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古今東西刑事映画レビューその10:PTU

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

2003年/香港
監督:ジョニー・トー
主演:サイモン・ヤム(ホー隊長)
   ラム・シュウ(サァ刑事)
   ルビー・ウォン(チョン警部)

 タイトルのアルファベット3文字はPolice Tactical Unitの略。香港警察特殊機動部隊のことだ。制服の青いベレー帽にちなんで、「藍帽子」と現地の人からは呼ばれていたりする。
 組織の創設は1958年。日本の警視庁機動隊が、前身の警視庁予備隊から改称されたのが1957年のことであるから、ほぼ同時期に発足したとも言える。
 香港警察の公式ホームページによれば、彼らの任務は香港全土の治安維持、暴動の鎮圧などとされている。現地の知人に聞いてみると、街のパトロールをしているところをよく見かけると言う。この映画でも、彼らが夜のパトロールに出かけるところがファーストシーンとなっている。
 タイトルがタイトルだけに、PTUが暗黒街の住人と繰り広げる緊迫のドラマを想像してしまう。キャストの筆頭に置かれるホー隊長、彼と彼の率いる精鋭たちが、宝石のような香港の夜景の中を疾駆し、銃弾の雨をかいくぐり、悪人たちに正義の鉄槌を下す……そんな物語を。
 ところが、である。勿論、そんなシーンもあるにはある。しかし、舞台は百万ドルの夜景も消灯した、深更の香港。登場するのは、PTUばかりではない。犯罪捜査課の女警部や、組織犯罪科の刑事など、香港の治安を維持する面々が顔を出す。そこに暗黒街ものには欠かせない、マフィアや手下のチンピラたちも出張ってくる。本作は、1対1の勧善懲悪もの、などと言う簡単な構造にはおさまらない作品なのだ。
 冒頭の、火鍋屋での食事のシーンがまず素晴らしい。マフィアの幹部と手下が、自分たちの気に入りの席に座っていた先客の若者を脇にどかして食事を始める。ここまではよくあるシーンだが、更にもう一客、今度は組織犯罪科の刑事・サァがやってくる。サァもまた、自分の気に入りの席に陣取っているマフィアたちをその席から追い出し、悠然と火鍋を食べ始めるのだ。この一連のシーンだけで、彼らの力関係や感情のもつれを見事に表現している。そればかりでなく、のちに繋がる重要な伏線まで張っているのだから、お見事としか言いようがない。
 さて、マフィアたちに要らぬ恨みを買ったサァ刑事は、彼らによって手ひどい仕返しを受ける。愛車に十円キズをつけられ、ペンキをかけられてしまうのだ。怒ったサァ刑事は彼らを追い掛け、追い詰めるのだが、なんと道に落ちていたバナナの皮に滑って転び、したたかに頭を打って失神してしまう。目が醒めた後、サァ刑事は、所持品の拳銃を紛失していることに気づく。
 そこに登場するのが、PTUの一部隊だ。隊長のホーは、旧知の仲であるサァに懇願され、本部に報告をしようとする部下を制して、数時間だけ、朝の4時までと言う期限を設けつつも、サァが拳銃を探すことを黙認する。
 上司から殺人事件現場への出動を命じられて向かった先で、サァは先程火鍋店に居合わせたマフィアのリーダーが殺されたことを知る。もし手下たちに自分の銃が奪われていて、彼らがその銃を使って復讐を始めたら、来月昇進を控えた自分の進退が危うくなる。サァ刑事は事件の捜査もそこそこに、失くした拳銃を探すため姿を消す。偶々現場に居合わせた犯罪捜査課(CID)のチョン警部は、挙動不審なサァに疑いのまなざしを向ける……。
 「拳銃を失くした刑事」と言うのは、黒澤明の名作”野良犬(’49)”を思い起こさせるモチーフだ。サァ刑事に与えられた時間の短さと、彼の犯した失態がいつ明るみになるかと言う緊迫感でもって、観客をぐいぐい引っ張って行く物語の縦糸。そこに絡みつく横糸は、PTU内部の軋轢とか、PTUとCIDの反目であるとか、それぞれがもう一つの物語として成立しそうな確りとしたプロットを備えたものから、ただのエキストラとしか見えなかった人物が予想外の行動を起こすと言ったような、飛び道具的なものまで様々だ。彼らが各々の思惑をもって立ち回りながらも、偶然と必然に翻弄され、「明け方4時、広東道にて」と言うキーワードに吸い寄せられてクライマックスに向かって行くあたりは圧巻だ。
 そして何と言ってもラストシーン! 詳細を書くことは無論出来ないが、「それは無いでしょう!」と思わず声が出てしまうような仕掛けが用意されている。このオチも含めて、この映画、物語の緩急の付け方が中々巧い。街角の何と言うことは無い火鍋屋での食事のシーンが一転して物語の起爆剤になったり、繁華街の小汚いゲームセンターでの小競り合いが執拗な暴力のシーンに発展して行ったりする。
 何回か前の”インファナル・アフェア”に続き、香港発の作品としては2作目のご紹介になった。男同志の誇りがぶつかりあい、格調の高さすら感じさせる”インファナル・アフェア”とは違い、本作の登場人物たちはかなりいい加減で、狡猾で、人間臭い。88分と言う短さもあいまってか、肩の凝らない娯楽作品に仕上がっている。”インファナル・アフェア”とほぼ同時に公開された、同一ジャンルの作品でありながら、まったく趣向の違うこの作品。香港映画の奥深さを、感じさせてくれるものである。

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