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新しい生活。1
田中良二がこの仕事を始めたのは、世界が恐慌に突入してしばらく経ったある日のことだ。
ただの流行病はあっという間に世界を変えて、あらゆる人々の生活を変えて、そしてその波は田中良二の生活にも影響を及ぼした。経済も、健康も、仕事も、そして人間関係も。何もかもが明確にそれ以前と以降で分かれるほど、強烈な影響があった。
ある日いつも通り会社に行くと、ほんの小さなオフィスに社長以下たった数名の社員が全員集まっていた。まるでお通夜のように静まり返って沈痛な雰囲気はこのところの業績の悪化に伴っていつ来るともしれないそのXデーの到来を示唆していた。外の晴渡った天気や、過ごしやすい季節の温度とは隔絶された暗い部屋。蛍光灯が煌々と光ってなお、その暗さを払拭できない。
むしろ人工的な灯には、取りつく島もない。
「すまないけど、もう君らに払ってやれる給料がないんだ。」
皮肉なほど晴れた空が、顔色をなくした社長のその言葉を受けて小さな会社を後にした良二に「辛いのは世界でお前ただ一人なんだよ。」と言っているような気がした。
失業保険はありがたいことにすぐ支払われた。
失業してしまったけれどグズグズとごまかしながら、給料の未払いを出した上に雲隠れをする社長でなくて良かったな。と思えるほどに心が回復した頃、やはりそれでも自分で何か始めなければこの先の人生がまずいと思い立った良二は自分で何ができるかを考え始めた。
まだ26歳。若いといえば若い。
自分の可能性を信じるほどに子供ではないけど、まだそれを諦めるほど大人ではない。一人暮らしの狭いアパートでノートパソコンを開けて、今世の中の需要がどこにあるのかを必死になって探した。
まだ失業保険が出ているものの、しかしそれだってすぐに終わる。
それまでに何も思い付かなければそれはまあ、実にやばい。
焦りが募る。が、しかし天啓はすぐに訪れた。
「そうだ!人の役に立てばいいんだ。こんな時代だし、買い物に出るのもいやだと思う人がいるかもしれない。みんなのめんどくさいを代わりにやればいいんだ!」
誰もいないアパートで強い力を持った閃きに背中を押されるように、その場で良二は「何でも屋」のチラシをネットにて入稿した。どれほどの反応があるのかはわからないが、しかしやってみる価値はあるだろう。
良二はチラシの到着を待って近所にそれを撒き、そしてホームページも立ち上げた。
「まあ、こんなもんだろう。」
良二が自分の考えたシステムにOKを出した頃、もう空は白み始めていた。しばらくの間良二の頭の中を覆い尽くしていた不安が一抹の緒から安堵へと転じる。目を閉じると体が溶け出すような快感と共に久しぶりに穏やかな気持ちで眠りに落ちていった。
「むにゃ・・・。」
床でそのまま寝転んでいた良二は体の痛みに目を覚まし、
そしてやはりそこにある自分が考え出した仕事に安堵を噛み締めた。
次の瞬間には手元に転がっていたスマホがブン・・・とメッセージの着信を知らせた。
誰かな・・・。とそれを見やるとつい数時間前に自分のアドレスと紐付けたホームページからの問い合わせだった。それは一気に良二を高揚させた。
「おおおおお!!!嘘だろ!!そんなすぐに来るか!!」
良二は早速舞い込んできた仕事に目を通した。
なんてことはない買い物の代行なのだが、それでもただ無価値に過ごしていたこの数日を取り返してくれるほどには嬉しいニュースだった。
簡単な買い物を済ませてクライアントに渡すと、報酬として2000円を受け取った。「一回の単価が2000円だと、まあ、一日5件もあればそれなりかなあ。」良二は嬉しそうにそれを財布に仕舞い込んでそんな独り言を言った。
スマホをチェックしても、しかし続け様にオファーが来るようなことはなかった。
「まあ、こういうのは日進月歩。五十歩百歩だな。」
あまり期待しないようにしながらも、この始めたばかりの仕事に大きな熱量を向けて良二は燃えていた。
パラパラとオファーが来ては、波がある。そんな日々を過ごしているある日また問い合わせが入った。
「家事のお手伝いをしてくれますか?」
という問い合わせに良二はすぐさま返事を返した。
「なんでもやります!」
「良かった!では明日の夕方6時に〇〇マンションの813号室に来てもらえますか?」
良二はそれがどういう仕事なのかもはっきり認識しないまま、
次の日の18時、指定されたマンションの少し豪勢なオートロックの玄関のインターホンを鳴らした。
「はーい」と住人の声が聞こえる。かなり若い女性の声だった。
「あ、あの家事代行に来ました!」
少し思っていたのと違うなあと感じながらも良二はそう言い伝えてオートロックを開けてもらうとロビーにソファが置いてあるような豪奢なマンションのエントランスに足を踏み入れた。白と金とに基調を置いたとても綺麗なマンションだった。二機並んでいるエレベーターに気圧されながら片方に乗り込むと8階を押した。
少しだけ緊張するのは、不況に煽られて仕事をなくした自分の劣等感の現れだろうか。と、良二は小さなため息を漏らした。
少し長い廊下の突き当たりに、その部屋はあった。
いつもみたいに気軽にチャイムを鳴らせばいいのに、気遅れてしまう。
良二は少しだけ下唇を噛み、劣等感を押し殺しながら呼び鈴を押した。
「はーい。」と、また若い女の声がして程なくして扉が内側から開いた。
良二はその顔を見て、ガチッと体が固まってしまったのを感じた。
「え・・・・。」
それは何度もテレビで見たことのある、今をときめくアイドルグループのメンバー。山下明日香だった。
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