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★キャンピングカー生活まであと4日★「手の届く範囲」
こんばんは。
いかがお過ごしでしょうか?
ぐっちーです。
今回は「手の届く範囲」を考えてみたいと思います。
よく「手の届く範囲の人を幸せにしたい」という人がいます。
その言葉って、どうなんでしょう?
手の届く範囲(もちろん例えですが)は人それぞれですが、広がっていくものかもしれないし、最後まで数人だけなのかもしれないです。
正直、私は手の届く範囲が分かっていません。
自分が直接知り合いの人のことでしょうか?
それともその中でも自分が親しくしている人でしょうか?
自虐的に言ってしまうけど、深く継続した関係性を保つことが苦手な私は「親しい人…誰だろう?」となってしまうこともあります。
そもそも幸せにしたい、っていうのは自分本位なのでは...とか考えてしまうこともしばしば。
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話は変わるけれど、私は自分を頼ってもらうのが好きだし、そうすることによって承認欲求も満たされるため、人から相談を受けることがとても嬉しいです。
正直、関係値に関わらず自分を頼ってくれるのはありがたいことだと感じています。
だから、手の届く範囲というのは自分を頼ってくれる人、なのかもしれない。
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話を戻します。
手の届く範囲を幸せにする、その前に大事なのは自分を幸せにすることのような気がしています。
満たされていない人のところに人は集まらないような気がするから。
そう思う反面、自分を満たすためには他人の存在が必要不可欠な気もする。
与えるが先か、与えられるが先か。
どのみち大事なのはバランスであるから、結局欲してばかりでは自分の方に回り回ってこない。
手の届く範囲を幸せにすることは、言い換えれば自分を幸せにすることでもあるんだろうなぁと思う。
もちろん保証などないし、恩を仇で返される場合だってある。
おそらく上手く生きるコツは、自分から無償の愛で行動することと、上手くいかないことも気にしないことだろう。メンタルが強い人ならそれでいいと思う。
しかし私は自分で言ってしまうが、メンタルがめちゃめちゃ弱い。
自分の精神の健康のためにも、自分が認められる、安心して自分を出せる人でなければ中々信頼できないと思う。
無償の愛が裏切られることほど、悲しみの引き金になることはないから。
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手の届く範囲、何かが引っかかる。
確かに大事だ。
人間らしくいるなら、自分の仲間として認識する人に媚を売りたいし、自分を仲間として認識してもらいたいのが普通だ。
普通。普通だ。
そう、普通だ。
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手の届く範囲って、わざわざ言う必要があるのか?
自分が幸せにできる範囲でいいんじゃないか?
それが結果的に手の届く範囲なんだから。
その言葉は最初から自分の限界を決めようとする保険のような言葉に聞こえてきた。決して悪い言葉じゃないんだけど。
自分の力がどこまで及ぶかなんて、やってみなきゃ分からない。
それなら自分が行動する範囲をわざわざ定義する必要はないと思った。
目標は持っておくに越したことがないけど、手の届く範囲って、ちょっと使いたくない。
<<<あと4日>>>
ひねくれ者