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此岸に残された人のこと。「グラン・ブルー」のおはなし。

  2014/1/9にアップしたやつ。

 すごい久しぶりになりました。
 2013年は77本映画を見てました。でも自宅で鑑賞した過去のものばかりです。最新作を劇場に観に行くのは、何だか億劫なのです。皆がパシフィック・リムとかテッドで盛り上がってても、おいてけぼり感満載なのです。あ、テッドは観ました。なんでアメリカのコメディって下ネタ満載になっちゃうのかなと言う根本的な違和感を除けば、テッドが可愛くてとても好きな映画になりました。マーク・ウォルバーグはなんでも出来る人になりつつあるね。

 少し話が逸れました。

 1988年公開の海洋映画。リュック・ベッソンの出世作。ここから「レオン」までの流れが神がかり過ぎてその後の評価が散々なんですけど、監督作はともかくヨーロッパ・コープで製作してる映画は「トランスポーター」「TAXi」「96時間」とか面白いバカアクション映画が多いので、私はリュック・ベッソンが結構好きです。
 この「グラン・ブルー」も、良い映画過ぎて世界中の若者が青い海に恋したようです。当時のことはあんまり知りませんが。ただ、漫画家のきたがわ翔なんかは影響を受け過ぎて91年から連載をしていた「B・B・フィッシュ」の話のテーマを根本的に変更すると言う荒技まで繰り出しました。当時中学生だった私が「何これ!?」と思ったその気持ちが30過ぎてもまだ心の底に残ってるのだから、相当ドラスティックな転換だったんだと思う。あまり覚えてないけど。後々「グラン・ブルー」の存在を知って「これが元ネタだったのかなあ」と得心がいったと言う思い出。

 美しいヨーロッパの海を舞台に、フリーダイビングに挑む幼馴染の2人の男の友情と愛を描いております。フランス人のジャック・マイヨールとイタリア人のエンゾ・モリナーリが主人公。ジャックは小さいころから小柄で内気な性格だった。長じてからもその性格はあまり変わらない、海とイルカに心から愛を注ぐ青年。エンゾはガキ大将がそのまま大人になったような男。フリーダイビングの世界チャンピオンであり、ジャックのダイビングの能力を誰よりも認めていて、いつかフリーダイビングの選手権でジャックに勝つことを夢としています。
 コート・ダジュールで再会した2人。エンゾはジャックをシチリアで行われるフリーダイビングの世界大会に招待します。同じころ、アンデスで偶然ジャックに出会っていたニューヨークの保険外交員のジョアンナもまた、出張を口実にシチリアへやって来ていました。
 エンゾとジャックは、性格から家庭環境から全く違う2人ですが、海に魅せられていると言う点で堅く結びついています。ジャックとジョアンナ(彼女を演じたロザンナ・アークエットがまた可愛い。多分リュック・ベッソンの好み)の間にも愛情が芽生えます。欧州の海辺の町での、おとぎ話のように美しい日々。フリーダイビングでめきめきと頭角を現すジャックの、良きライバルであり親友であるエンゾとの関係や、そして不器用ながらも心を通わせるジョアンナとの仲を、小さな挿話を積み上げるようにして描いていきます。
 ある日、ジャックの出した120mという記録を打ち破るべく、医師の制止を振り切って海に潜ったエンゾは、そのまま帰らぬ人となります。友の死に衝撃を受けたジャックもまた、ジョアンナを置いてひとり、海の底へ消えて行くのでした……
 みたいなお話です。
 ジャック、ひどい奴です。お腹の中に自分の子を身籠ってる女性を置いて、海の底に行っちゃうのですから。しかも潜水するためのシンカーのロックを彼女に外させると言う非道ぶり。ひどい奴だ! なんて思っていたのです。
 だけれども、それはジャック・マイヨールを人間として見ているから、そう思えるのかもしれない。
 ジャックとジョアンナの出会いはアンデスの山奥でした。エアタンクも背負わず、凍結湖に潜るジャックの姿に興味をひかれたジョアンナは、やがて水から上がってきたジャックと目を合わせるなり、一目で恋に落ちます。
 ジャックの美しい面差しと黒い瞳、はにかんだような表情、もう立派な大人なのに、どこか少年のように繊細な姿に、ジョアンナは心惹かれたのでしょう。そう、ジャックはいつでも「別の世界から来たかのような所在の無さ」を漂わせています。まるでこの人間界は自分の住む世界ではないとでも言いたげな奥ゆかしさを彼は持っています。
 それでいて、海でイルカと戯れているときには、まるで別人のように生き生きと、堂々とした姿を見せるのです。
 「あ、ジャックは人魚姫なんだな」と、私は思う訳です。つまり、別の世界の人なんですね。
 ジャックがジョアンナを一目で気に入ったのは、彼が初対面の彼女に「イルカ顔だね」と言ったその一言からうかがうことが出来ます。ジャックが愛してやまないイルカに良く似た女の子。だから、ジョアンナはジャックに愛されることが出来たんだと思います。ここでも、基準はあくまで海の中な訳です。
 だからジョアンナが「ちゃんと真っ当な仕事について、大人になって」なんてことを言ってもジャックは困るのです。何故なら、それは人間のやることだから。
 そんなジャックですが、エンゾと一緒にいると、少ししゃんとして見えます。パーティに出席したり、仕事をしてみたり、失恋して泣いてみたり。半分イルカみたいな日ごろのジャックとは少し違うわけです。エンゾの、他者を自分の思いにぐいぐい巻き込む人柄のせいもあるでしょうし、友人でありライバルという、社会性の伴った関係性だからと言う理由もあるように思います。
 自分を人間界と繋いでくれていたエンゾが死に、亡骸が海に帰ってしまったとき、ジャックをこの世に繋ぎとめるものは消えてしまったのでしょう。だから、女性と我が子を、あんなにもあっさりと置き去りにしていってしまったのではないでしょうか。
 鶴の恩返しとか、白蛇伝みたいに、グラン・ブルーもまた、人とイルカ青年とのおとぎ話だったのだと思えば、あのラストもそこまでジャックが非道に思えなくなります。異類婚姻譚というのは、ほとんどが破局で終わるものですから。

 「Go and see my love.」と言うのがシンカーのロックを外す瞬間のジョアンナのセリフです。「行きなさい、そして私の愛を見なさい」と訳されてました。このセリフからは、もう何と言うか男女の愛情を超えたものを感じます。冷たい海の中へあなたを沈めるという恐ろしい行為でさえも、あなたが望むからやってあげる、と言う。きっとジョアンナは、ジャックとの日々を通じて、彼が人間とは本質的に異なる生き物であると言うことに薄薄気付いていたのでしょう。だからこそ、ジャックがやってきたところに彼を返してあげる、慈母的な境地に達したのでしょう。
 慈母的、と言うより、ジョアンナは既にひとりの母なのです。そして、海の多産さと女性性、ひいては母性は、これはもう大昔から同一のものとして語られてきました。
母なる海、グラン・ブルー。グレート・マザーの待つ海へジャックは帰って行きました。ジョアンナと言う母性の中にも、彼の魂の片鱗は帰って行ったのでしょう。
そのように解釈しながら観ると、あのラストシーンは実に美しいものだったのだな、と思われてくるのであります。

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