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古今東西刑事映画レビューその22:ゼロ時間の謎

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

2007年/フランス
監督:パスカル・トマ
出演:メルヴィル・ブボー(ギョーム)
   キアラ・マストロヤンニ(オード)
   ローラ・スメット(キャロライン)

前回に引き続いて、フランス映画である。
「ミステリーの女王」として知られるアガサ・クリスティの著作、“ゼロ時間へ”を翻案した作品だ。
アガサ・クリスティの作品は、代表作の“オリエント急行殺人事件”をはじめとして数多く映像化されている。彼女が存命中だった60年代・70年代は勿論だが、意外なことに、2000年代に入ってもコンスタントに数本の作品が映画化されており、人気のほどをうかがい知ることが出来る。生誕120周年、没後30年と言った、節目の年が多かったと言うのもその理由かもしれない。
2000年代に映画化された作品のうち、3本はフランス人の映画監督、パスカル・トマがメガホンを取っている。1本はこの“ゼロ時間の謎”であり、本作に先駆けて製作されたミステリー・コメディ、“アガサ・クリスティの奥さまは名探偵”(’05)はフランス国内で200万人を動員したと言う。もう1本は“Le Crime est notre affaire”と言う、“奥さまは名探偵”の続編にあたる作品なのだが、残念ながらこれは日本では公開されていない。
もしかしたら00年代にアガサ・クリスティの作品が数多く撮られた背景には、このパスカル・トマとの幸運な出会いもあるのかもしれない。どんなに素晴らしい原作でも、作品の世界をよく理解し、情熱をもって製作してくれる者がいなくては、良い映画として残ることは出来ないのだから。
原作の“ゼロ時間へ”の舞台はイギリスであり、探偵役もスコットランドヤードのバトル警視と言うイギリス人であるが、本作ではフランス・ブルターニュ地方の海沿いの街へと舞台を移し、登場人物もフランス人へと変更されている。探偵役のバトル警視は、本作ではパリ警視庁のバタイユ警視として、国籍と名を変えて登場する。バトル警視は登場作品こそ数少ないものの、エルキュール・ポアロやミス・マープルと並ぶアガサ・クリスティ作品の重要な探偵の1人であり、バタイユ警視にもそのキャラクターは引き継がれている。
山奥や孤島など、俗世と隔絶した所にある大邸宅で起こる殺人事件を主題としたミステリーは、所謂「マナーハウス(別荘)もの」と呼ばれるミステリーの一ジャンルだ。原作の“ゼロ時間へ”は、マナーハウスものの傑作として知られる作品でもある。ブルターニュの美しい海を臨む白亜の邸宅。ここで事件は起こる。
屋敷の女主人は、高齢の未亡人・カミーラだ。盛夏が近づく季節、甥のプロテニスプレーヤー・ギョームが妻のキャロリーヌを伴ってやってくる。けれども、キャロリーヌは不満を隠そうともしない。理由は2つ。1つ目は、カミーラが彼女を「品がない」と嫌っていることを知っているから。そしてもう1つは、夫の前妻・オードがカーミラの招きで滞在しているからだ。
複雑な事情を持つ3人の他に、オードを密かに熱愛する親類の男・トマや、キャロリーヌの友人で職業不詳の遊び人・フレッドも館を訪れる。カーミラの身の周りを世話するマリにとっても、客人たちにとっても、この複雑な人間関係は頭痛の種であった。感情のもつれに加えて、カーミラの持つ莫大な財産もまた、彼らの中に横たわっている深刻な問題である。
誰が誰を憎んでいても、疎んじていても、全く不思議ではない状況が作り出され、果たして或る夜、ひとりの人物が命を落とす。そしてまたひとり、血の海の中で息を引き取っている人物が発見される──。
休暇で当地を訪れていたバタイユ警視は、やはり警察官である甥のルカと共に、乞われて事件の捜査をすることになる。この辺りが、いかにも王道のミステリーと言う展開で、推理小説好きの筆者などは嬉しくなってしまう。
名探偵と言えば、エキセントリックなキャラクターの持ち主として描かれることが多いものだが、このバタイユ警視は実直で優秀な警察官であり、かつ良き家庭人としての顔も持つ好漢である。強烈なキャラクターばかりの屋敷の住人と、良い意味で対照的だ。
推理小説を映画化すると言うのは意外に難しいもので、複雑な人間関係を説明することだけに労力が割かれてしまい、肝心の謎解きが解説不足や伏線の拙さによって消化不良に陥るパターンも往々にしてある。特に本格ミステリーを原作に据えた作品はその傾向が強く、原作ファンにとっては不満の残るものも少なくないように思う。
だがこの“ゼロ時間の謎”は、そのあたりのバランスが秀逸だった。ドロドロとした登場人物の相克を、不快感なく、かつ簡潔に説明できている。一方、事件を丹念に追いかけるバタイユ警視たちが脇役に回ってしまうこともなく、そして謎解きのカタルシスも味わわせてくれる。
秋の夜長に相応しい一作。是非ご覧いただきたい。

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