いかにするか
もうすぐ息子の誕生日。というわけで、ここ最近は誕生日ケーキについて考えていたりする。
去年まではケーキ屋で働いていたので、ホールケーキのナッペ絞りまでは職場でやり。フルーツを切って持って帰って、家で息子に飾ってもらっていた。
しかし今は働いていないので、この手は使えない。
普通にお店で買ってもいいけど、せっかく時間があるのである。作るのもいいなー。しかし作るとなるといろいろ面倒ではあるので、その辺どうしようかなー。
時間と予算と。あと息子や甥姪も作るのに参加できて、楽しめると尚良し。
というわけで、いろいろ考えているのである。この考えるのがまた楽しいのである。
ケーキの形はどうしよう。内容はどうしよう。組み立てはどうしよう。
ボウルを使ったらドーム型のを作れるけど。でもやっぱり普通のがいいのかなー。タルトを買って中にムースを入れてもいいのかも。でもピューレは買うと高いし。そんなに量もいらないし。夏みかんなら沢山あるからピューレを作れるかもしれない。でも美味しいのかちょっとわからんな。他に簡単にできそうなのはチョコ系のムース?作るなら配合はこんな感じでどうだろう。
あと誕生日プレートも用意しなきゃいけない。適当にクッキー系なお菓子を買って、そこに書いたら良い気がする。息子的にはアルフォートの裏(?)が良いそうな。字数書けるのだろうか。まぁ、書ききれなかったら2枚、3枚にわたって書けばいいか。
そんな感じで。あれこれ考えている。そして考えている時にウキウキしている自分にも気付いてしまった。
やっぱりこう、「いかにするか」を考えるのって楽しいのである。
最終的にこんな感じにしたい。じゃあ、どうしたらそれができるかな。いろんな角度から考えて、こうしたらいいのかも、ああやってもできるかも。思いついた中で一番良さそうなものを選んで、そうしてやりたい感じに近付けていく。
最終的にいいものができるに越したことはないけれども。そこに至るまで試行錯誤するのが楽しいのである。
これってそのまま「生きる」ということに繋がるのかなぁと思う。皆、この試行錯誤が好きで、だから生きているんじゃないかなぁと思う。
一瞬、一瞬、自分にとって「いい」と思うものを選んでいく。その時の状況、今得られる情報、いろんなものを集めて試行錯誤していく。
どういう分野の試行錯誤に楽しさを感じられるかは人それぞれだし、楽しいと思えるのがその人の「好き」なのだと思うけど。ある意味で今生きている人は皆生きるのが好きで、だから試行錯誤して今まで生きてきていると言えるのかもしれない。
なんて、ふっと思いついたことを書いたので飛躍しててわけわからなかったらごめんなさい。
最近、浮かんだものを言葉にするのが難しい。自分の中で「あ、そうか!」って思っても、それをとりあえず外に出しても、果たしてこれで伝わっているのかなぁ?という。
前にも少し書いたけれども、人によって土台とするものが違って、離れていって。離れた人の立場になって考える、伝える、ということが難しくなってきている気がする。以前は「世間の常識ではこう」というのをふまえて書いていたのが、最近はその常識すらどうだったかわからなくて、その前提に立ってわかりやすく説明することができないというか何と言うか。
なるべくわかりやすく書こうと思ってはいるけど、場合によったら意味不明になるのかもしれない。
でもそれも結局、「理解できる」とか「面白い」と感じる人が読むことになるわけで、似た人が集まる自然な状態に落ち着くのかもしれないな。
ではまた明日。