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「バラ色ダンス 純粋性愛批判」にかんするメモランダム

60年代暗黒舞踏の初期代表作とクィアな美意識を足がかりに、明日の舞踏(ダンス)を妄想する

パフォーマンスの幅広い可能性を追求し、国内外で高い評価を得る川口隆夫。これまで活動の核に据えてきたアイデンティティやジェンダーに関わる問題意識と、近年集中的にリサーチに取り組んでいる「舞踏」の二つを軸に新作に挑みます。
暗黒舞踏の創始者のひとり・土方巽の60年代の代表作「バラ色ダンス」を出発点に、60~70年代に欧米のゲイカルチャーを中心に隆盛を極めた〈Camp〉の感性を引きながら、歴史をノスタルジックに回顧するのでも神格化するのでもなく、現代の視点からクリティカルに検証し、21世紀のダンスに新たな可能性を切り拓きます。

公演情報より

日本独自の身体表現である舞踏をキッチュに染めあげる。

というコンセプトはじつに天晴れで、つまり、アタマで理解できる枠組みとしてはおもしろい、ということなのだけれども、だからといって、公演そのもの、言いかえると、運動するカラダとして、これはおもしろいのか、というと、はたしてどうなんだろう。

などと書いてしまうと、なんだかつまらなかったみたいだなあ。
いや、そういうわけではなくてですね、そうねえ、ひたすら困惑させられた、というのが正直なところかな。

ひるがえって考えるに、昨今は理路整然とした物言いや振る舞いが多く、むしろ「困惑」に直面させられること自体、僥倖と言わざるをえないような、まあ、そんな時代ですよね。

という意味では、舞踏のレジェンド・土方巽へのオマージュというか、今日的カヴァーというか、舞踏史への批評的介入というか、そもそもそういう姿勢からして、このプロジェクトはとことん反時代的。

だから、このダンス公演(ダンスなのかしらん?)は、俗悪で安っぽく、薄っぺらで思わせぶり、気まぐれで出鱈目で、あまりにも自由奔放すぎて、観客は呆気にとられるしかない。

で、これは美徳の域にまで達していると思うのですが、徹頭徹尾、「深み」を欠いているがゆえに、舞台上に「空間」は現出しないし、「意味」も立ち上がってこない。
もう、ホント、ぺらっぺらなんですよ。
表層と形式だけが、現れては消え、消えては現れる。

ノンセンスが横溢しているぶん、じゃあ、ダンサーたちの「肉体」がたしかな存在感をもって迫ってくるかというと、そういうこともなく、どちらかといえば、肉体は雲散霧消し、不定形なモノノケが、奇妙な「衣装」をまとうことで、かろうじて人型を成している、そんなふうな印象さえ受ける摩訶不思議さ。

ただし、終盤のクライマックス(と仮に言っておくけれど)で、男性ダンサー4名が石膏を身体に塗りたくり、舞踏といえば白塗り! を愚直に実行してからの数分間は、彼らの肉体性がありありと焦点化して、引きこまれるものがありました。
重心を為しているシークエンスだったように思います。

めくるめく混沌の中、奇々怪々なモノノケどもが立ち騒ぐ非時間的・非空間的なコラージュ。
ときに創世神話を思わせるシーンもあったりして、そこからわたしは、ヒルコ的身体、なんてことを感じたりもしたのですが、そのヒルコ的身体、時間が経つにつれ、ドリフ的身体(!)へと変転していくというね。

ドリフに漸進するコンテンポラリーダンス。
いやはや、終幕の馬鹿馬鹿しさには参りました。

このダンスによるノンセンス大全、バドミントンではじまり、縄跳びでおわるのですけど、ここになんらかの意味(!)を見出すとしたら、すべてはGAMEであり、PLAYであるという認識でしょう。

要するに、あらゆるものは遊戯にすぎないということで、だからそう、夜になっても遊びつづけろ(何のことやら)。

(O)

公演日 2023年9月2日(土)、9月3日(日)
会場  那覇文化芸術劇場なはーと
https://www.nahart.jp/stage/1686812977/






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