古今東西刑事映画レビューその4: インサイド・マン
2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。
インサイド・マン
2006年/アメリカ
監督:スパイク・リー
主演:デンゼル・ワシントン(キース・フレイジャー)
クライブ・オーウェン(ダルトン・ラッセル)
ジョディ・フォスター(マデリーン・ホワイト)
きそうてんがい【奇想天外】
[名・形動]普通では思いもよらない奇抜なこと。またそのさま。▽「奇想」は普通では思いつかない奇抜な考え。「天外」は、はるかかなたの空、思いもよらない所の意。「奇想天外より落おつ」の略。
(三省堂:新明解四字熟語辞典)より
スパイク・リーが6年前に世に送り出したこの映画は、まさに「奇想天外」なアイデアが随所に散りばめられた作品だ。と言っても、CGやVFXを駆使したファンタジー大作と言うわけではない。本作は、現代のニューヨークを舞台にしたクライム・ムービーである。
映画の冒頭、ひとりの男がカメラに向かって語り始める。
「私の名前はダルトン・ラッセルだ。二度と繰り返して言わないので注意して聞いていただきたい……」
男は自らが「銀行強盗」を働き、しかも「完全犯罪」をやってのけた、その一部始終をご覧にいれよう、と大胆にも挑発してくる。一体どういうことだろう、と身を乗り出したが最後、我々観客は映画の世界に引きずり込まれていくことになる。
ニューヨークのど真ん中で事件は起こる。ペンキ業者を装った4人組が、マンハッタン信託銀行に白昼堂々押し入った。彼らはその場にいた客と行員ら50人を人質にとり、立て篭もる。犯人の要求は「人質を乗せて移動できるバスと、燃料満タンのジャンボジェットを用意すること」。犯人との交渉を担当することになったフレイジャー刑事(デンゼル・ワシントン)は、ジャンボ機の準備に時間がかかることを逆手にとり、犯人たちを焦らせる心理作戦に出るのだった。
冒頭で主犯格のダルトンが「完全犯罪」をやったのだと豪語する通り、彼らの計画は緻密で豪胆、かつ、奇想の連続である。ただ、このアイデアがあまりに奇抜過ぎたり、ご都合主義だったりすると、一瞬で客は興ざめし、物語は台無しになってしまう。その点を、本作は実に注意深くクリアしている。画面の隅々、セリフの端々に巡らされた伏線は終幕に向けて鮮やかに収斂されて行き、全ての偶然は実は犯人たちの仕組んだ必然である。物語が終わってから振り返ると、それらが実に効果的に、破綻無く配置されていたことに気付く。見事なトリックの渦中に、我々は放り出されていたのだ。
この物語をより面白くしているのは、「犯罪者とそれを追う刑事」と言う構図に、更に別の思惑を持った人物が絡んでくる点だろう。銀行の取締役であるアーサー・ケイス(クリストファー・ブラマー)と、彼が雇った弁護士のマデリーン・ホワイト(ジョディ・フォスター)。よくありがちな銀行強盗ものなら「慌てふためく脇役」と言ったポジションが振られるくらいなのだろうが、本作は一味違う。彼らは物語の核心に迫る事実を知っていて、事件の当事者たちに積極的に関わってくる。この映画を単なる「刑事と銀行強盗の知的ゲーム」で終わらせず、重厚さと奥行きを与えてくれている。
犯罪者たちが狡猾であればあるほど、刑事たちもまた有能でなければ、クライム・ムービーの面白さは半減してしまう。もちろん、本作の刑事たちは間違いなく魅力的だ。たとえばフレイジャー刑事。野心家だが、警察官としての信念を決して曲げない好漢として描かれる。知的で、硬軟合わせ持つキャラクターは、デンゼル・ワシントンが最も得意とする役柄かもしれない。
相棒のミッチェル刑事(キウェテル・イジョフォー)や、現場を統括するダリウス警部(ウィレム・デフォー)との掛け合いもユーモラスで、緊迫した物語を良い意味で中和してくれている。
監督のスパイク・リーは今まで一貫して人種問題を扱って来た。やはりデンゼル・ワシントンとタッグを組んだ“マルコムX(’92)”はその代表格で、社会派の作風が世に広く知られている。そんな彼が「娯楽」に徹して撮った映画が、こんなにも面白いものになることを予想できた映画ファンは、決して多くは無かっただろう。ニューヨークと言う雑多な人種が集まる街だからこその展開や演出は、スパイク・リーの得意技だ。自分の持ち味を遺憾なく発揮したからこそ、ここまでの作品が撮れたのだろう。
舞台を熟知した監督、確かな演技力を持つ役者、抜群の脚本、スタイリッシュなカメラワーク。「ここはちょっとイマイチだった」と難癖をつける箇所が全く無く、最初から最後まで楽しめ、遂には2回、3回と繰り返して観てしまいたくなる。そんな面白さ満点の娯楽映画である。
是非、刑事たちと共に、難問解決に挑んでいただきたい。今までにない知的興奮を味わえるはずだ。