身体の声を聞く1
何となく昨日から、指がもぞもぞしている。
最近、簡単に言うと「身体の声を聞こう」ということを意識していて。
身体、それはつまり「自分の声」ということなのだけれど。
今本当に自分がやりたいことにもっとフォーカスしようというか、そんな感じで。それを知るために身体にも意識を向けよう、という感じだ。
お腹がすいたらそれは「何かを食べたい」ということだし。
眠いなら「寝たい」ということだし。
身体のどこかが痛かったら、無意識にさすったりなんかして。それは「自分を労りゆっくりしましょう」ってことなのだろうし。
感情として湧き上がってくるものも「やりたいこと」なのだろうけど、身体が感じることからも「自分がやりたいこと」を 知ろう、と。実際にできているかはともかく、そんな姿勢で日々を生きているわけである。
そんな中で冒頭の「指がもぞもぞ」なのだ。
上手く表現できないけれど。指がもぞもぞする。動かしたいのだと思う。
というわけでとりあえずやりかけこぎん刺しの下半分を完成させてみたりしたものの。
綺麗だなー素敵だなーとじっと見てしまうしニコニコしてしまうけど、指のもぞもぞはおさまらない。
まぁ、指先を動かしはするけど、そんなにダイナミックに動かすわけでもなし。むしろ針と糸が回らないように固定気味だし。このもぞもぞには合わなかったのだと思う。
指を動かすというと…ピアノ?でも何かそれも違う気がする。
最近気になっている刺繍のキットもあれこれ見たけど、何か注文する気にならず。刺繍も針と糸は持つけど、指の使い方はこぎん刺しとそこまで大きくは変わらないのかもしれない。
うーん。何だ。このもぞもぞは何だ。もっとこう、引っ掛けたりね。としっくりきそうな指の動かし方をイメージして、何となく出てきたのはかぎ針だった。
一応、前に手縫いで巾着を作った時に紐を編んだので、糸やかぎ針は家に無くはない。
というか、その時使ったのは刺繍糸なので、それで言うなら染めてきた糸だって、よりが甘くてもいいなら編むのに使えそうな気がする。
というわけで何となく、かぎ針で何か編もうかな、と思ったのが昨日の話。
昨日はそこで時間切れだったので、今日か明日か、何か編んでみるかもしれない。
もぞもぞの答えは編み物だったのだろうか。「身体の声を聞く」はこれからも生きていく上でテーマになると思うので、記事として続くかはわからないもののとりあえず1としてみたのだった。
ではまた明日。