昭和一桁生まれの男1
法事があった。祖父の十七回忌である。
生前、祖父が会ったことのないひ孫たちも集まっての法事。賑やかで、祖父も楽しかったのではないかなと思う。
折角なので、今日は祖父の話でも。
と言っても。小2から亡くなるまで一緒に暮らしていた祖父なのだけれど、いざ記事を書こうと思うと知らないことだらけなのに驚く。とりあえず覚えていることだけでも、書いてみようかなと思う。
祖父は6人兄弟の長男だった。上に姉がいて、けれど時代が時代だし、すんなり長男が継ぐという話になったのではないかなと思う。
学生時代は頭の良い人だったらしい。祖父の同級生だという何人かから、「あんたのじいちゃんはようできる人だったんやで」と聞いたことがある。
ちなみに父も勉強ができる人だったらしく、親子2代で同い年、ライバル的な家があったらしい。幸いというか、私は向こうの子どもが同い年では無かったらしく、全く関わりの無いまま終わった。
父もだけど。祖父も、私から見て特別「頭いいな!」と感じたことはあまり無い。ただ、2人とも本はよく読んでいた。父が買ってきてその辺に置いておいた本を祖父が読んでいるという光景は、毎日のように見られた。
読みかけの本の傍らには、大抵黒飴が置いてあったように思う。私が記憶している限り唯一の、祖父の好物である。タバコとお酒も好きな人だったので、それも好物と言えば好物か。
孫である私との思い出はというと。
お正月。日付が変わった夜中に近所で一番大きな神社に連れていってもらえるのが好きだった。祖父と祖母と私、3人で車に乗って出かけた。妹たちが行っていた記憶が無いので、もしかしたら、孫の中で私だけが持っている記憶なのかもしれない。
私は虫が苦手で、けれど田舎だから家の中に虫がいることがよくあったのだけれど。怖がっていたら「街の子みたいに言うな!おとっちゃま(臆病者)やのぅ」とよく言われた。大阪生まれの私なので、「元は街の子やし!」と毎回反論していた。
大喧嘩したのは高校生の時。文化祭の前日。準備をしていて家に着くのが21時くらいになったことがあった。当然真っ暗だし駅から家まで遠いしで、親に迎えに来てもらった。帰ったら「何時やと思っとんじゃ!」と祖父が物凄く怒っていた。しかしこちらだって遊んでいたわけではないのである。「明日が文化祭だから、その準備をしていた」とちゃんと言った。けれど祖父的にそれは理由にならないらしく「こんなに遅くなるんやったら自分で帰って来い!」的なことを言われた。
いやいや。遅くて暗いから迎えに来てもらうんでしょ?という話なのだけれど、祖父的には「そんな時間に親の手を煩わせるなど非常識」らしく。お互いの主張が平行線で全くわかり合えなかった。数日は怒って口をきかなかったと思う。家族の不思議な所で、いつの間にかまた普通に話すようになっていたけれども。
数年後、妹たちもやはり文化祭の準備で遅くなった日があったのだけれど。その時の祖父は「そうかー。まぁ準備なら仕方ないのー」という感じで全く怒っていなかった。今でも思う。理不尽すぎるやろう!!何で私はあの時あんなに怒られたのさ!!
一番上が道を切り開いていったからこそ、君たちの環境があるんだよと妹たちには言いたい。基本的に一番上って、そういう役回り多いよね…。
何やかんやと1400字近くになってしまったので、続きは明日ということで。タイトル回収できなかった!
ではまた明日。