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【映画感想】この人の作品が好き。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

 2010/11/17にアップしました。

 好きな映画監督を挙げろと言われたら、まずこの人の名前を挙げる。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。
 映像も、ストーリーも、キャスティングも、映画を観る上で目が行く点全てに関して、本当に優れたものを作ると思うからだ。
 そして、その作品から、私が色々な意味を感じ取ることができるからだ。簡単に言えばテーマがわかりやすい、と言うことだけれども、そればかりでなく、観たあとにも折に触れて思い出す。彼の作品はこのように、自分にとっては心に残るものが多い。もとい、(そもそも作品数が少ないので)数は多くないが、打率が高い。
 イニャリトゥ監督の手がけた作品では、以下に挙げるものを観た。3本とも、いくつかの話が物語の進行とともに交錯していく筋立てになっている。こういう類の脚本は間違いなく面白いというのを以前の記事で書いたことがある。勿論、これら3本の映画も例外なく面白い。

 有名な方だし有名な作品ばかりなので、詳述はしませんが、私なりに感じたことをそそくさとご紹介します。

 タイトルは、「犬のような愛」という意味。
 犬が飼い主に向ける愛情はただ無垢で無心だけれども、それがために主以外の人間に牙を剥くことも時としてあるのではないだろうか。この映画には、愛が引き金となった暴力や愚行が描かれている。愛の喪失に直面した瞬間、人は犬のように牙を剥く。人もまた愛に悩める獣でしかないということだろうか。

 人が死ぬとき、その体は21グラム軽くなる、という昔の実験がタイトルの由来。
 カップ4杯分の茶葉とほとんど同じ質量が愛する人の体から失われたとき、人はその何倍の重さの十字架を背負うことになるのか。「アモーレス・ペロス」では喪失に直面した人の心の亀裂を描いたが、「21グラム」では亀裂を埋めるパテを探しはじめる人々を描き出そうとしている。
 その道程は簡単ではなさそうなことを予感させるラストだが、かつて自らも事故で家族を失ったイニャリトゥ監督の心の旅がそのまま表れているようである。

 前作前々作での、すれ違う愛情や伝わらない誠意、崩壊していく他者とのつながりと言った骨子が、この映画でも勿論主軸となっている。だが明らかに違うのは、そう言った不安定な日常を抱えた人物たちを登場させながら、彼らが目の前の状況に流されることなく、心を伝えよう、通わせようとし続けたことだ。
 イニャリトゥ監督がこれまでの作品では「喪失させる」ことによって浮き彫りにしようとしてきたものを、針と糸のような微かなつながりではあるにしても、この作品では「失わせない」ことで描こうとしているように思う。

 メキシコ出身であるイニャリトゥ監督の作品には、メキシコシティは勿論のこと、モロッコや日本と言った、「欧州でも北米でもない」土地が多く登場する。(語弊を恐れずに言うならば)「世界の中心」を舞台に据えないことで、却って人間の心の普遍性が明らかになる。われわれの祖先がすべからく神話と言うものを持っているように、物語は世界中で生まれ、悲劇も喜劇もそこにある。そしてその中心には、人の心がある。彼の映画を観るたびに私が思うこと。それは、どんなに愚かでも、卑しくても、弱くても、失望することなく「人間」を描き出そうとする、監督のまなざしの真摯さである。

↓2021年追記

 本稿を書いた後すっかり巨匠になった感のある御大。他にも素晴らしい作品をたくさん制作していますよね。今も大好きです!

 全てが最高すぎて泣くしかないやつ。

 イニャリトゥの映画ってほんとに喪失を埋めようとするストーリーばっかりで見てるこっちが辛くなってくるよな。これはマイケルキートンも最高だしエドワードノートンも最高だしカメラワークも話題になったし、私がコメントするまでもない傑作。





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