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そこにある心は。

 きょとんとした顔。
どこかオドオドとしていて、喋りかけられるとぴょこんと飛び上がる。
彼女に対する僕のイメージはたったそれくらいだ。

静かで、優しくて。
そしてとても可愛い。

身長は160センチもないくらい。
肩までの少し長い黒髪をサラサラとさせて
制服はきちんと着こなしている。
学級委員長とまでは言わないが
真面目度でいうとかなり上位にランクインするんだろう。
うちの高校の女子の制服は可愛らしく、彼女はそれがよく似合っていた。

彼女の名前は今田伊織。
少し古風な名前ではあるが
やたら女の子として可愛いという印象だ。

彼女と僕がお互いの姿を認識したのは、
お互い図書委員になった時のことだ。

「よ・・・よろしく。」
と声をかけると彼女は、ぴょこんっと飛び上がって驚いたように綺麗な、可憐な声で「よ・・・よろしくお願いしますっ・・・。」と顔を少し赤らめて返答をくれた。

図書委員とは何をするのかというと、
一週間に一度放課後6時半まで図書室で貸出や返却などの業務を行うというそれだけのことだ。
うちの高校の図書室は大きい。蔵書数はかなり多い方だ。
読書好きの僕からすると、無制限にいろんな本が読めるというのはかなりありがたい。普段は友達と遊んだり家でゲームをしたりと忙しい僕だが、委員の仕事として図書室に押し詰められる日が週に一度あるというのは実は健全なことだ。

初めての委員の仕事の日、僕は図書室の独特な匂いを胸いっぱいに吸い込んで、どれどれとミステリーの書棚に足を運んだ。何だかんだと歴史的な名作がたくさん並んでいるのも魅力だったが、つい先日映像化された綾辻雪人の作品を一つ手に取った。

「百角館の殺人。読んでみたかったんだよなあ。」

じゅるりと涎が溢れてくる感覚がした。
百角館の殺人とは百角形をした建物の中で起こる殺人ラブコメディで、
最終的には氷山にぶつかった巨大客船が沈んだり、大きな天体が降ってくるのをロケットに乗ったアメリカ人がなんとか堰き止めたり、友好的な宇宙人が出てきて人差し指が光ったりするクライマックスを迎える、彼のデビュー作にして最高の作品と名高い国産ミステリーの名作だ。

そして嬉しい誤算はうちの高校には放課後になってまで図書室に来ようという奇特な人間はないらしくいつまで経っても扉が開くことはなかった。
僕と彼女はそれぞれお気に入りの本をカウンターの中に持ち込んでそれを読み耽っているまま、時間だけが過ぎていった。

チャイムが鳴ったのは、かなり読書に没頭している時だった。
「タイタニック号は80名の乗客を乗せたまま、ゴゴゴと音を立てて大西洋の大海原のど真ん中に飲み込まれていった。ちょうどその時アルマゲドンが・・・・」というかなり良いところでのチャイムは、僕を一気に現実世界に引き戻してくれた。

隣にいた彼女も同じようで、手にしていたのは「ベルサイユのバカ」という少女が好きそうな劇画タッチの小説でちょうどオスカルというアライグマが主人公のわたあめを持ち逃げしたところでチャイムが彼女をこの世界に引き戻したらしい。彼女はハッとしたように顔を上げて、ここが自分が通う高校の図書室であるということを思い出したようだった。

「じゃあ、帰ろっか。」

僕は彼女の愛らしい姿を見て心をときめかせながらそう言った。
彼女は「う・・・うん、そうだね。」とぴょこっと飛び跳ねながら言った。僕がその場にいないような、唐突に何もない空間から声をかけられたようなそのびっくりのリアクションはいつ見ても可愛らしい。

次の週には僕は「百角館の殺人」を読み終え、続編である「百一角館の殺人」を読み始めた。
それも次の週には読み終えた。

割と快適な高校生活だ。と思った。
図書委員の仕事を軸に、一週間の区切りがはっきりとする。
漫然と土日を楽しみにしているより、週の真ん中あたりで一度区切りが訪れるのは気分転換にも最適だと言えた。

そして僕は彼女と少しずつ会話をすることができていた。

彼女もまた、図書委員の仕事を気に入っているようだった。
絶対に客の来ない店を二人で運営しているような
少し他のクラスメイトに対する感覚とは違ってきているのがわかっていた。

その日僕は、なんだか読書をする気にならなかった。
いくら本を読むのが好きでもこう毎週毎週3時間じっと座って文字を眺めているのに飽きる時はある。
手元に置いたのは「三百八角館の殺人」。もう何が何だかわからない内容になっているのも本を読む気にならなかった要因の一つかもしれない。
書き出しは「ナイフがグサグサと言った」だ。文学としての価値はすでにゼロと言っていい。書くことがなければやめれば良いのに。と思った。背もたれのない椅子に座って、客が来ないことをいいことにカウンターの陰になっている机に突っ伏す。かといって眠れるほど環境は快適ではない。静かであるということは間違いないが。

隣を見ると、彼女は飽きもせず熱心に本を読んでいる。
何読んでんの。と声をかけたかったが本を読んでいる途中に声をかけられるほどイラつくことはないのを知っているためにやめた。
読んでいる本が殺人系の本なら影響を受けたままに、声をかけてきたやつをぶっ殺してしまいそうになるものだ。

彼女の読んでいる本の背表紙を見るとはなく見る。
「戦場の悪魔」というタイトルだ。
聞いたこともない。作者は・・・・「諭吉」とある。
福沢諭吉でもなさそうだし。こっそり覗き込むように眺めると表紙には迷彩柄のビキニを着た女の子のイラストが書いてある。なるほど、これはライトノベルだ。それにしても物騒なタイトルだ。結構、そういう激し目なのも読むんだなあ。ギャップ萌えだわあ。と気持ち悪く鼻の下を伸ばしていると、彼女は僕に目を向けた。
大きな瞳だなあとぼんやりと思っていると、「あの・・・・。こ・・・ここ読んでもらえませんか・・・・。」と僕にその本を差し出した。彼女のか細く、可憐な声と比例して美しい指先がとある段落を示している。

「ウェ・・?どしたの?」

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