吉野の南端、伯母子岳
アプローチ
伯母子岳は紀伊山地西部の標高1344mの山だ。
京奈和道の紀北かつらぎICから国道371号を約2時間、車を走らせる。
途中、高野山を通過すると、そこから先の国道は、ほぼ山の稜線を走る。
登山口から先もヤマツツジやシロヤシオが咲く、なだらかな稜線を登り、1時間40分歩くと山頂に着いた。
熊野古道
伯母子岳の山頂は、奈良県吉野郡野迫川村と十津川村の境にあり、山頂直下の伯母子峠を、高野山と熊野本宮を結ぶ熊野古道・小辺路が通っている。
大峰山の最高峰八経ヶ岳がみえる。その稜線は吉野から熊野本宮に至る大峯奥駈道、こちらも熊野古道だ。
下山後の寄り道
下山後、すぐ近くの護摩壇山に行けたが、次の楽しみに取っておくことにした。
代わりに、前々から行きたいと思っていた九度山に寄ってみた。
関ヶ原の合戦で降伏後、真田昌幸・幸村父子が13年間幽閉された場所だ。
行ってみると、閑居生活を送った屋敷があったとされる真田庵(善名称院)があった。
九度山の真田庵
幽閉10年めに亡くなった昌幸の墓があった。父を看取った後も続く雌伏の間、信繁は何を考えていたのか。
真田丸をひと月で完成させた信繁が、九度山時代に何もしていなかったとは考えにくい。
生活に困窮し真田紐の行商などで、生計を立てていたと伝えられるが、高梨内記、青柳清庵、三井豊前らの家臣とともに、諸国を駆け回り大阪出陣の準備を着々としていたのは想像に難くない。