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出し惜しみしない方がいい言葉
一日仕事が立て込んんでいて、休める時間は一切なかった。昼食も早食い五分。流し込んで昼休みもへったくれもなく作成しなければならない記録、記録、記録。
昨日からその状態だから、昨日残して帰った仕事を片付けないといけないという意識で、今朝はいつもより1時間半早く出勤した。
今はまだ眠くはない。でも、きっと気づいていないだけで脳は眠いはず。帰るバスできっと寝ちゃうだろうな。そう思いながら仕事をしていた。
管理職に今抱えている案件の進捗状況を報告し、部屋に戻る時にいつも連携している他部署の主任に声をかけられた。
いつもは真面目一本の無駄な会話はしないお方と思っていたが、驚いたことにお褒めの言葉を頂いた。
いや、正確には、ほかの関係機関に主任が出向した際に、私のことを褒めてくださる人が複数人いて、誇らしかったというもの。主任が私を褒めたわけではない。けれど、お褒めの言葉を媒介してくださったのだ。
主任とそういった会話をするのも慣れていないし、私自身自分の感情を表に出しすぎないようにしているのもあり、「あ、ありがとうございます。お役に立てて嬉しいです」と返したのみで、それ以上その褒め言葉にあやかると私は迷子になってしまう気がして、照れながら尻すぼみで退散した。
自室に戻ると、嬉しさが込み上げてきて、さっきまで忙しくて疲れを感じる寸前まできていたはずなのに、一気にどこかにその兆候は飛んでいってしまった。
例えば、主任は研修で同僚や部下を仕事に向かわせるテクニックなるものを学んできて、それを実践されただけかもしれない。
例えば、あまりにも私が疲れた顔をしていたので、不憫に見えたのかもしれない。
もしくは、自己啓発セミナーで心理学的な何かを学ばれているのかもしれない。
しかし、それでもいいじゃない。
今回のことで、人を承認する言葉というのは出し惜しみするものではないなと学んだ。
どんな理由であろうとも、その言葉を受け取った人は謙遜しながらもほんの少しは元気をもらえるのだ。明日への活力のかけらをもらえるのだ。
大いにばら撒こうじゃないか。
自分を振り返った。そんな気遣いをこれまで人にして来ただろうか。正直に思ったことを言ってしまうことはあったが、ビジネスでは業務のことしか考えていないため、相手のことをそれほど興味深く見てはいないし、思ってもみない褒め言葉というのはなかなか出てこないのが私の性格。
その辺りが多分余裕のなさに見えるのだろうな。余裕があればもっと人のことが見えるかというとそれはわからないけど。
でも相手のいいところを見て言葉にするって大事だなと思った。
褒めるとかそういうのではなくても、いい印象のあることはどんどん相手に伝えてもいいように思う。
やれるかどうかは別にして、そういう心持ちでいようと思った。
今日もいい気づきをありがとう。
明日も頑張れそう。