「限りなく透明に近い」青春を描く、ガス・ヴァン・サント監督がすき。
観たのはだいぶ前なのですが、もう忘れてしまいそうなので。
「青春」と言う、この世で最も美しい輝かしいもの、そして残酷に過ぎゆくだけのもの、既にそれが手元を去ってしまった人々はただなつかしみ、いとおしみ、まぶしがり、思い出を愛撫するしかないもの、しかし、その渦中にある人々にとっては重たく、悩ましく、うとましいもの──を、なぜこんなにも繊細に描くことが出来るのだろうか。
凡人は天才の、ガス・ヴァン・サントの作品を観るたびに、ただ驚き、感じ入るのみです。
有り余る時間を持てあまし、自分の立ち位置を測ることが出来るほど狡猾ではないがゆえに傷つき、自分の心を守るすべがない故に絶望し、他者との距離感もまだうまく測れない。
彼の映画に出てくるのは、そんな若者ばかりです。
この「パラノイド・パーク」も、そう言う少年が犯した罪と、彼の心の動きを、丹念に丹念に……まるでタペストリーを編むみたいに……追いかけている、そんな作品です。
「面白いの?」と問われてもしょうがないくらいの、もしかしたらたわいのないお話なのかもしれません。
でも、面白いのです。
ガス・ヴァン・サントの映画は、とにかく映像が美しい。透明度の高い、ノイズの少ない、色彩の綺麗な映像を撮る人です。少年や少女の戸惑いや苛立ちを、美しい映像が淡々と、しかし丁寧に接写して行く。そんなイメージ。
そして、物語の終盤、唐突にその退屈で透明な日常が終わり、物語を進めていた歯車が止まり、若者たちの抱えていた思いがそのまま観客に託される。そんな仕掛けの作品が多いように思います。
パラノイドパークはそんなガス・ヴァン・サントの得意技が炸裂している映画。
撮影監督がクリストファー・ドイル(ウォン・カーウァイの片腕として90年代に一世を風靡した人)で、この人の映像は相変わらず素晴らしくて、イメージの奔流にさらわれてしまいそうになります。
どこが、とは上手く言えないのだけど、そう言うガス・ヴァン・サントらしいエッセンスが凝縮された映画でした。
私はすごく好きだった。
90分弱と短い映画ですが、心に残ります。
リバー・フェニックスとキアヌ・リーブスが男娼に扮する青春映画。リバー・フェニックスのいじらしさとキアヌ・リーブスの残酷さが素晴らしい出来。これと「ドラッグストア・カウボーイ」と「カウガール・ブルース」で、南部三部作、と言うことになってるそうですよ。ヘザー・グラハムとかユマ・サーマンとか、出てる役者も、今も良い味出してる人たちが多くて、ガスさん天才やな!と思うことしきり。
7~8年前にカンヌ映画祭でグランプリ獲った作品。この作品はすごかった。良かった。渾身のレビューをかつてやってたブログで書いたのですが、詳細は忘れた(なんせ何年も前に書いた文章なもんで…)。ハイティーンの混乱と苛立ちをここまで親密に描いた映画なり小説なりが他にあるんだろうか。ポール・ニザンの「アデン・アラビア」の冒頭の文と同じくらいの衝撃を受けた作品でした。
僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。何もかもが若者を破滅させようとしている。恋、思想、家族を失うこと、大人たちのなかに入ること。この世界のなかで自分の場所を知るのはキツイものだ。 ──ニザン 「アデン・アラビア」
ガスさんの映画は他に、既にご紹介した「ミルク」とかも観てますが、どれも大体面白くて凄いなと思います。
あと、「サラ、いつわりの祈り」観た時に「ガス・ヴァン・サントくせーな」って思ったら、(今となっては解らないけど、少なくとも原作小説が上梓された当時は)J.T.リロイのことを支持していたらしく、「やっぱしwwww」って思った記憶が。
「サラ、いつわりの祈り」自体は、内容のスキャンダラスさと原作者の諸々に全部持ってかれた感はあるけども、主人公の男の子ではなく母親の「サラ」視点で観ると、1人の人間が親という存在の軛を跳ね除けるのがいかに困難であるかと言うことをまざまざと描いてくれていて中々面白い映画だと思うんですがねー。めっちゃ話が逸れましたけども。
なんかもう「ああ、実話じゃなくて良かった。こんな男の子はいなかったんだ」って思いが先に立っちゃう。でも面白かったよ。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥと、ペドロ・アルモドバルと、ガス・ヴァン・サント。好きな映画監督の作品について、やっと全員分書くことが出来ました。
ガス・ヴァン・サントの最新作で加瀬亮が出てる「永遠の僕たち」はまだ観てません。観たいです。そろそろDVDになるかなあ。