コーエン兄弟にジャンピング土下座したくなった雪降る水曜日の巻。
2012/1/22にアップしたやつ。
本サイト的スコア…73点/100点
先日の“ノー・カントリー”に続いてコーエン兄弟です。
だいぶ前に“バーン・アフター・リーディング”について駄文をアップロードしたのですが、その時点での自分のコーエン兄弟に対する気持ちって云うのは「映像は洒落てる、話が意地悪」くらいな感じでした。そんなに好きじゃなかったのです。
それが“ノー・カントリー”観て、「あれ、コーエン兄弟すごくね?」ってなって、今回のこの“トゥルー・グリット”を観て、コーエン兄弟に謝りたくなりました。すまんかった。正直すまんかった。
1887年、アーカンソー州。牧場主の父親を雇い人のトム・チェイニーに殺され、金品を奪われた14歳の少女、マティ・ロス。彼女が父の仇を討つために助力を請うたのは、大酒飲みの連邦保安官、ルースター・コグバーンだった。当初は彼女の依頼を拒むコグバーンだったが、少女の熱意に押されてチェイニーの追跡を承諾。同じく、テキサスからチェイニーを追ってきたレンジャーのラディーフも加わり、呉越同舟の追跡行が始まる。
みたいなあらすじです。これで前半の20分から30分くらいまでで、話の枕としては長い気もします。彼らが旅立ってから、俄然物語は面白くなってきます。そこらへんはネタバレになるので割愛しますが、やはり筋運びのテンポが良い。最後までこちらを飽きさせないでグイグイ引っ張ってくれます。
主人公ら3人の人物像も魅力的です。悪役もキャラが立ってます。そして何より、役者が良いです。マティ役のヘイリー・スタイフェルドも、ジェフ・ブリッジズも、マット・デイモンも皆良かった。個人的には衣装も良かったです。特典映像なんかを観てると、衣装もかなりこだわって作られていたようで、「さもありなん」と言う印象。
セットや小道具といったディテールも含め、一切の手抜きの無い佳作。こう言うふうにして、力のある監督が、お金とスタッフの才能を惜しみなく使うと、こんなに良い映画が出来るんだなあと。
原作はチャールズ・ポーティスの小説で、結構忠実に作られているようなのですが、コーエン兄弟の映画に繰り返し出てくるモチーフをきっちり入れてくるのはウマイところでした。
彼らの作品では、人から何かを奪うと云う行為に対して、ほぼ必ず、報いが与えられます。それは、因果応報と云ったようなお説教めいたものではないのです。
コーエン兄弟は、人が生きていくうえで犯してしまう罪、業とも言える愚かさ弱さ、そのどうしようも無さを突き放した目線で描きます。それに対する報いの場面も、勝ち誇るでもなく、憐れむでもなく、同じ目線で描きます。後に残るのは、むなしさや虚無感です。そのドライな距離感がコーエン兄弟の作品の魅力のひとつなのだと思います。(わたしはそこがあんまり好きではなかったのですが)
けれども、本作は、そう云った無常感や諦念を上書き出来るほどに、人の心が持つ前向きな力に焦点が当てられていました。それがこの作品の素晴らしい所だと思います。
久々に観た「西部物」でした。最近、西部劇って本当に少なくなりましたね。でも、ジェシー・ジェームズとか、ワイアット・アープとか、実在の魅力あふれる人物が割拠していた開拓時代って、いい題材だと思うんですけどね。ジャンルとして滅ぶことはないと思いますが、この映画をきっかけに、また増えればいいなと思います。
コーエン兄弟が世に出たのは、サンダンス映画祭でインディペンデント・スピリット賞の監督賞を受賞した“ブラッド・シンプル”と云う作品がきっかけでした。サンダンス映画祭の「サンダンス」は、開拓時代の無法者、ワイルド・バンチのサンダンス・キッドが由来です。ささいな符合ですが、コーエン兄弟はこの映画を、撮るべくして撮ったのかもしれないなあ、なんて思ったりしながら、マジでジャンピング土下座、いやエクストリーム土下座さえしたくなったのでした。
2007年、イスラエルとフランスの合作映画。エジプトはアレキサンドリアの警察音楽隊が、文化交流のために派遣されたイスラエルで、若手の隊員の勘違いから迷子になってしまう。現地の食堂の女店主・ディナのはからいで一夜の宿を得た彼らの、地元の人々との交流も含めた人間模様を描いている。
第20回の東京国際映画祭のグランプリ作品です。東京国際映画祭はこう言う映画好きだよねー。
私も好きだけどー。
ちょっとファンタジックな設定に乗せて、人の心の繊細な様子をていねいにていねいに描いていく。日常の中に、非日常というエアポケットが出来て、そこで人がさらけ出す心の内。醜かったり、優しかったり、成長が有ったり、無かったり。
そう言う映画です。
かわいい映画でした。おっさん好きな人、ゆるいのが好きな人は、話のタネに観てもいいと思います。
それでは、また。