パリ日本人学校
こんにちは、YUTOです。
今回は僕が2年強過ごしたパリ日本人学校の行事と思い出です。
日本の公立小学校も行ったので、比較しつつ。簡単に紹介していきます。
過去に想いをはせるのはよくないと思っていますが、、、
通称パリ日のパリ日本人学校はパリからスクールバスで高速に乗り1時間程のモンティニールブルトンヌのサンカンタンにある。元々はエッフェル塔のあるトロカデロにあったらしいが、人数が増えたため移転した。
文科省の傘下にあるので、教科書も先生も日本から。
実際に当時大臣だった下村博文氏が視察、数年前にも今の天皇陛下も来校されたらしい。
チューリッヒやデュセルドルフ、ロッテルダム、ブリュッセルなどの日本人学校とも交流がある。
このバスに毎日片道1時間揺られながら通っていた。
日本人が多く住んでいる、トロカデロ、モンパルナス、ポートデサンクルー、ポンサンクルー行きのバスがある。
車内では、漫画を読んだり、ゲームしたり、寝たり過ごし方は様々。
バスの中ではゲームや音楽をして良かった記憶。
給食はなく毎日お弁当なのでお母さんたちはフランスの食材でお弁当を作らなければいけない。ポンポという学校に入っているお弁当サービスもあるのですが、一食8ユーロ(約1300円)なので、、、
当時の校長は河部謙二先生。とても素晴らしい方で、全校生徒の名前を覚えており、縄跳びテストや漢字テストを1対1でやってくれた。
過去の学校生活の中で最も良い校長先生だった。
どうやら帰国後は元いた島根県の校長をやっているようだ。
編入
僕は、小学1年生の12月に行ったので冬休みに学校の見学に行ったのを今でも覚えている。最初のカルチャーショックは校内も土足OKなところ。さすが海外だなと思った。教室で上履きに履き替えるのだがもはや意味がない笑。
校内のつくり
三階建ての建物。3階は中学生の教室がある。
日本の学校と違うのは、日本教室と英語フランス語の授業があること。
日本教室には将棋や囲碁、こま、めんこなど日本の伝統的な文化に触れられる部屋。もし日本に帰った時に無知な状態にならないようにしてくれている。
実際、夏目漱石や石川啄木の小説の一部を暗唱するなど、意識的に日本に触れるようになっていた。
暖房が日本ではなかなか見ることがないオイルヒーターだ。冷房はない。
イベント
縦割り班
1年生から6年生までのメンバーで班を作り、遠足に行ったり、昼ごはんを一緒に食べたりする。縦割り遠足は生意気にも、ヴェルサイユ庭園散策。
ヴェルサイユ宮殿の庭園に、先生たちが散らばって班でクイズを解きながら周るというもの。今思うと恐ろしい。
パリ日祭
山下農園さんが来たり、ポンポネットというお弁当やさん、パン屋など、文化祭のような雰囲気のお祭り。
マロニエ
年に一回、文集を全員書くのだが、今年あったことを書いたり、運動会の思い出を書いたり、将来の夢を書いたり様々だ。
テロ
滞在中にテロが発生し夜だったので身近な方は巻き込まれることはなかったが、治安の悪化から、日本人が集まっているところは標的になりやすいのではないかという理由で、スクールバスにはゴツい警備員が配備された。
まとめ
思い出は美化されて残っているので、楽しかったことばかり記憶されているが、写真を見て思い返すと
言葉も通じない、友達もいない、文化が全く違う環境に飛び込んで、苦しかった日々がたくさんある。吐きながら通った。
そして、日本の学校の先生方は是非一度日本人学校に異動してみてほしい。世界観が変わり、日本の教育文化について考えさせられると思う。
小学3年生の時の担任は釜山日本人学校からパリに来た方で、大変寛容で優しい先生だった。
思い出を振り返ることは、過去に囚われ執着してしまうのであまりしないが、過去があって今があるのでたまにはいいかもしれない。
パリ移住や海外の日本人学校に行く方の参考になれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございます!