僕の中学時代
こんにちは、YUTOです。
今回は前回の小学時代に続き中学時代です。
農大の附属中へ
前回にも述べたように食品に興味があり農大附属へ。
今でも大きな軸はぶれていないだろう。
家から電車とスクールバスで1時間ほどの中学に進学した。
昨日まで黄色帽を被って歩いてたやつが電車通学。緊張と不安で毎日お腹が痛かった記憶。
僕の中学の人たちは面白いやつ、変なやつが多い。
とても刺激的な毎日で楽しく、いい同級生たちに恵まれたと思う。
そこで前の席に座っていたH君と仲良くなった。彼も色々あって別の道を辿って行ったが。
最初は特待生に負けるのが嫌で勉強を頑張って、成績は10位以内をなんとか保った。
部活
科学部に入りオモロい先輩たちがいた。同じクラスで席が後ろだったぶっ飛んだY君たちとカサゴ、ヒラメ、メバルの養殖やスピルリナの培養をした。
顧問は応用生物学専攻でサイエンスは友達な人だった。
対照実験を繰り返しながら研究して行ったが、残念ながらコロナの影響で学会に行くことはできなかった。
株
中2で祖父の影響もあり、株式投資を始めた。最初祖父にこういった銘柄がいい!とプレゼンをして、じゃあやってみなよと資金をくれた。
自分で本を読んだりYouTubeを見て勉強しながら、雀の涙ほどではあるが、キャピタルゲインと優待・配当を得た。
ここでかなりの金融リテラシーを身につけたと思う。
英語のK先生
中3になって強烈な英語の先生にあった。元駿台講師で行政書士、小中高の免許を持った凄腕教師らしい。
今までの先生にはないカリスマ性と圧倒的知識量だった。
この人の思想、授業スタイルに感銘を受けた。
と、同時に色々あり出る杭は打たれるのだなと実感。
彼はもう辞めてしまったが、教壇には立っているらしい。
高校受験決意
このまま高校に進学しても面白くなさそうなのと、フランス語の継続を優先し内部進学を辞退し、高校受験を決意。
この時塾長が言っていた、楽な方ではなく、楽しくなる方へ進んだ。
楽な方とは、短期的な目線で利益を取りに行くこと。
楽しくなる方とは、茨の道だが自分とって中長期的に良い影響をもたらす方ということ。僕はそう解釈している。
土曜授業があったので、週6学校で放課後は塾、日曜は模試と結構ハードな生活をしていた。休み時間や移動時間は隙あらば寝ていた笑。
中3の3学期はほとんど学校に行かず家で受験勉強をしていた。
しかし、今思うと同級生と過ごすことができる最後の期間で休んだことを後悔している。
最後の模試で判定が低く焦ったが、俺が受からなければ誰も受からないという謎の自信過剰マインドで望んだ。
こうして、無事第一志望の国際系の公立高校に合格した。
まとめ
今でも仲良くしてくれる中学の同級生、後輩がいる。
勉強するところであると同時に、仲間に会いに行く場所でもあると今では思う。
中学楽しかったな…
ただ今の選択を後悔はしていない。自分で選んだ道だし、また新たな場所で新たな人と関係が築けている。
そういった場所が自分でも作れるといいな。
最後まで読んでいただきありがとうございます!