スペンサーに夢中
東京にある BOOKOFF 東中野店は、一見すると、ごくごくフツーのBOOKOFFに見えるのだけど、「なんでコレがこんなところに!」と驚嘆するようなものがチョイチョイ紛れ込んでいて、いちばんおどろいたのが、黒人でゲイでSF作家というマイノリティの属性が三重に絡み合ったサミュエル・R・ディレイニーによる形而上学的スペースオペラ "Empire Star"(1966) が300円で並んでいたことだった。
古書店や古本屋、中古本屋を巡る愉しみというのは、こんなふうに自分だけの宝探しができるところにあると思っていて、だから、そういう刺激のある店は、悪癖だとはわかっていながらも、ついつい覗いてしまう。
まあ、東中野にはアクア東中野と松本湯という良い銭湯がふたつあるというのも大きい。
銭湯と古本屋、そして感じのよい酒場がそろっていること、これがわたしにとっての「街」の条件(あるいは書店と映画館、そして落ち着いた喫茶店、この3つでもいい)。
なんですけど、とりあえずそのことは措いといて──。
そんなわけで、数年前のある日、このBOOKOFF 東中野店で拾ったのが、ロバート・B・パーカーの "Early Autumn"。
パーカーはアメリカの人気作家。だいぶまえに亡くなりました。
かつては日本でもバンバン翻訳が出ていて、だから名前は知っていたし、"Early Autumn" も『初秋』の原著だということはすぐにわかったのだけど、パーカー作品を読んだことはいちどもなかった。
なんとなく手にとって、冒頭のページに目を走らせると、むむむ、文章が異様に易しいではないですか。
こんなに読みやすくていいのか、というくらい読みやすい。
「300円だし」という軽い気持ちで購入したものの、すぐに読んだわけではなくて、1年くらい積ん読のままだったけれど、なにかの拍子で読み始めたら、これがまあ、おもしろくておもしろくて。
さすがエンタメ大国アメリカのベストセラー。
page turner ってこういうことかと、心底、実感させられました。
これがきっかけで、パーカーの〈スペンサー・シリーズ〉を読んでみようかと思い立ち、第1作から順番に読み進めていったのですが、なにしろ人気作家だったから、ペーパーバックも大量に出回っている。
Amazonマーケットプレイスを利用すれば、送料込みで500円程度で入手できるわけですよ(いまはどうか知りません。数年前の話)。
わたしは、いかにもペーパーバック然としたDELL版を集めていました。
さっき、page turner と書いたけど、そのための工夫にも感心。
具体的にいうと、
これ、どういうことかというと、「小説を読み慣れていない人」にとっては、心理的負担が軽いんですね。
スラスラ読めちゃうし、読み終わったあとは、「ああ、おもしろかった!」という楽しい印象しか残らない。
そうした技術的な練度に加えて、スペンサー・シリーズ最大の魅力は、なんといっても、主人公のキャラクター造形。
たとえばシリーズ8作目、"A Savage Place" の第3章に、こんな描写がある。
試しに日本語に直してみると、こんな感じかしらね。
こんな具合に、スペンサーは身なりに気を遣う男なのですよ。
いや、気を遣うというような消極的な姿勢じゃなくて、積極的にお洒落するのが好きなんですね。
ひとつひとつのアイテムにこだわりがあり、それらのコーディネートを心からたのしんでいる。
ビールを飲んだり食事をするのも大好き。
自宅で料理したり、ガールフレンドと外食する場面も、しょっちゅう出てくる。
もちろん、愛する女性に対する敬意は、いつも忘れない。
あと、健康志向ね。
毎日のようにジムに通い、ジョギングに励む。
このあたりの明朗さや快活さ、はたまた80年代的なマッチョイズムというのは、ベトナム戦争以降のアメリカ、フェミニズム以降のアメリカ、ランニングブーム以降のアメリカ……等々をつよく感じさせる。
そうそう、スペンサーはボストン在住で、だからボストン・レッドソックスの熱狂的なファンでもあり、それでときおり、選手にかんするコメントが挟まれたりするのだけど(巻を追うごとに、これが減っていくのは残念)、2022年、吉田正尚がレッドソックスと5年契約を結んだときは、どう思ったのか、訊いてみたくもなりました。
要するに、スペンサー・シリーズには、街で暮らす人間たちの優雅で感傷的なライフスタイルが描かれているのですよ。
その描写が、リアルとファンタジー、すれすれのところで成立しているから、良くも悪くも、読者たるわれわれは、心地よくその世界にひたれるわけ。
わかりやすくいうと、アメリカの村上春樹──なんてことをいうと、前後関係が転倒して、錯綜しちゃいますね。
というのも、春樹はハードボイルド小説の伝統から、多くのものを受け取っていているし、ロバート・B・パーカーとほぼ同時代の書き手だから(世代としては一回り違う)、むしろパーカーと春樹は、太平洋の向こうとこちらで、別々に育った異母兄弟のようなものと言ったほうがいいかもしれない。
「は? こんな通俗作家とハルキさんを一緒にしないで!」と憤慨しているアナタにお伝えしておくと、80年代当時、春樹もスペンサー・シリーズを愛読していたようで、そのことはエッセイで触れていたような気もするなあ。
手元にあるもので探してみると、1984年8月10日(金)の日記にこんな記述が。
ちなみに春樹先生、翻訳家としてふるまうときは、それなりに「文学的」なものをセレクトしているようだけれど、ひとりの読者としては、そのときどきの「通俗作家」を熱心に読んでいる印象がある。
2年くらい前だったか、「ブルータス」に掲載されたインタビューでは、リー・チャイルドの名前を挙げていた。
トム・クルーズ主演の大傑作『アウトロー』の原作者で、これまた大ベストセラー作家。
冒頭で触れたBOOKOFF 東中野店でも、当然のように5〜6冊並んでおりました。
スペンサー・シリーズに思い入れがある作家といえば、増田 "木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか" 俊也も忘れちゃいけない。
うろおぼえですが、スペンサーとおなじサイズのシャツ(もちろんブルックスブラザーズ)を着たいがために、筋トレで体型維持(とくに胸囲)に努めていると、どこかで読んだことがありますから、筋金入りのファンですね。
……さて、このエントリのタイトルに「スペンサーに夢中」と書いたのは、2023年8月のことで、それから1年以上もほったらかしになっていた。
なぜかって? 読者というものは飽きやすく、じつはいま、スペンサー・シリーズに食傷気味だから。
シリーズものの宿命というか、マンネリズムに陥らないよう、作家はさまざまな新機軸を投入する。
「いやいやいや! マンネリでいいんです! どうせ読み捨てなんだから!」と読者が残酷なことを思ったとしても、作者がそう思ってはいけない。
だから、プロットが複雑になったり、キャラクター同士の関係に軋みが生じたりしても、それは作家としての誠実さのあらわれであって──そうね、それはそうなんだけれども、読者としては「うーん、なんかちょっと軽快さが無くなっちゃったなあ」と勝手な感想を抱いてしまうのです。ごめんなさい。
方向性が定まっていない珍妙な(?)第1作 "The Godwulf Manuscript" を皮切りに、スペンサーの日課であるジョギングのように、自分のペースですこしずつ読み続けてきたものの、10作目あたりから飽きが出てきて、いまは12作目 "A Catskill Eagle" で休止しているところ。
読書の秋だし、そろそろ再開しようかな。
いまのところ、20作目 "Paper Doll" までは読むつもりです。 (O)