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古今東西刑事映画レビューその19:フレンチ・コネクション

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

1971年/アメリカ
監督:ウィリアム・フリードキン
出演:ジーン・ハックマン(ジミー・“ポパイ”・ドイル)
   ロイ・シャイダー(バディ・“クラウディ”・ラソー)
   フェルナンド・レイ(アラン・シャルニエ)

 1971年に封切られた、アメリカン・ニューシネマの流れを汲む犯罪映画──と、シネマガイドブックのキャプション的にこの映画のあらましを記しながら、ふと、この謳い文句は“ダーティ・ハリー”にもそのまま当てはまる、と言うことに気がついた。
 かつて小欄でご紹介した“ダーティ・ハリー”も、この“フレンチ・コネクション”と時を同じくしてアメリカで公開され、大ヒットを記録した。犯人逮捕に執念を燃やす刑事が主人公、と言う点も同じだ。しかし、実際に作品を観てみれば、本質はまるで違うことがすぐにわかる。
ハリー・キャラハンは、ヒーローである。だが、本作の主人公、ジミー・ドイルはそうではない。だから、ハリーのようなキメ台詞も無いし、あんな大口径のリボルバーは持っていない。ドイルは、あくまでひとりの刑事として描かれている。
 ニューヨーク市警の薬物対策課の部長刑事として日々職務に当たっているドイルは、そのタフネスゆえに「ポパイ」と渾名される男だ。彼が作中で追うことになるのが、フランスに拠点を構える犯罪組織。マルセイユからニューヨークへ麻薬の持ち込みを画策する彼らが築いた密輸ルート、その名が「フレンチ・コネクション」なのである。
 実は、ドイルと相棒のラソー刑事には、実在のモデルがいる。ニューヨーク市警の薬物対策課の刑事、エドワード・イーガンとサルヴァトーレ・グロッソだ。彼らがフランスから密輸されたヘロインを押収した顛末を描いた同名の実録小説が、本作の原作になっているのだ。
 そして監督のウィリアム・フリードキンは、ドキュメンタリー映画で実績を積み、この映画の監督に指名された人物だ。だから彼は、実話を元ネタにしたこの脚本に対し、徹底したドキュメンタリーの手法を使ってアプローチしたのである。この作品を制作するにあたって、まずモデルとなったイーガン刑事らに1年にわたり密着し、彼の刑事としての手腕だけでなく、人間性にも肉薄した取材を行った。時には主演のジーン・ハックマンやロイ・シャイダーを、取材現場に伴ったと言う。実際の製作の段階でも、刑事たちをアドバイザーとして招聘しており、実在の彼らの性格や立ち居振る舞いは、かなり忠実に作品に投影されている。
ドキュメンタリー・タッチなのは脚本だけではない。撮影はオール・ロケで行われた。それも、ただの屋外での撮影では無い。フリードキンは、ニューヨークの雑踏のど真ん中に俳優を放りだした。だから、道端に落ちているゴミも、道行く人々も、彼らが発するざわめきも、全てがノンフィクションなのだ。光源は極力自然光に頼り、手持ちカメラを多用している。故に、カメラは整然と役者を追わないし、光量が足らなくて映像はざらつく。まさにドキュメンタリーのような映像が展開して行く。
こんな風にして作られた映画の主人公が、フィクショナルなヒーローとして描かれるはずがない。そんなことをしては、全てが台無しになってしまうだろう。
だから、ドイル刑事はハンサムでも、ファッショナブルでも、ストイックでもない。女性にはモテないから、物語の中にはロマンスのかけらもない。捜査の為なら何だってする。犯罪者を平気で殴るし、店も壊す。人間として、全く完璧ではない。ただし、とびきり頭が切れて、とびきり腕が良い刑事だ。このギャップが面白いではないか。実際、人間とは、そう言う存在なのだ──ここでも、リアリズムが顔を出す。
本作が伝説的な作品となった理由のひとつに、圧巻のカーチェイスのシーンがある。逃げる男を執拗に追うドイル。逃走者は電車に乗るのだが、ドイルは間に合わなかったので、車に乗り込む。高架を走る電車を、その下の道路を逆走しながら追うのである。このシーンにもまた、リアリズムが貫かれている。車は公道を140kmのスピードで逆走し、スタントの車は数台で、その他の車は実在の車である。画面に漂う緊迫感は真実そのものであり、俳優の必死の形相も演技を超えている。フリードキン監督が「大事故寸前だった」とコメンタリーで振り返るこのカーチェイス、観ている途中から拍手したくなってしまう程の出来栄えなのだ。公開から40年経っても、このカーチェイスを超えるカーチェイスが登場しないとまで言われるのも理解できる。
ところで、ドイル刑事のモデルになったイーガン刑事。彼自身も半分伝説のような存在であったらしい。彼が一杯嗜むためにバーに立ち寄ると、先にそこにいたスネに傷持つ連中が逃げ出してしまい、店がガラガラになってしまったという逸話があるくらいだ。
日本にも、筆者が知らないだけで、もしかしたらそう言う伝説的刑事がいるのかもしれない。だとしたらいつの日か、日本版“フレンチ・コネクション”を観てみたいものである。


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