かんがえこと-23 6.10
6月10日(月)
とても、すべてがどうでもよくなる時があって、生理のせいなのか梅雨だからなのか、空は心の中を映し出したようにくもり空で、そのせいでさらに気も重くなって。思えば新潟はいつもこんなくもり空で、ふさいでいて、だから東京の晴れが好きなのだけれど、その空がみれないのは、悲しい。
今日は悪あがきはせず、いつ浮上するのか、流れにまかせてみる。おちつくと、ととのえたくなり、部屋の片づけ。ひたすら捨てられるものを探す。
6月11日(火)
隣の席のKさんは、いつも眠そうにしている。席に着いたとたん、もううとうとしている。眠ってしまえば当然内容がわからないので、当然のように先生に同じことを聞く。いいのだけれど、私にはできないなぁと。うらやましくもある。先生は、やさしい。
6月12日(水)
数じゃない、数にとらわれたくない。けれども、数値的なことではなくて、とにかく回数を重ねる、という意味での「多さ」にとても意味があるのだと、いまさらながらに気づく。質を求めるにも「多く」を知る中での質の発見であって、重ねてきたその上から見ることでしかわからないことがあって。
6月13日(木)
球場へ。いったん席を離れ、駅までCちゃんを迎えにいく。Cちゃんは前の予定が押し、到着時間が延び、さらに延び。しかたがないし、私はいつだって待つ方だからいいのだけれど、私にはできないなぁと。うらやましくもある。どれだけ相手を信頼できているかということ。
6月14日(金)
これまでは迷わず棄権してきたハードル、誘う、ということについて一日中かんがえている。高校生か。いや高校生のほうが素直に軽快に飛び越えていくのだろうきっと。人と人、で良いのに、男と女、というだけで勝手に形を与えた見方しかできないものが、どこかこびりついていて。
蔵前まで歩く。首都高は、良い。川は、橋は、良い。HABへ行く。松井さんは、やさしい。
6月15日(土) 雨
お世話になっているカフェでナポリタン。その足で初台のオペラシティアートギャラリーへ。トム・サックス展。雨の日の美術館は、良い。帰りは雨の中、甲州街道を新宿まで歩く。通り沿いに見上げる首都高は、やはり良い。これはどこかでまとめよう。途中ドトールで休憩。雨の日のドトールも、また良い。雨の日は、好き。
6月16日(日)
タリーズで読書。「いづみさん」を読む。”わたしのからだを破いて、早く出てこい、青い羽根を持った、あたらしいわたし。” ハードルは、はじめから存在しなかったことになった。
スーパーに寄るだけの、しずかな休日。今日のTシャツには ”笑っていれば人生はより良くなる”(たぶん)みたいなことが英語が書いてあって、私はすっぴんで、しずかに笑っていなくて、なんだか少しはずかしい。
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