あまりに個人的すぎるけど嬉しかった話

タイトル通り。あまりに個人的すぎるし、ある意味反感を買う可能性もあるので、これをnoteという場に書くのはどうかな?とも思ったのだけれど。私と似たことで悩んだ方や現在悩んでいる方もいるかもしれないので、そういう方の助けになるかもしれないなと思った話。

何より私にとってとても嬉しいことで、だからちょっと一日中そのことを考えてしまって他にネタを思いつかなかったという所もある。

と意味不明な長い前書きを書いてしまったけれども。本編。


この前こういう記事を書いて

その影響もあってか「生きづらさ」に関するものを何となく検索していたのだけれど、その中でこんな感じの文を見つけた。

HSPと高知能の組み合わせは生きてるのが不思議なくらいだよね

ん??と思った。自分が高知能かどうかはともかくとして、確かに小学生の頃の私はとてもしんどかったし、今も生きているのは運が良かったからで、何かが違っていたらその時点でいなくなっていただろうと思う。だからこそ、あの時を乗り切った!ということが、自分の中でとても大きな力になっているのだけれど、まぁそれは置いておいて。

HSPと高知能。検索してみたらこんな記事が出てきた。

そこに書かれていた

ああああ話通じねえ!!!
なんでそんなことに気づけないんだ
なんでそんなひどいことできるんだ
うわあああ社会のシステム(常識)ろくなことねえええ絶対属したくねええ

あなたがデフォルトで抱いている感覚ってこんな感じじゃありませんか?(笑)

これがもうまさに小学生の時の私そのまんますぎて、

わ、わわわわわかる!!
めっっっっちゃわかる!!

となったのである。

その後の「このタイプはこうなりがち」も、「あーそうだ。今は何やかんやと適応してきたからここまでじゃないけど、昔は本当にこれだった。本来の私はこうだ」と思えるものが多かった。

本当に、この世の中って矛盾が多すぎて。大人たちが平気で矛盾してることを言いまくっているのがわけわからないし、だからってそれを指摘したら「そういうもんだ」って言われるし全然説明してくれないし、的外れなこと言い出すし、「え、何これ、こんな世界でこれから生きていけってか」ととにかく負の部分が見えすぎて小学生の頃は苦しかったのだ。

そんなわけだから、段々他人に対して期待をしなくなる。厄介そうな人にはそもそも近付かない。上の記事内で紹介されている本もちょうどKindle Unlimitedの対象だったからその場で借りて読んだけれども、表現にちょっとうーんと思うものの、まぁ書いてあることはわかるなぁと思うこともあった。人間関係は基本、「和して同ぜず」。この世で生きていこうと思うと、そうなっていくのだと思う。

しかし「仲間が欲しい」という気持ちももちろんあって。「他人には期待しない、こっちは関わらないからそっちも関わってくるな。でもどこかに仲間はいて欲しいし何も気にせず思う存分話がしたい!」という気持ちを持ってしまうのである。

私自身、自分が経験してきたそういう「しんどさ」が、一般的じゃないのだろうとは感じていた。だって、周りの人、何かあんまり考えてないし、矛盾したこと言って平気っぽいし、何か言葉が攻撃的だし、それらに対して特に疑問に思ってないみたいだし。

ただ、そう感じているのが「私だけじゃないだろう」とも思っていた。会ったことはないけど、どこかには似たように感じて困っている人がいて、そんな人と会えることがあれば、きっとモヤモヤせずに楽しく話せるのだろう、という憧れがあった。

実際にそんな人に会って「大親友だぜ!」的な展開には全くなっていないのだけれど、こうしてネット上で「わかるー!!」という気持ちになれる文に出会えただけでもとてもとても嬉しかったのである。

まぁ結局私が言いたいのはそれだけで、仲間を見つけた気がして嬉しかった。だから似たようなことでしんどかった経験がある人、もしかしたら原因は「HSPや高知能」かもしれないし、きっとどこかに仲間はいるよ、と。そう言いたかったのである。


しかしここまで書いてきてアレなのだけれど、正直、私自身はそこまで高知能じゃないと思っている。小学生の時に学校で何かテストした記憶があるけど、その時も120くらいだった気がして。今はもっと下がっているのでは?検査したことないからわからないけれど。
別に何かの法則を発見したとかないし、何かで優勝したとかもないし、特別頭の回転速くないし、私よりも賢いな!すごいな!と思う人はいっぱいいるし、自分が特別「高知能」とは思わない。
ただまぁ、基本的に考えるのは好きだし、知的好奇心は旺盛な方なのだろうから、「高知能要素」が無いことは無いのだろうとは思う。それと「HSP」の気質が混ざると、どうしても「生きづらく」はなるのかなぁ。

まぁ、「生きづらさ」の1つの原因候補を見つけて、仲間だ!と思える文を見つけて嬉しかったと、そういう話である。


余談だけれど、最近、妙に「高知」を見かけることが多く。やたら高知ナンバーに会うし、高知関係のものを見聞きするし、「高知に何かあるの?高知関係の本読むか?」と思っていたところで、まさかの「高知」能。
いやーそれはさすがにちょっと気付けなかったし予想外だなーと思ったのだった。

この人何言ってるの、って思うかもしれないけれども、基本的に私はこんな人間ですよ。


ではまた明日。