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9/6らへんの週報#嗚呼岩手山

一日遅れになってしまいましたが、週報を書きます。昨日は、大好きな岩手山に登りました。岩手山の何が好きかと言うと、まずあの美しい裾の広がり。雄々しさ。見守ってくれていることがわかる懐の深さ。

いつか岩手を離れることになるのか、おばあちゃんになってもいられるのかそれはわからないけれど、そのとき私はきっと、岩手山を想って泣くだろうと思います。

大切なひとたちとは物理的に離れてもこころが繋がっていることを感じとれるけど、岩手山は、写真じゃ駄目なんです。ささやかな日常のなかで、この目で見て、「今日もいってきます」がしたいんです。

『岩手山に登る』は今年のやりたいことリストにはもちろん入っていたけど、偶然友達に誘ってもらい実現できました。ほんとうにありがとう。

4時起床。ねむい...

5時ごろ、車の窓から。ここ数か月で間違いなく一番の美し岩手山に、頂上での景色を思い浮かべてフライングときめき。

6時半登頂開始。風がすこし強かったけど、それがとっても気持ちよくて、友達と「今ならとべそうだね~」って何回も話した。

岩手山の地肌。なぜだかどきりとします。

登り始めから4時間半くらいで、8合目の避難小屋に着きました。ここから頂上までは20~30分だからと聞き、リュックも置いて身軽になって。ポケットには山頂で食べたらたのしいだろうなぁとすあまも忍ばせて。

ところが、ここからはもう、もう。とんでもない暴風雨でした。雨、というよりは雲のなかにいたということなのかなぁ。細かい粒子が横殴りで左の頬や耳の中にも打ちつけてきて、もう笑うしかなくて。

頂上ですあまをたべるなんてとんでもない、息をするのもやっとでした。でもとてもすっきりして、いらないものもすべて、有無を言わさず洗い流されて浄化された感じ。

山頂からの景色。雲のなかの虹、はじめて見た。

見せつけられました、岩手山の偉大さと自然の驚異。

そしてもうひとつ、自然のなかの「ひと」ってすごく本質が見えるなって思うことがあります。

何も言わずともゆっくりのペースに合わせて歩いてくれていたり、一瞬目が合って、その目が「だいじょうぶ?」「しんどいねぇ!」って言ってくれていたり。

ふとした時にそういうひとの芯の優しさみたいなのが見えるから、自然のなかで過ごす時間が好きなのだと思います。


蒸し暑い毎日が、続いていますね。一日の時間をうまく使えなくて、やりたいことができなかったりそもそも何もやりたくなかったりする日がなんとなく続いています。でもそんなじめじめした自分に、罪悪感や根性なし!みたいな気持ちをもたずに、やさしくあまやかすことができるようになりたい。

みんな、ゆっくり。深呼吸をして。そんな一週間が送れるといいなと思います。最後まで読んでくださって、ありがとうございます。それではまた来週。


おまけ

岩手山に持っていったたべもの

・行動食(この言葉の響き好きです、サバイバルな香りにぞくぞくできる)おむすび(たらこ)いくつか、きゅうりの浅漬け、塩羊羹、ちいさいお餅(栗入り)、濃いめのカルピス。

・お昼ごはん 梨、もも、枝豆ととうもろこしと刻んだ茗荷を塩で和えたもの(祖母直伝夏の味)。

反省点は、食料が重すぎて脚の踏ん張りがきかなかったこと。でも、山でたべるごはんのたのしみがなくて、一体どうやって9時間も歩き続けるというのだろう(!)。

山頂が寒すぎて、くだものもお水もほとんど減りませんでした。いっちばん美味しかったのは、カップラーメン(シーフード味)。カップラを開発した百福さんと、お湯を沸かしてくれている山小屋のボランティアの方に心から感謝です。冷えきったからだにあのしょっぱさ、染みたなぁ。

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