美しい世界
カミナリグモというバンドに『美しい世界』という曲がある。
個人的に「カミナリグモの中で好きな曲を10曲選べ」と言われたら絶対入れる曲。5曲だと…どうだろう。入れる気もするし、入れないかもしれないし、その時の気分によるかも。まぁ一言で表すなら「好きな曲」ということである。
この曲を聞く度に、「美しい世界って何だろう」と思うので、今日はそんな話でも。
「美しい世界」とは。「美しいもので構成された世界」なのだと思う。
ただこの「美しさ」という言葉が曲者で、はっきり「コレ」と言えないものだよなと思う。
「美しい」って比較するものが無ければ成立しないのだ。前提として「美しくないもの」があって、それと比べて綺麗だったりするから「美しい」と感じることができる。他と違うからこそ心が震えるのだ。今「美しい」と感じるものだって、それ単体しか存在しないならきっと「普通」のものでしかない。
だから、「美しい世界」があるためには「美しくない世界」も必要で。更に言うなら人は慣れる生き物だし考える生き物なので、仮に最初に「美しい世界」だと思った場所があったとしても、居続ければきっとそこは「美しい世界」では無くなってしまう。
新しくその世界に来た人は、前と比較し続けて何とかずっと「美しい」と思えるかもしれないけれど。例えばその世界で生まれて最初からその世界しか知らない人にとっては、そこは「美しい」ではなく「当たり前」の世界になるのではないかな。
考えれば考えるほど、「美しい世界」ってとても成立しづらいというか。そもそも何を「美しい」と感じるかは人によって違うし。1人の人の中でさえ、割と短時間で終わってしまう、持続しないものなのではないかなぁという気がする。
「美しい世界」と聞くととても良いもののような気がしてしまうし、絶対的な何かがある気がしてしまうし、何なら目指してみたいとさえ思ってしまうのだけれど。本当は、とても脆くて儚くて、幻のようなものなのかもしれない。
それでも「美しくない」よりは「美しい」方が良いので。その時感じる「美しさ」を目指して人は進むのだろう。幻かもしれないけどその瞬間、確かにそこにあって求めてしまうもの。「美しさ」ってそういうものなのかも。
普段「美しさ」について考えることなんてあまり無いのだけれどね。曲調と「美しさ」の雰囲気が合っていて、だから考えてしまうのかもしれないな。
たまに私が話題に出す曲は基本的に公式動画が無いので出せなかったけど、これはあったので載せておく。
カミナリグモだと最近は、『手品の続き』が妙に響く。「好きなバンド」って確かに存在するし全体的に好きだから「好きなバンド」なんだけど。「その時一番聴きたい曲」って大抵その時の気分に左右されて、絶対王者な曲が私は無い。それだけ音楽と感情は結びつきやすいってことなのかな。
ではまた明日。