入道雲
保育園の帰り道。「あの雲たってる!」と息子が言った。見ればもくもくと縦長に立派な入道雲があった。
「あれは入道雲だよ」
「にゅうどうぐも」
「うん。夏によく出てくる雲だね」
おそらく今までに何度も目にしたことはあったと思うが、今回ほど立派にわかりやすく縦長な雲は無かったのかもしれない。雲の感じを表現するのに咄嗟に「たってる」と言ったのに何だか感心してしまった。私は雲に対して「立つ」という表現を使わないし、積乱雲の呼び方の中に「立ち雲」というのがあった気がしたのだ。私が雲を見ても「積乱雲、入道雲」という呼び名が先に出てきてしまうけれど、感覚的には「立つ」なんだな。
「にゅうどうぐもさん、おいかけてくるねー」
「何でだろうね」
「ぼくたちとあそびたいのかなー」
帰っている間、ずっと雲を気にしていた。本当に追いかけてきているわけではないが、追いかけてきているように見えるというのもまた、ひとつの気付きなわけで。ここから科学的な思考が身につくこともあるのかもしれないな。
帰宅してから、「夏の絵本に入道雲があるかも」と思い、息子と一緒に見てみてた。我が家にある「夏の絵本」でぱっと出てきたのは、『ゆうだちのまち』と『だめだめすいか』。どちらもおそらく入道雲だろう雲が描かれていた。しかし見つかったのはその2冊だけで。砂山の本、海水浴の本、1年間の本(7月、8月辺りに無いかなぁと思った)、「むんむん むしむし あついなつ」はじまりの『ジャイアント・ジャム・サンド』、全部それらしい雲は見つからなかった。一応花火の本も見てみたが、やはり雲自体が無かった。
夏の表現として、もっと言えば、夏関係なくただの雲の表現として、入道雲って描きやすくて沢山あるかなぁと思っていたのだが、意外とそうでもないらしい。雲がメインの話ならともかく、他にメインの何かがあるのでそちらを描いているとなかなか空まで入らず。空の面積が少ないところに、あえて雲、もっと言えば大きな入道雲は描いていないという感じである。
意外な絵本事情(?)を知ってしまった本日。毎日見ているようで、まだまだ見えていない部分は沢山あるんだろうな。
息子がこれからも雲に興味があるようなら雲関係の本を買ってもいいが、どうだろう。来月買う候補に入れてみようかなぁ。
ではまた明日。