なぜ徳川まつりは姫になろうとしたのか
はじめに
近ごろ、アイドルマスターミリオンライブの徳川まつりにどハマりしています。アイドルとしてON/OFF問わずなぞの姫キャラを演じるまつり(本人は演技であることを否定している)は自由でフワフワ、個性的な口癖と19歳のわりにあどけない顔立ちが特長で、愛嬌もあってポップで可愛らしいお姫さまです。
そんなフワフワキャラの一方で、まつりの実態は聡明で思慮深くスポーツ万能、さらに調和や協調性もあり、アイドル仲間やファンに対してさりげないフォローや気遣い、面倒見の良さを発揮する頼れるお姉さんでもあります。
そんな完璧超人なまつり姫も、肉親である妹とは(愛情が空回りしているのか)折り合いがあわず反抗されたりケンカしたりで悩んでいるご様子……
とは言え、私がまつり姫のことを大好きな本当の理由は他にあります。
それは……
コンテンツが10周年を迎えてなお、まつり姫にはなぞが多すぎる。
という点です。
ここで言うなぞとは、単に未公開の設定があるということではありません。
うっすらと"謎の提示"がされたまま、それが解明されることなくコンテンツ10周年を迎えていると言うことです。
前述の通り、まつり姫は"フワフワお姫様キャラ"として信頼できるアイドル仲間やプロデューサーの前でも常に演技をしているうえ、本人は演技を否定しています。
なのでまつりの心の奥底にある本当の気持ちや意思、アイドルとしての哲学は、ほんの僅かな情報の断片やエピソードから汲み取るしかありません。
というわけで本稿では、そんなまつり姫にまつわる"なぞ"を個人的な予測や願望を交えながら語っていこうと思います。
各種セリフや画像の引用元はミリシタの場合はアプリから直接、グリマスは下記のグリメモが出典となります。
https://memories.millimas.info/
まつり姫にまつわるいくつかのなぞ
さて、そんなまつり姫のなぞを思いつく限り挙げてみます。
なぜまつりはアイドル活動以外でも"姫"を演じているのか。
「人を救う嘘」とは誰に対する、どういった行為を指すのか
メメントのコミュでまつりに起こったことは本当に記憶喪失だったのか
なぜ妹以外の肉親のことが全く語られないのか
それぞれのなぞはおそらく密接に関連していると思いますが、これらのなぞについて考えていくうえで、私がなんとなく察したのは、
まつりには何らかのシリアスでセンシティブな設定やエピソードが隠されている
ということでした。
とはいえ、私がまつりに惹かれるのは(本当にそういう設定があるとしてて)設定の内容自体にではありません。そういう内面の弱みを(信頼できる人々にさえも)安易に明かさず、ポップでフワフワでみんなに愛されるまつり姫を誰に対しても一貫して演じ続けられる、まつりの類まれな胆力や意思、心の強さ、筋の通し方に対して強く惹かれています。
なので公式によって上で挙げたなぞが明かされるべきなのか迷うところではあります。なぞを残したまま去るのもまつりらしいと思います。
しかし、現時点で判明している事実から、いくつかのなぞに対して仮説を立ててみるのも一興だと思うので、分かる範囲で考えをまとめてみたいと思います。
なぜまつりはアイドル活動以外でも"姫"を演じているのか。
まつりはオーディションのときからまつり姫としてプロデューサーの前に現れ、仲間やプロデューサーと接するときでも頑なに"姫"であることを崩しません。まつりにとって"姫"はアイドルに先立つもののようです。
一方、本人の言うとおり"正真正銘、魔法の国のお姫さま"かというと、以下の妹とのやり取りをみる限り(残念ながら)生まれながらのお姫さまということはないようです……
聡明で身体能力もずば抜けて高く、周囲の気配りもできる高いコミュニケーション能力を持ったまつりは、正統派アイドルとして十分に通用したと思います。あるいはアイドルにならなくても楽に幸せを掴めたでしょう。
にもかかわらず、ときとして他人から嘲笑されたり、からかわれたりするリスクを負ってまで"姫"であろうとする理由はなんでしょうか。
グリマス時代は、もともと変わり者だから、そういうキャラだからで通ったかもしれません。しかし、ミリシタで人間的な部分がフィーチャーされ掘り下げられた今となっては、前述した高い社会適応力と矛盾しているように思えます。
たとえ誰かから笑われたり馬鹿にされたりしても、自身が信じた世界観に胸をはり、理想の完成に向かって突き進んでいく。それこそが真に自分らしく生きるということだと思います。
しかし、自分らしく生きるとは聞こえは良いですが、当然簡単な道のりではありません。まつりの常に"姫"であろうとする意思は、アイドル活動以外の日常生活の細々とした部分にまで完璧に徹底されていて、気の緩みは許されません。そこには極めて強い"執念"や"情念"すら感じさせます。
まつりの"姫"に対する憧憬の原点として、小さい頃に妹と一緒に行った遊園地のパレードでキラキラ輝くお姫さまを見たという体験が描かれています。
そこで私が思ったのは、まつりの徹底ぶりは(ディズニーランドのような)テーマパークに似ているということです。テーマパークには、日常から脱却して夢の世界に浸ってもらうための細部にわたる工夫や趣向があります。中途半端だったり演出に綻びがあれば、お客さんは一気に醒めてしまうのです。まつりの姫であり続けることへの拘りも同じだと思います。普段の姿をうっかりファンにみられてガッカリさせない、ただそれだけのために。
「人を救う嘘」とは誰に対する、どういった行為を指すのか
私がミリシタでまつりに出会って、初めて興味を持ったセリフがこれです。
このセリフはアプリ内でまつりの3Dモデルをタッチしたときのセリフのひとつで前後の文脈は不明です。タッチしたときに喋るセリフは他に複数ありますが、このセリフだけ妙に際立っており、何らかの意味や意図を感じさせるものでした。
人を救う嘘とはなんなのか。
これは少し深掘りしてみたら見当が付きました。ここで言う嘘とは”虚構”のことだと思います。創作と言ってもよさそうです。
虚構や創作がときとして(受け手、作り手双方にとって)ある種の救いとなり得ることは、オタクであれば少なからず思い当たる節があるのではないでしょうか。
まつりは漫画やドラマをこよなく愛し、また演者としても強い興味をもっているようで、まつりにとって虚構は単なる娯楽を超えた存在であることは間違いなさそうです。さらに前述したテーマパークも完成された虚構と考えることができます。なのでまつりの言う嘘とは、まつり姫そのものも含まれていると言えるでしょう。
救いとしての虚構という側面は、まつりが主演として参加した劇中劇『鏡の中のシャーロット』のテーマにイマジナリーフレンドが扱われていたことも極めて示唆的です。
虚構が救いとなり得る背景には、ある種の寂しさ、孤独感、喪失感があると考えられます。まつりが"まつり姫"という虚構で救いたかったのは一体誰なのでしょうか。ファンというのはもちろん正しいでしょうが、漠然としすぎているので、大元を辿れば最初に救いたかった"特定の誰か"がいたように感じます。
その救いたい誰かのためにまつりが"姫"になろうと強く決意した何らかのエピソードがあったのかもしれません。
メメントのコミュでまつりに起こったことは本当に記憶喪失だったのか
楽曲『メメント?モメント♪ルルルルル☆』(以下メメント)のコミュでは、まつりに隕石(お星さま)が当たってまつりが記憶を失ってしまうというエピソードがあります。
失った記憶はアイドルとしての記憶だけ、というよりはまつりから"姫"という概念だけが抜け落ちてしまった、という方が正確かもしれません。
正直に言って私はこのコミュがあまり好きではありませんでした。なぜなら失った記憶を取り戻そうとアイドル仲間やプロデューサーが奔走するのですが記憶は一向に戻らず、しかし唐突に再度やってきた隕石(お星さま)によってあっさり記憶が戻ってしまうからです。
これではまつりの"姫"に対する思い入れや覚悟、仲間たちとの絆が軽視されているように感じてしまいます。
しかし何度かコミュを見返してみて、まつりに起こったことを記憶喪失として解釈するのは間違いではないだろうかと思うようになりました。
理由は以下の通りです。
記憶を取り戻した瞬間に、記憶を失っていた数日間の記憶が逆に失われてしまい二度と戻らなかった
記憶喪失のまつりは、単に特定の記憶を失っているだけでなく人格や価値観が異なっているように見える
PSTの覚醒コミュでまつり本人が自身に起こったことを記憶喪失ではないと主張している
言うまでもなく一番重要なのは3です。プロデューサーなら担当アイドルの言葉を信じるべきだし真摯に耳を傾けるべきです。一笑に付すなどもってのほかです。
まつりは記憶喪失ではなく宇宙人に乗っ取られていたと主張しています。そこで私はこう考えてみました。
記憶喪失のまつりは、お姫さまに対する漠然とした憧れを抱きつつも"まつり姫"になるという決断をしなかった、別の世界のまつりではないだろうか。
そして、隕石(お星さま)の衝突によってこの世界のまつりと、別の世界のまつりとが一時的に入れ替わってしまったのではないか。
本来であれば突拍子もない考えですが、このコミュ自体がオカルト寄りのSFがベースになっています。またグリマス、ミリシタ、スタマス、ミリアニそれぞれで設定が微妙に異なっており、マルチバース的な考えのもとに別の世界のまつりがいて、それを宇宙人と表現することはあながち間違いとはいえません。
そう考えると、仲間やプロデューサーがいくら奔走しようにも記憶が戻るわけがありませんし、元に戻ったまつりが記憶喪失だったとされる数日間のことを知らないのも当然です。
記憶喪失のまつりは普段のまつりと異なり、物静かで少し陰があり、どこか寂しげで、自分自身にもそれほど強い自信を持っていません。
もしも前項で予想したとおり、まつりが過去に姫になろうと決意したエピソードがあり、それによって自分自身も救われたのであれば、その決断をしなかったまつりが前述のような普通の女の子であったとしても不思議ではありません。
そう考えると数日間だけ一緒に過ごして元の世界に帰っていったまつりも愛おしく思えますし、"お姫様な私"に会わせてあげたかったな……って思います。
なぜ妹以外の肉親のことが全く語られないのか
まつりの肉親といえばまず妹が挙げられますが、他の家族や肉親はなぜか語られていません。もちろん他のアイドルだって必ずしも家族全員が語られているわけではないので、それ自体はおかしなことはありません。
しかし本来なら両親など保護者がいるような場面でも、その存在は不思議と省かれています。
普通に考えたら(他に保護者がいるのなら)小さい妹にクリスマスプレゼントをあげるのは姉の役目ではありません。
また、ミリシタでも小さい頃に"妹を連れて"遊園地に行ったと回想しています。そのときのエピソードは記事の冒頭で挙げた遊園地のことだと思いますが、この年頃なら他の大人の保護者が同伴している方が自然です。
そもそも反抗期という言葉自体、姉が妹に対して使う言葉としてはやや不自然です。
したがって、まつりは小さい頃から妹の親代わりだった、つまり他に保護者や家族になり得る人は(少なくとも身近には)いなかったと推測できます。
家族がいるなかで妹とケンカしているのと、たったひとりの肉親である妹とケンカしているのとでは捉え方が変わってきます。まつりが、小さかった頃の妹との思い出をよく話してくるのは、やはり今の寂しさのあらわれでしょう。
まつりは妹をかなり溺愛しているようで、最近も妹がちょっと過激な漫画を読んでいるのではと疑って異様に取り乱す姿が目撃されたとか。少なくとも一般的な姉妹の感覚を超えた深い愛情が感じられます。あるいはそのあたりが逆に反抗される理由かもしれませんが……
その他のなぞ
ほかにもまつりには細かいなぞがいくつもあります。
なぜ苦手なはずのマシュマロを好物に"設定"したのか
なぜプロデューサーや仲間から心配され気遣われることをあえて避けようとするのか
フィジカル面の本当の潜在能力はどの程度か
なぜ徳川まつりは姫になろうとしたのか
ここまでいくつかのまつりに関するなぞについて整理してみて、なぜまつりがあえて"姫"という特異な茨の道を進もうと願ったのか考えてみると、その原点はやはりかけがえのない存在である妹と自分自身を救うため、という答えが今のところ一番しっくりきます。
アイドルとしてのまつり姫の目線は、小さな女の子に向けられているように思います。そこに小さかった頃の妹や自分自身を重ねているのかもしれません。
まつりのなぞの答えを知るカギは、ほとんど妹が握っていると思っています。なので今後まつりの妹に関する掘り下げがなされることを願うばかりです。
おわりに
まつりの姫観について自分の解釈で考えをまとめてみました。ちょっと重めの考えも含まれていますが、しかしどのような背景を背負っていても、現在のまつりの生き様が明るく前向きである点に間違いはありません。
私が一番好きなまつりの言葉はこちらです。
まつりのアイドル観は"今を全力でみんなで楽しむ"という点に集約されていると思います。どんなまつりにも、いつかはおわりの時が来るのですから……