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写真を撮ることはタイムマシーンの行き先を追加することだ
何故写真を撮るのか。それを書きたいと思う。今時写真を撮らない人はなかなかいないから当然、何故フルサイズ一眼を使ってまで写真を撮るのか、という質問だ。
過去に戻りたいですか、というありきたりな質問から始める。筆者は懐古厨なのでそんな事がよくある。ここでいう「戻る」っていうのは、それでどうするのか、という視点からすると二種類あって一つはネガティブな場合で主に「やり直したい」ケース。もう一つはポジティブな場合で「もう一度やりたい」ケース。前者について私が手助けできることは何もないので今すぐにそのブラウザを閉じていただいて結構だ。ただ何か方法が明らかになったら再度ここを訪れることだけ覚えていて欲しい。そして私に教えて欲しい。
ここでは後者について話そう。もちろん写真があろうが現在のテクノロジーでは依然として過去の出来事を再度体験することはできない。やりたいことは写真に記憶を呼び起こす手助けをしてもらう、という事だ。ここで考えられることは、記憶が鮮明であればあるほど、現実味があればあるほど、それはだんだんと体験の様相を呈してくるという事だ。すなわち最終的に完璧な記憶の再現は過去を再体験することと同義になるわけだ。人々はその内なる記憶に笑い、悲しみ、そして泣く。そう、十分に鮮明化された記憶は体験と区別がつかないのである。あぁ、落ち着いて、怒らないで欲しい。これは仮定を極端にする事でめちゃくちゃな話の筋を通そうという、それだけの話であるから続けさせて欲しい。そしてこれをタイムマシーンと呼ばせて欲しい。
さて、このタイムマシーン、好きな時間に戻る機能は無い。これは自明のことで自分がシャッターを押した瞬間しか行き先に登録されていかないからだ。そこでこの行為をタイムスタンプを押す、と表現したい。この文章中にもう一度使われるかどうかすら不明だがとにかく思いついていい感じだと思ったので書いた。この機械では後から戻る時間を指定は出来ないが心配は無い。君がカメラを愛しているならばその瞬間は逆行先として登録されているはずだ。なぜならばこれもまた自明でカメラを向けている時点で君は既に「この瞬間を記録として残したい」と思っている、すなわち将来この瞬間は時間の逆行先となるであろう、と感じ取っているからだ。だから日常であぁこれは良いな、と思う瞬間があったら臆さずにカメラを構えて欲しい。携帯電話で結構だ。人によってはつい周りを気にしてそれをためらってしまうかもしれない。そんな時は一眼を使おう。それっぽいカメラをぶら下げていれば君は写真とる機械か何かと周りから認識されるのであまり気にならなくなる。結婚式などに参加した時は良い場所を譲られる事すらあるぞ。
そしてそれは利点にもなっていて、戻りたくない瞬間は行き先に登録されないのだ。冒頭に述べたやり直したい瞬間は基本的に行き先に登録されていないだろう。ネガティブな場面において人はカメラを構えないからである。どうせやり直せないのに戻る必要はなかろう。例外は撮った時はポジティブな瞬間だったが時を経てそれはネガティブな瞬間へと変わってしまった場合である。例外とはいったものの、これは例外と呼べないくらいメジャーであるから、それらは変化してしまった時点でハードディスクの奥底にそっとしまう事だ。筆者はデータの削除はしない主義だ。限りなくゼロに近かったとしてもそれが再びポジティブになる事もあるかもしれない。そして何かしらの意味は変わらず持ち続けるからだ。そこはデジタルなので意図的に開かないと辿り着かないところにしまえばよろしい。なぜならばこのタイムマシーンは自動的に作動するからで、正直そんな場面を無料アプリの広告のように勝手に再生されたら精神が崩壊する可能性がある。ましてや写真アプリには決して入れてはいけない。お節介にも「この日の思い出がありますよ」みたいな所業をいつやってのけるとも分からないからだ。
記憶を呼び戻す媒介としての写真。この役割があるので写真にはその時どういう風に見えていたのかが写っていて欲しい。これは主観的な感覚も含めて、である。だから写真は撮った後に自分が見えていたように調整する事でさらに意味のあるものになる。場合によっては非現実的な色調になるかもしれないが「そう感じた」のならばそうするのが一番だと思う。つまりカメラにはそういった事が実現できる機能性が必要であり、今のところそれをフルサイズ一眼に見出している、という事だ。
長くなったがこれらが「写真を撮る」理由だ。正直その瞬間を楽しむ事を代償にしているとさえ思うけどそれは受け入れている。良い写真になっているほど呼び戻される記憶の精度が上がるからである。自分でファインダーを覗いてシャッターを押す事もその写真に付随する記憶になるから大事だし、苦労した事もまた同様だ。
20年後、タイムトリップが出来るような写真が手元にあるだろうか。ある。そしてそれらはこれからも増え続け、タイムマシーンの停車駅を作り続けるだろう。次なるテクノロジーがやってくるその日まで。