車のナンバーと偶然の話
車を運転する時、恐らく他の人よりも私が気にしていることがある。車のナンバーである。
主に前を走る車と対向車が対象だが、それ以外のふと目に入ったナンバー全てが対象だ。運転中は運転に集中しなければ危ないので、全てのナンバーを見ているということは無い。ただ、気にしてはいるので、他の人よりは目に入っているだろうなという感じだ。
元々私は数字が好きな方で、デジタル時計を見てゾロ目や1234など続く数字、誰かの誕生日の数字を見てはニマニマしていたのだが、それは車のナンバーにも適応された。元々は「好きだから見ていた」それだけだったのだが、いつからか、「未来に関係するもの」としても見るようになっていた。
例えば、出かける時。前を「10−72」という車が走っていた。数字は全部バラバラだし特にこれと言った数字じゃないのに妙に気になる。何でだ。何か語呂合わせになるかな?とあれこれ考え、そうか、「ドーナツ」になるな、と思った。すると、出かけた先でドーナツが出た。
「・197」という車が前を走っていた。「行くな」になるなと思いつつ進んでいたら、進んだ先で知らない車に停められ嫌な思いをした。それ以来、前の車が「・197」なら本来進もうと思っていた道とは違う道に入るようにしている。
朝、「・666」という車が前を走っていた。666。嘘か本当かわからないが、あまりいい数字ではないらしい。その時は特に気にしていなかったのだが、その日の昼、体調が悪くなって救急車で運ばれた。それ以来、666を見たからと言って体調が悪くなるということは無いのだが、体調が悪くなる前触れかもしれないと思って、特に無理をしないように気をつけている。あと、朝祝詞を習慣にしはじめてからは、666を見たらとりあえず祝詞(祓詞)を口にするようにしている。気休めだが何もしないよりはマシなはずである。
祝詞といえば、車に乗っている時に何となく口ずさみたくなり、ひふみ祝詞を唱えた時のこと。対向車のナンバーが「・123」だったことがある。また、前の車が「・123」だったのでやはりひふみ祝詞を唱えてみていたら、対向車も「・123」が来たことがある。ナンバーを見ている経験上、そんなに頻繁に「・123」というナンバーを見ることは無いのである。それが前の車も対向車もとなると、すごい確率だなぁと思った。祝詞との関係は不明だし未来とは関係ないのだが、偶然の一致には違いない。
「これは意味があったな」と自分で感じているナンバーとそうじゃないナンバーなら、圧倒的に「何でもないナンバー」ばかりなのは間違いない。ただ、思い返して意味があったなと思うものはいくつもあるし、気付いたからこそ回避できた何かもあるのかもしれない。これからも運転する時にはナンバーに注目していくのである。
余談だが、赤い車をよく見る時も、私は警告として取り、いつも以上に気をつけて運転するようにしている。実際、3台以上続けて見た後は、変な運転をする車に会うことが多いのだ。本当に因果関係があるかどうかは証明しようが無いが、安全に運転できるに越したことはない。こういう偶然でも何でも取り入れて実際により安全に運転できるならいいと私は思うのだが。人によったらオカルト話で受け入れられはしないのだろうな。
ではまた明日。