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湯治をしたときのはなし

こんにちは。みなさま、盛夏の折、体調はいかがですか。私のほうは夏の蒸し蒸しとした暑さに少しまいってきていたところでしたが、ここ数日は台風の影響で雨がつづき、内心ほっとしています。昨晩お会いした農家の方は、まとまった雨がほしい、と切に話していました。ただ、台風は心配。被害が拡大しないことを願っています。

私はふだん、教育関係の仕事をしながら、依頼していただいたライティングや絵本の選書をおこなっています。趣味と仕事の境目がだんだんぼんやりとしてきて、これはたいへんにうれしいことです。それで、本職のほうでまとまったお休みが取れたので、かねてからやってみたかった、湯治というものをしてみよう、和室に籠って文豪生活をしてみよう、と意気揚々Macbookをもって湯治屋に来たわけなのです。


場所は、岩手県花巻市にある温泉館。なんでもここの源泉がみつかったのは1200年前のことで、私がお世話になった湯治屋は創業200年なのだとか。なるほどそんじょそこらの温泉にはない歴史の重みで、廊下はあきらかに水平を保ってはいないし、畳も盛大にゆぱゆぱ(これはおそらく盛岡弁)しています。

でも、心配には及びません。夕方のお出迎えから明け方にかけては、半袖シャツのスーツを着た男性従業員の方が護衛のように立ってくれています。そして朝になると、一体どこから湧き出てきたのかしら、とおもうくらいにたくさんの女性従業員の方々がわっと一斉に現れ、湯治屋の空気は一変します。

清掃用具を手に、ちゃきちゃきと、淡々と、丁寧に仕事をこなしていきます。ここは東北なので、皆さんおもてにこそだしませんが、そういうパワーがみなぎっている女性従業員の方の仕事振りは見ていてとても気持ちがよく、掃除も行きとどいていて素晴らしいです。建物が古くてもここまで清潔に維持されているのは、あの女性たちの力なのだと思います。

それから建物の雰囲気から思い出すのは、やはり宮崎駿さんの『千と千尋の神隠し』です。湯屋と神様って、やっぱり何かしらつながりがあるのかもしれない。泊まった部屋の正面には木製の鳥居が見えているし、このあたりの温泉郷はとくに、神様がぬらりぬらりと現れてもおかしくはない雰囲気。(余談ですが映画にでてくる千尋とカオナシが電車にゆられるシーンは、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜」へのオマージュだという記事を見かけたことがあります。)

異常なほどまでに方向音痴の私は、滞在中ほぼ迷い子で、床の軋む音に気をつけながら、いったいいくつあるのかわからない客室の前をいったりきたりうろうろしていたのでした。これじゃあまるで千のようだわ、と思いたかったけれど、私がしていたことといえば、湯婆婆にこき使われるどころか、食堂で作っていただいたごはんをもりもりたべ、お部屋でぐうたらする、ということだけだったので、当然ハクは現れませんでした。


それから、湯治屋での人と人のあいだに流れている空気は、ここでしか味わえないものだと思う。

従業員同士の距離感は、家族みたい。歴史が長いぶんおそらく勤めている方の年数も長いのでしょう、二十歳前後と見受けられる若くて私服も超今風の男の子もめんこがられていて(これも盛岡弁)、いいなぁ、って。

滞在している湯治客同士の距離感も、不思議と落ち着くものがあります。

創業二百年の湯治屋の部屋には、ホテルのようにオートロック機能やカードキーなどあるはずもなく、すりガラスと障子の木枠にはめられた、あの棒を鍵穴にさしこむやり方の、内鍵のみです。そして、毎日気温は30度超え、冷房機能ももちろんないので扇風機のみ(一日300円也)。みなさん、部屋の障子は開けっ放しです。暑いので。

はじめこそ躊躇したものの、慣れると案外平気で、開け広げている障子のすきまから通りかかったちびっこがたちどまって私の顔をまじまじ見たりして、おもしろかった。大人は見ないふりをしてくれるけど(でも絶対横目に見ますよね、どんな風に湯治生活してるんだろうって)子どもは無遠慮にフシギな湯治館を探検できる、というわけなのですね。

私の隣人の女性客は、湯治の達人、という感じ。部屋にロープを渡らせて、お洗濯物を干していたし、カーテンがわりにかけていた手ぬぐいも、完璧でした。共同自炊場は常連湯治客の聖地、という感じがして立ち入るのはすこしはばかれましたが、歯磨きするときだけそろりとお邪魔させてもらいました。

それから、朝の5時ごろ内湯にいくともうすでに3人ほどおばあちゃんたちがおしゃべりをしていて、洗い場で「おはようございます」と挨拶しあったのははじめての経験でした。

たとえたった何日かの滞在でも、おなじ湯に癒され、おなじお台所を使っているうちに、なんとなく遠い親戚なのでは、という気持ちにすらなってくるのは、なんとも言えない心地よさでした。かといって、名前もわからないし、顔をはっきり覚えたわけでも部屋を行き来するわけでもない。「湯治客」という凛とした一線が、そこにはありました。

それでいて、セキュリティほぼ皆無の畳の部屋は妙に安心感に満ちていて、ぐっすりと眠れるのでした。


ざんざん豊沢川にふる雨のおと、ひぐらしの鳴くこえ、ノウゼンカズラのだいだい色。湯治屋にあったのは、とくべつでもとびきりでもない、ひたすらに心地のよい日本のふるい暮らしでした。


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