当たり前の範囲〜生き方見本市HOKURIKUの参加記録〜
こんにちは。
5月になってもなんだか寒いような暑いようなよく分からない気候が続きますが、いかがお過しでしょうか?
今日は、生き方見本市HOKURIKUに参加して、とあるセッションからモヤっとしたテーマを突きつけられて寝込んでしまった僕の記録にお付き合いください。(寝込む前から体調は悪かった。)
私たちの、名前のない関係
今回参加したセッションのジャンルは「恋愛と性」です。恋愛や性の話を改めてしてみよう。向き合ってみよう。というところから、とあるカップルの様子を赤裸々にお話いただいた上で、参加者みんなで考えてみる、話し合ってみるという狭い範囲(とあるカップル)のことを多数の参加者の皆さんとディスカッションするという画期的なトークセッションでした。
内容がどういうものだったか、体調不良の影響もあり、記憶から抜けてしまっている部分もあるため(オイっ)あまり詳細には語れないのですが、私が感じた「モヤ」はズバリ今回のテーマの中にある「ポリアモリー」の存在およびそこから派生した「当たり前とは何か」です。
今回のトークセッションに登壇したカップルのお二人は、一人(男性)の方がポリアモリーでもう一人(女性)の方は特にそういうのには当てはまらない所謂”普通”の方です。
ポリアモリーの定義については、詳しくは調べていただくとして
めちゃくちゃ噛み砕いて表現すると、序列のない複数恋愛とでも言いましょうか。
一般的な浮気や不倫と違う、きちんと相手に同意を得ている上で複数の方とお付き合いしている方々ということです。
ポリアモリーに戸惑う
僕は、正直この言葉を聞いた時、とんでもなく違和感を覚えました。
人生で初めて聞く言葉であったため、少し動揺したのもあるのですが、ポイントはそこではなくて、
登壇されたお二人からポリアモリーの定義を初めて聞き、彼が詳しくお話している様子を横で見ている彼女の方が全然納得いってなさそうだったこと。
あれ?彼が宣言しているだけで、ぜんっぜんポリアモリーが成立してなくない?と違和感と共に疑問が湧き上がったのです。
そこで私は堪らずお二方に質問をぶつけてみました。
「お二人の関係性は一旦理解しましたが、このまま関係が継続していく中で、色んなライフイベントがありますよね?例えば結婚・出産。これらを乗り換えていくことは可能だと思いますか?」
違和感を拭うためにはこの質問をぶつけるほかありませんでした。
彼からは「成立すると思う。」
彼女からは「成立するとは今はとても思えない。」
僕はここで、この二人が「あっポリアモリーの関係を成立させている二人ではないのね。」と初めて気づきます。(遅い)
「その上で名前のない関係性ということか。」と今回のトークセッション名の意味を知ります。(開始15分くらいの出来事でしたのでホント遅い。)
つまり、これからこの関係性がプラスに働くかもマイナスに働くかも当人たちも不透明な状態で、これからどうしていくべきか模索中であるということで
「今の私たちの状態どうよ?」「みんなこんな暗中模索の状態になったらどうする?」「成立させるためにはどうしたらいいと思う?」
とあらゆる角度から沸き上がる疑問点をみんなで考えてみましょう。ということでした。
ちなみに、今回はトークを一方的に聞くぐらいのスタンスでいたので、参加型だと知るには準備運動が全然足りずに、一旦立ち止まって確認したいがために先ほどの質問をぶつけてしまったのでありました。
蓋をするのは簡単
というわけで皆さん、突然お付き合いされている方が
実は…。
「複数の人間を愛したい。」
「実践したいと思っているの。」
「あなたも実践してみたら?」
なんて発言されたらどうしますか?
以前までの僕なら確実に
「それでは、その関係が成立する方々とお付き合いしてください。さようなら。」
と割と簡単に答えを出したと思います。
なぜか・・・
ん〜〜、嫌悪感があるから。
パートナーが自分以外の他の人と性的な関係を持って、他の人とそういう行為をした翌日に自分も同様にパートナーと性行為ができるか。。。
誰かは分からない”その人の顔”が思い浮かんでとてもじゃないけどできない。
暖かいその手が、他の人とも触れ合っていて…
考えるだけでウェってなります。
単純に嫌悪感でしかないのです。
人にされて嫌なことはしないように。とかそういうことじゃなくて
単純に不潔とかそういうことを思ってしまうのです。
ポリアモリーではない人にしてみたらごく単純な考えですよね?
僕がそんなにおかしなことを言っているわけではないとご理解いただけるかと思います。
さあ、そんな中で、とある参加者の方がこんなことを
おっしゃっていました。
「別のセッションで障害者の姉を持つ方のトークセッションに参加したのですが、今の世の中って健常者が障害者よりも多く存在しているだけで、もし障害者の方が健常者よりも多く存在していたら、世の中はもっと障害者の生きやすい世の中になっているはずだ。というお話があったのを思い出しました。
あなた達のお話ももしかしたら世の中にポリアモリーの人間が少ないだけで、もしポリアモリーの方が多い世の中だったら、彼女の考え方はすごく窮屈な考え方に写ってしまいますよね。」
確かに…。
僕の脳が今までの自分の考えを一旦停止させてみましょう。と働きかけてるようでした。
誰からみてマイノリティなのか
今まで自分がボケっとできていたのは、自分が誰かにとってのマイノリティである瞬間に出会ったことがなかったんだなと改めて思いました。
自分にとっての当たり前が決して他人からすると当たり前ではない。
言葉にすると単純明快なのですが
本当の意味で理解していなかったのは、自分にとっての当たり前が、今までに関わってきた人たちにとっても当たり前の範疇だったからだと思います。
勿論、中には、この人なんかおかしくない?なんて疑問を持たれていた可能性は否めませんが、少なくとも僕に直接疑問をぶつけてこなかったのは、それをわざわざ呈するほどの当たり前の範囲外ではなかったからとも思ってます。
仮に範疇外であっても、「あなたはそういう人ですね。分かりました。」
と、ある種納得という名の思考停止が入り、別に関わらなくても問題ない状態が成立してたんだと思います。
今回のセッションで初めて、自分の考えが理解されない・共感されない環境下でずっと暮すことを疑似体験し、自分がいかに楽に生きてこられたのかを実感したのでした。
「一人の人だけを愛するなんて、おかしくない?複数人を同時に愛してこその恋愛じゃないの?」
ということが当たり前の世の中だったら、自分は一人の人を愛することの正しさを清き部分を訴えかけているのだろうか。
そもそもそれが正しいわけではない世の中で?
清い部分なんて存在しない世の中で?
答えは見つかりませんでした。
多様性を簡単に語るべきではない?
今回参加したセッションで、改めて多様性とは何か考えてみました。
これまで、働き方の多様性、価値観の多様性、多様性が求められる社会。
色々語られてますが、
結局、語っている側はマイノリティを受け入れてやっている側だったりしませんか?
多数派が少数派を囲い込んで、ジワジワとグレーから黒へと変化させようと受け入れるつもりでいませんか?
共存共栄の上澄みだけ掬って、多数派にとって都合の良いように少数派を受け入れやろうとしてはいませんか?
なぜこの疑問が浮かんだのかですが
僕は、多様性を考えるに当たって、もう一度今回のセッションについて考えていたのですが
どうやったらポリアモリーの人を理解できるか?
ポリアモリーの人にこちら側のことを理解してもらうにはどうしたらいいか?
と、やっぱり自分の立場がさもニュートラルであるかのように考えていたことに・思考パターンが偏っていることに気づいたからでした。
寄り添うつもりが、無意識に寄り添ってやっている構図になっていることに気づいたのでした。
結局、多様性を語るには共存共栄が成立したところでしか語れないような気がして、今の自分にはそれを語る権利はないのだと思考パターンに逃げ道もなくグルグルしていたところ最終的には寝込んでしまったのでした。(体調不良も相まって)
答えをすぐに見つけなくても良い
まあ寝込んだことは、半分冗談にしても
実際問題今回のセッションのお二方の問題や多様性の問題は
すぐに
「こうあるべきだ」
「これが正解だ」
といったことは見つからないのです。
(誰か明確な答えがある人はご教授ください。)
ただ、一緒に考えていくことが大事なんだと思います。
どうするべきか、あーでもないこーでもないと試行錯誤してはじめて
うっすらと答えが見つかるのかもしれないなあということが今回セッションに参加した僕の仮の答えです。問題は継続中です。
解決方法は今すぐにでなくてもいずれ見つけなければいけない問題だとはやっぱり思ってしまうから。
例えば、冒頭の出産・育児の問題。
少し誇張した例えになりますが、育児で大変な最中パートナーは他の人とデート中。なんて構図は自分の中でやっぱり許せないから。
仮に自分もポリアモリーとして生きていて
別のパートナーに我が子の育児を一緒に。というのも何だかおかしくないかと思ってしまう。(ここでいう我が子も、別のパートナーとの間でも我が子が存在するかもしれない。)
みんなで育児するってある意味面白いかもしれないけど、冗談でもやっぱり笑えない…。
と、こうして今でもグルグルしてます。でも自分の大好きなパートナーがもしそうだったら考えないといけないでしょ?皆さんどうします?
ん〜〜、これ以上考えても今はダメな気がするな。
もし可能なら今回のテーマで日本中をトークセッションとして巡業したい気分です。
明確な答えを探すためと言うよりは、みんなで頭を悩ませましょうと言う名目で。
一緒に思考することから多様性を考える第一歩だと思うから…。
ここまでお読みいただいた方には申し訳ないのですが今回の参加記録はここまでです。
明確な答えがないからね。
申し訳ないです。
ここまでお読みいただいてありがとうございました。
それではまた。