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三菱重工爆破事件

こんにちは。

 今日は、三菱重工ビルで起きた爆弾テロの犯人を裁いた最判昭和62年3月24日を紹介したいと思います。

1 どんな事件だったのか

 1974年8月30日、戦後の日本は悪だと主張するテロ組織、東アジア反日武装戦線「狼」は、防衛産業を支える三菱重工ビル1階入口の花瓶付近に、約40キロダイナマイトを使った2個の時限式爆弾を仕掛けました。ビルに爆破予告の電話があった3分後の午後12時45分ごろに時限爆弾が起動し、ビル9階までの窓ガラスが全て割れるだけでなく、道路の向かい側にあった三菱電機ビルの窓ガラスも割れるなどして、負傷者385人、通行人を含む8名が亡くなるという事件が起きました。その後、メンバーが一斉逮捕され、リーダー格の大道寺将司(だいどうじまさし)と片岡利明が殺人と爆発物取締罰則違反の罪で起訴されました。

2 最高裁判所の判決

 一審で被告人らは「予告電話をかけており、殺意はなかった」と主張したものの裁判官は死刑判決を、二審も「天皇暗殺目的の爆弾を転用したことは当然、三菱重工爆破事件でも殺意が適用される」、「爆破数分前の電話は予告とはいえない」として死刑判決を下したことから、被告人らが上告をしました。

主文:本件各上告を棄却する。           

理由は次の通りである。
 所論のうち、量刑に関して違憲をいう点は、原判決は、同被告人の法廷での態度、言動等から、その反省の有無等を推認し、これを量刑事情として評価、考慮したものであり、また、原判決は、未決勾留日数の算入につき、本件第一審の審理が長引いたのは、同被告人らの出廷拒否や裁判長の訴訟指揮権、法廷警察権の行使に従わないことによる審理遅延や、同被告人らと同調した弁護人らの言動、辞任等が大きく起因していることを考慮したものであって、同被告人の思想信条及び訴訟活動をとらえて報復的な量刑をしたものでないことが判文上明らかであるから、前提を欠き、その余は、憲法違反、判例違反をいう点を含め、その実質はすべて事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、いずれも適法な上告理由に当たらない。  

3 犯罪被害者に対する補償制度のきっかけ

 今回のケースで裁判所は、東京丸ノ内の三菱重工業ビルの爆破事件で、殺人罪を問われた東アジア反日武装戦線のリーダー各のメンバーに死刑判決を下しました。
 この事件がきっかけとなって、犯罪被害者補償制度の確立を求める声が高まり、1980年に犯罪被害者等給付金支給法が制定されたことも是非、知っておいてもらえると幸いです。
 では、今日はこの辺で、また。


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