無邪気の悪魔。
もう四年になる。
僕が最後に柔道着に袖を通してから過ぎた時間のことだ。
四年といえばすごい。
オリンピックの周期であり、小学六年生は高校一年生になる。16歳の少年は20歳になり大人だ。だけど、20代も真ん中を越えるとそれほど時間の感慨は色濃くなくなる。
働き始めてしまうと、1日1日のありがたみなんていうのはほとんど感じられなくなる。おかげさまで、四年、という言葉が持つ重々しい響きほどには実感として時間の経過を感じられていない。
久しぶりに道場に顔を出してみようか。
そんな気になったのは偶然かもしれなかったし、もしかすると何かの運命だったのかもしれない。
僕は押入れの奥に仕舞い込んであった柔道着を引っ張り出すと、
師匠に連絡を入れて町道場に出向いた。
車を飛ばしているうちに、何故だか少し緊張する自分がいた。
晴れやかな天気で、土曜日で、昼から夕方までの時間帯に稽古をしている。
明日は筋肉痛で1日潰れちゃうかもなあと思っていた、呑気な僕に忸怩たる思いがある。
大きな駐車場が併設されているために、車を止める場所に困ることはない。
家からそれほど離れている場所ではないのに、車を降りるととても懐かしい匂いがする。
小学校の頃から通った、この道場の周りの、甘酸っぱい匂いだ。
風が吹いて、秋空の美しい雲が流れていく。
みたこともない子供たちが色とりどりの帯をそれぞれに巻いて、
楽しそうに集っていく。
「こんにちわー!」
とみたこともない僕にも口々に挨拶をしてくれる。
今でも無邪気で、いい子たちが育っているんだな。
と何やら目頭が熱くなるような思いがこみ上げてくる。
なるほど、こんなところに四年という月日が蓄積していたんだなあ。
この前には感じなかった、いろんなことを思う。
この子たちが一人一人、未来に大きな夢を抱いてこの道場に通っていると思うとそれだけでどうにも泣けてくるというのがすごい。
歳を取ったんだな。という実感が芽生えた瞬間だ。
道場に一礼をして入ると、師匠が相変わらずニコニコと出迎えてくれた。
「久しぶだな。」という言葉に「ご無沙汰しております。」と応える。
それだけで四年の時間が埋められていくような思いがあった。
久しぶりに袖を通した柔道着は、心なしか少し小さい。
また新しいの買おうかな。なんてことを思っているうちに練習が始まる。まずは少年の部、小学生たちだ。この道場で育った中学生や高校生が少年の部のお手伝いに来るのも道場の特色だろう。
少しだけ知った顔もある。
懐かしく楽しい時間は過ぎて、ワイワイと大人たちが集まってくると一般の部が始まる。その中には正にしった顔も多く一瞬同窓会のような雰囲気がある。
そんな中に彼女の顔があった。
帯の色は白。
女子高生か、よくて女子大生。
キリッとした目つきがよく似合う美人だった。
「あの人は近所の大学生なんだって。」
たまたま大人の部に居合わせた後輩が話の隙間に教えてくれた。
なるほど彼女はポツネンと一人で佇んでいる。
所在無げにしている様がいかにも可愛らしい。色白の肌と後ろで括った黒髪と柔道着がよく似合う。
大人の部の練習が始まって、基礎練習が終わると寝技が始まった。
僕はなんとなく大上段に構えて「お願いします!」と寄ってくる中学生の相手をしていた。
懸命に押さえ込もうとしてくる未完成の技術や体をポンと軽く弾き返すくらいのことはまだできる。僕はなんとなく息切れもしながら、それでも熱くなって、体が喜んでいるのをひしひしと感じていた。
こうたーい。
という声が聞こえて、組んでいた中学生と礼をして分かれるとすぐに袖を掴まれた。ふと見ると、そこには例の女子大生がおずおずと佇んでいた。
「あの・・・お願いします・・・。」
「あ・ああ。はい。お願いします。」
至近距離で見る彼女の顔は実に整っていて、綺麗だった。
いつもの調子で下になって受けてみると、彼女は実に外連味のない技術で
足を乗り越えて僕にしがみつくように押さえ込みにきた。
へえ・・・。
素直に感嘆したのだ。
彼女はいわゆる素人だと思っていた。体に芯のない、フニャッとした女の子らしい女の子。そんな感じだと思っていたし、そんな見た目だ。
が、どうも違うらしい。
その猫のような身のこなしは僕を十分驚かせた。
かなり素早く横四方固の体勢に組みついてくるので
僕は少し焦って、大人気なく彼女を振り解いてうつ伏せに逃れた。
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