日常
2連休があった。
うちの職場は休みが少ない方で、2連休は滅多に無い。というか月の休み回数が決まっているので、2連休があったら他の休み間隔が開いてよろしくない。必要なら仕方ないけど、連休いらない!分散させて!派な私なのである。
しかし久しぶりに2連休があった。特に用事があって申請したわけではなく、シフトが出たら何故かそうなっていた。まぁなっていたものは仕方ないので、休むのである。
やらなきゃいけないこともありはするけど、それは2日間のほんの一部。割とフリーな2日間だった。
なので、気になっていたビーフストロガノフやら、ニンジン染めやら、その他家の掃除や当たり前にこぎん刺しや、いろいろやってみたのである。
そうして過ごした2日間。何となく、「日常」というものを自分の中に落とし込めた気がした。
家の掃除をしたら家が綺麗になった。それは何だか気持ちが良かった。
初めての料理を作ってみた。挑戦するワクワク感がありつつ。自分の身体に入って栄養になるものを丁寧に作る。それが何だか心地よかった。
一部自分で育てたものを使って染めてみた。染め物自体、自然の力を借りているものだし。上手く言えないけど共存している感じがした。
他にもいろいろ。いつもみたいに「限られた時間内にやりたいことを終わらせなきゃ!」じゃなくて、丁寧に目の前のものに向き合ってやる心地よさというのだろうか。
掃除、料理、趣味とか個人的に好きなこと。
それは普段もやっている「日常的」なこと。しかし急かされずに、他の要素を気にせずに、ただ目の前のことをやれるってものすごく満足度の高いことなんだなぁと、自分の中にストーンと落ちてきたのだった。
「小さな世界で生きる」。それは退屈なことではなくて、とても満足度の高いことなのだと思う。
「自分が」やりたいと思ったことを、「自分の」好きなようにやる。
時間も他人も関係ない。自分が主体の生き方。
それは決して「他人と話さない」とか、「内にこもる」とか、そういうことではなくて。
「話したい」と思えば話せばいい。「誰かと何かをやりたい」と思うならすればいい。1人でできることには限りがあるし、誰かがいればそれだけ世界は広がる。
ただ今の世の中は、自分にとって本当は必要ないだろう情報が多いし、「相手にこう思われるかも」とか「自分以外の誰か」を意識してやりたいことができないこともすごく多い。
沢山の情報、沢山の知り合い。それは本当に自分が求めているもので、それが無いと幸せになれないのか?
おそらくそんなことはなくて。「自分+周りの人」の規模的に小さな世界でも、とても満足感は得られるのだと思う。
まずは自分なのだ。自分の日常が満足するものなら自分は幸せだし、そうすれば周りの人にも優しくなれる。
それはつまり、自立ということ。
自分の機嫌は自分でとりましょう、ということ。自分が心地いいと思えるものを、どんどん見つけていけばいい。
自分にとって心地いい日常って何なのか。その一部を体験して自分に落とし込めて、予想外に有意義な2連休だったのであった。
やっぱり普段の毎日が忙しすぎるのだよな。せめて週に2日は休みが欲しいよね。
ではまた明日。