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徳川まつりにとって姫とは自分ひとりを指すのか?

 徳川まつりは自身のことを姫と自称していますが、ここでいう姫とはどういった存在なのでしょうか。

  • 特権階級

  • 選ばれた存在

  • その他大勢の他人とは違う存在

どれも少し違う気がしますね。

お暇さまはたったひとり

 普段の言動を見ても、まつりは当然他のアイドルやファンを下に見たり、自分だけが輝けばいいとは思っていません。一方でミリシタのエピソードコミュではたしかに「お姫さまはたったひとり」と言っています。

お暇さまがいっぱい

 ではまつりの言動は矛盾しているのでしょうか。

 個人的にその解釈や理解を手助けしてくれると思っているのが、ヴェルタースオリジナルという有名なキャンディのCMです。有名ですが、少し古いCMなのでご存じない方もいると思いますが、以下の台詞を読むだけで大丈夫です。

私のおじいさんがくれた初めてのキャンディー、
それはヴェルタースオリジナルで私は4歳でした
その味は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしいキャンディーを貰える私は
きっと特別な存在なのだと感じました
今では私がおじいさん、孫にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル
なぜなら、彼もまた特別な存在だからです
(2003年ごろに放送された日本版CMの台詞より)

下記サイトから引用

 上記の台詞では『特別な存在』という表現が二回出てきます。そのうち一回目の『特別な存在』とは幼心で感じた『選ばれた人間』『特権階級』に近い意味だと思います。
 一方、二つ目の『特別な存在』とは意味が異なります。それは『語り手であるおじいさんにとって掛け替えのない存在』という意味です。

 まつりにとって姫とは、二つ目の『特別な存在』に近いものではないでしょうか。社会や世間によって特別に認められたから姫なのではなく、自分で自分のことを掛け替えのない存在だと胸を張って言えるからこその姫なのです。
 まつりは仲間のアイドルが遠慮して引き下がったり、すすんで引き立て役になろうとすることをよしとしません。

グリメモから引用。ふわふわした立ち絵からの煽りは強力のひとこと
まつりのメインコミュ3周目から引用

 徳川まつりというひとりの人間の人生において、姫はたったひとり。けどそれは仲間のアイドルであれ、ファンであれ、裏方であれ同じこと。そこにはこんなメッセージが込められていると思います。

自分の人生なんだから他人や世間に遠慮なんかしないで、好きなように生きて、好きな格好をして、好きなことをすればいいんだよ。

 とはいえ、みんながそうやって自由に生きられるわけではありません。勇気や強さも必要でしょう。だからこそまつりは自身で理想を体現し、ファンに勇気を与えるために今日も堂々とステージに立つんだと思います。

 おしまい


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