。Aメロを歌いきったところで離れていく人がいた。歌詞が英語だったからなのかもしれないし、見かけによらずハスキーな声を出したからなのかもしれない。
 一五三センチの身長にウェイトのない体で、舗装を踏みしめて声を張り上げた。君が望むものこそ君に必要なものだと気づくことができたのなら。君の見る世界も変わるだろう。見えないのか? 繰り返されるフレーズと叫ぶように重ねる言葉。いつか、いつか、いつか。
 間奏はギターソロになる。
 マイクを使ってないのをいいことに、ナツキがぽつりぽつりと話し始めた。
「また落ちたよ。今年五作目が死んだ。去年、最終選考に残れたのが嘘みたいに思えてくる」
 ナツキの声は他の人には届かないだろう。ただ一人、聞こえなくても唇を読める人間以外は。
「落ち込んではいるんだけど、それよりいま小説を書きたいのに書けないんだよね。書きたいことたくさんあったはずなのに、書こうとするとなに書いていいかわかんなくなる」
 ナツキがうつむいた。表情は読めない。ソロパートが終わりに向かっていく。
「書きたいことなんてあったのかなぁ」
 繰り返されるフレーズを前より強く歌った。メロディは同じまま歌詞が変わる。それが遠く見えるのは知っている。けれど、日に日に一歩踏み出すのさ。運命を変えるのは君次第だから。絶望か諦観を感じさせるギターとは裏腹に、絶叫に近いスタイルで歌われる歌詞がアンビバレンスに響く。応援なんかしていない。折れないように叫んでいるだけだ。いつか、いつか、いつか、と重ねられる言葉を夜に叩きつけた。
 演奏が終わる。足を止めていた人は半分以下になっていた。まばらな拍手が上がる。
「落ち込んでるなら、どん底まで落ち込んでみればいいんじゃないのか。けれど、それでも歌いたいなら歌うしかない。俺はそう思う」
「イスカはやめちゃえば、とは言わないんだね」
「自分が選べない選択肢を言えるか」
 デモ音源審査で落とされたフレーズを試すように弾いた。ナツキ流に言えば死んだ曲だろうか。自分の曲にナツキの小説を重ねていた。
「先輩には『つらいならやめちゃってもいいんじゃない』って言われたよ」
 紹介はされていた。あの男なら言いそうだった。毒のない良い奴だとは感じたが、ナツキと付き合うなら時には毒を飲めないとダメだ。
「別れちまえよ」
 降り積もっていた願望を込めて言うと、ナツキは、あはっ、と泣き笑いのような顔になった。
「うん、思いっきり引っぱたいちゃった」
「その足でここに来たってか?」
「イスカのSomedayが聞きたくて。たぶん、歌ってくれるんじゃないかって思ったから」
 肩をすくめる。審査で落ちたことはLINEで伝えていた。この場所も。
「だったら、ずっとここにいればよかったろ」
「出戻りは嫌?」
 少し震えたナツキの声。街灯の逆光に浮かぶ繊細な顔立ちに、ただ本心を投げかけた。
「もうどこにも行かないならいい」
 ギターケースから「リクエストやります」を引っぺがす。死んだ曲は俺の中で生きていた。それを弾き始めると、ナツキが笑った。
「うん。どこにも行かない。私もまたここからはじめる。はじめてみるよ、イスカ」
 にじんだ涙が輝いていた。それは希望を兆した流れ星のようだった。
 俺達が俺達の夢を取り戻せますように。
 小さな星にそっと願っていた。

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