ちょっと古い映画だけどすごく良かった、「暴力脱獄」のこと
2015/3/15にアップしたやつ。
1967年の映画です。古いですね。しかし全く古さを感じさせない、良い映画でした。原題は「COOL HAND LUKE」で、主人公のニックネームなわけですが、邦題の「暴力脱獄」って言うB級どころかC級感あふれるタイトルで何かむっちゃ損してる気がする。もう私、タイトル聞いただけで勝手にB級映画だって思ってましたからね。なんか、荒れた学校での、生徒と教師の対決的なね、ホントにそんな話だと思っちゃいました。全然違いましたけど。すごく、良い映画でしたけど。だもので、ちょっと、思ったことを書こうかななんて思います。例によってネタバレしております。
ポール・ニューマン演じるルークは、酔ってパーキングメーターを意味もなくぶっ壊した器物破損の罪で刑務所送りになります。フロリダのど真ん中、乾燥した大地にあるそこは、刑務所と言うよりは戦争映画に出てくる捕虜収容所のような雰囲気。収容房も個室じゃなくて、2段ベッドが並べてあるし。
ここの刑務所が結構キツくて、朝から晩まで道路工事の重労働に駆り出されます。日中カンカン照りの中でも、勿論帽子なんて無いです。労働のあいまにちょっとした事をするときにも、看守たちに許可を求めなければいけない。暑くて服を脱ぐときには「ボス、服を脱ぎます!」で、ちょっと冷えて来たなと思ったら、「ボス!服を着ます!」って言ったような具合でね。それをライフルを抱えた看守たちが「よし、服を着ろ」ってお返事したりする。
こんなキツい労働を日々課されているワリに、ゴハンはいかにも美味しくなさそうなチリビーンズ的な何かとかで、ちょっと規則違反を犯すだけで小さな懲罰小屋にブチ込まれると言う中々非人道的な場所な訳です。
ルークという人はその刑務所の中でも、変におびえたり自分を良く見せようとしたりせず、あくまで自然体を貫きます。それだけでなく、殺伐としがちな刑務所の生活を少しでも明るくするような振る舞いを見せます。その態度が囚人のリーダー的存在、ドラッグライン(ジョージ・ケネディ)に気に入られ、刑務所仲間たちに愛され、尊敬を受ける存在となっていきます。
ある日、ルークの母親が亡くなったと言う知らせが届きます。囚人たちの人気者だったルークのことがちょっと煙たくなっていた看守たちは、それを口実に彼を懲罰小屋に閉じ込めます(里心がついて脱走したくなると良くないので、刑務所の外の作業はしなくていい。ただし皆が働いている間何もしないのはアンフェアなので、懲罰小屋の中にでもいろ、みたいな感じで)。
しかし、そんな看守たちの理不尽な振る舞いは、ルークの反骨精神に火をつけただけでした。かくして、ルークは刑務所を脱走しますが、しかしすぐに連れ戻されてしまいます。それでも諦めないルークは、2度、3度と脱走を繰り返し、彼に課せられる懲罰も苛烈なものとなって行くのでした…。
と言うお話。
この作品、観て行くうちにルークに対してある一つのイメージが重ねられていることに気が付きます。
それはキリストです。
囚人仲間との雑談がきっかけで、茹で卵50個の大食いに挑んだルークが、その偉業を達成して、ダイニングテーブルの上に横たわるシーンがあるのですが、その姿がまんま磔刑のキリストのようなポーズなのです。ルーク=キリストとして考えると、物語のそこかしこに聖書と同じ流れがあることに気づかされます。物語の前半、囚人たちの尊敬を集める彼は、12人の弟子を従えて布教活動を行う、奇跡物語に描かれるキリストのイメージです。後半、過酷な罰を加えられ(日中の労働を終えた後で、ひたすら穴を掘らされ、ひたすらその穴を埋めさせられ、また穴を掘らされ…という、肉体と精神の両方を痛めつけるヒドイものです)、フラフラになりながらもそれを行うルークは、まるで受難物語のキリストのようです。
そして、3度目の脱走、追い詰められたルークが逃げ込んだ教会で、神に語りかける姿は、磔刑に処せられたキリストの最後の姿を思い起こさせます。「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」、主よ主よ、なんぞ我を見捨てたもうや、という詩篇の句と、ルークのセリフは明らかに呼応しています。
ルークが神様の名前を呼ぶシーンは2回あって、それはまさに「受難」と「磔刑」に呼応するであろうシーンなんですけども、そこで勿論神様が彼の呼びかけに応えて、酷薄な看守たちに怒りの稲妻を落とすなんてことには勿論ならないわけです。ルークの苦痛は、それを齎す看守たちに這いつくばって許しを請うという屈辱を経て、もしくは彼自身の命でもってでしか取り除かれない。圧倒的な神の沈黙だけがそこにあるのです。
映画のホントのラストは、彼を慕う囚人仲間が思い出すルークの笑顔です。奴はいつも笑っていた、そんなモノローグと共に。ルークの無残な死によって、神の不在を見せつけられた囚人仲間たちは、しかしそれでもルークの笑顔を思い出すのです。
労働は終わらない、権力に刃向う人間は簡単に殺される。このあまりにつらい現実を、救ってくれる者は本当は誰もいないんだ。ルークは、自分の人生や尊厳が誰かに捻じ曲げられることに抵抗しようとして、それは叶わなかったけれども、力いっぱい生きた。その生き方は、囚人仲間のこれからの生の、何かの糧になったのかもしれない……。
そんな微かな救いがあるようなないような、終わり方。いやー、アメリカン・ニューシネマですねー。すごくアメリカン・ニューシネマだと思います。こう言う映画はとても好きです。基本的に救いのない映画だと思いますけれども、それでも人生は続くんだ、物語は終わらないんだ、みたいな感じが良かったです。ポール・ニューマンもかっこよかったです。
いちばん好きだったシーンは、病を押してルークに面会にやってきた母親と彼の語らいのシーン。戦場で功を挙げて一時は軍曹にまで出世しながら、最後はヒラの兵隊として除隊されたルーク(多分、この刑務所の中と同じように、理不尽なことをさせようとする上下関係とかにガマンが出来なかったんでしょうな)。そのあとも定職につかず、フラフラしている息子が、少しのはにかみと後悔をにじませつつ、自分はこう言う人間だからと語る姿、それを当り前のように承認し、無尽蔵の愛を込めた眼差しで見つめる母。このやり取りに胸が温まりました。すごく良いシーンでした。
個人的にはこの小説を思い出しましたよ(いや、全然違う話なんですけど)。スコセッシの映画版もちょっと楽しみです。