京大瀧川総長暴行事件
こんにちは。
以前に、日本学術会議への政府の人事介入が話題となりましたが、1933年にも、政府が大学人事に直接介入したことが問題となった瀧川事件があります。
京都大学瀧川幸辰(ゆきとき)法学部教授が、中央大学で「『復活』を通してみたトルストイの刑法観」というタイトルで講演をし、その中で「犯人への理解と同情を以て裁くべき」と紹介しました。すると、文部省や司法省は無政府主義の主張をしたと勘違いし、司法試験委員から外されるだけでなく、宮澤裕(ゆたか)衆議院議員が国会で「大学における赤化(共産主義化)教授の罷免を要求する。借地借家法が社会革命の始まりだと言う奴、トルストイを引用して刑罰を否定する奴、小作人を扇動する奴、マルクスを教科書に使う奴がいるのだ」と発言。鳩山一郎総理は、瀧川の教科書『刑法読本』を発禁処分にしたりして、大学側に瀧川をクビにするよう圧力をかけたましたが、京都大学側は「学説を理由に教授を処分するなんてとんでもない」と拒否をしました。しかし、文部省が瀧川教授を休職処分を下すと、京都大学法学部は教授全員が辞表を提出して抵抗しました。
これが瀧川事件の概要ですが、その後に京都大学に復帰した瀧川が学生から暴行を受けて裁判に発展する「京大瀧川総長暴行事件」(京都地判昭和33年4月16日判例時報152号39頁)を紹介したいと思います。
1 どんな事件だったのか
昭和30年3月に、京都大学で全国学生哲学会のメンバーが、創立記念祭の実施方法などについて、京都大学学生部との間で話し合いを行いました。しかし、大学側は学外者が入らない程度の集会しか認めないと決定を下したことから、再度、学会メンバーの三上や伊多波の10名は、瀧川総長と面接したものの、満足いく回答は得られませんでした。すると、学生たちは、守衛に率いられて法学部研究室に向かって歩いている瀧川総長に追いつき、その行く手を阻んだため、守衛たちと押し合いもみ合いの混乱状態となりました。そんな中で、伊多波は瀧川総長の肩を激しく手で突き、三上は総長に体当たりをした上で、足に蹴りを入れて全治3週間のケガを負わせました。そのため、学生たちが逮捕、起訴されました。
2 検察側の主張
伊多波と三上は、総長を取り囲み、総長に対して交互に身体を手で突き、引っ張り、またはこれに体当たりし、あるいは蹴るなどの暴行を加え、その結果総長に全治2ヶ月を要する打撲症を加えたのだ。これは、暴行傷害罪に当たる。しかも、その後も100名ほどの学生が総長室前に座り込み、警察官に退去させられるまで、解散命令に従わなかったので、これは住居侵入罪に当たる。
3 学生たちの主張
確かに私たちは、「総長!待ってください、話が残っています」といって、総長たちと複数人でもみ合いになりましたが、それは混雑の中に立っていたら誰でも触れるような程度のもので、決して暴行を加えたわけではありません。
4 京都地方裁判所の判決
今回の事件は、京都大学当局が、昭和30年度創立記念祭を学生側の要求するとおり許容しなかったことに端を発し、学生が執拗に大学当局にその要求を求めてやまず、総長の外国出張を翌日に控えた日の午後2時ごろから午後11時ごろまで総長の帰宅を妨げたもので、学生としてのその節度を超えたものという他なく、また総長に対して傷害を加えたことは決して軽くみられない。しかし、学内処分としてすでに停学に処せられていることなどから、被告人両名に対して法定刑中軽い罰金刑を選択のうえ処罰するのが適当である。
よって、被告人三上を罰金1万円に、被告人伊多波を罰金2000円に処する。
5 大学の自治とは
今回のケースで裁判所は、京大瀧川総長に対して三上や伊多波が傷害を与えた事実を認めて、有罪判決を下しましたが、その後の大阪高裁では、伊多波は完全無罪となり、三上の傷害行為は否定され、暴行罪のみが成立し、罰金3000円、執行猶予1年の判決が下されました。
この裁判では、三上と伊多波をゼミで指導する法学部の3人の教員が特別弁護人となって擁護したことも注目されました。瀧川総長は「三教授があくまでこの事件の弁護をしようというのなら京大を去るのが当然だ」、「免職するときは教授会はなんの権限もない」と発言していたことから、瀧川事件で多くの犠牲者を出して確立した教授会の人事権を自ら否定することになったとも言えるでしょうね。
では、今日はこの辺で、また。