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発酵ラボ 〜まずは基礎知識〜

ここ数年「発酵」という料理法が一般のレストランにも定着し、料理に自家製の発酵食品を取り入れるシェフたちが増えました。とはいえ発酵はもともと伝統的なもの、ぼく個人としては日本の発酵食品──みそや醤油、納豆──などを取材してきた経緯もあり、流行としての〈発酵〉にはあまり興味がありませんでした。

伝統食品とは関係なく新しい調理法の一つとしての発酵が注目されだしたのは2010年代以降のこと。世界ベストレストランランキングの一位に選出されたデンマークのレストラン『ノーマ』が発酵に取り組みはじめたのが2008年、2011年には発酵をテーマにしたシンポジウムを開催し、2014年にはラボを構えますが、このあたりの影響が大きいでしょう。

Nomaは2015年にはチームで来日していますがその時、日本で披露されたメニューにも麹などの発酵技法が多く使われていました。その後、ラボの研究成果をまとめた本も発売(2018年)世界で翻訳され、nomaが関わった本のなかでは一番のベストセラーになっているそう。

こちらの「ノーマの発酵ガイド」に掲載されているのが〈黃えんどう豆のみそ〉という調味料です。

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(写真は自家製です)

このみそはピーソ(Peaso)と名前がつけられました。デンマークでは黃えんどう豆はとてもポピュラーな食材。(デンマーク人の友人に聞いたところ豚肉と一緒に煮込むのが定番のよう)

作り方としては黃えんどう豆を茹でたところに大麦の麹、塩と塩水(塩分濃度で4%)を混ぜ、発酵させたものです。米麹ではなく大麦の麹を使うのがポイントで、米よりも大麦のほうがデンマークでは入手しやすいのと甘みが抑えられる、というのが使用理由のようです。

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https://www.umamiinfo.jp/richfood/foodstuff/miso.htmlより図版引用

うま味インフォーメーションセンターのウェブページにピーソと白みその遊離アミノ酸量を比較したグラフがありました。ピーソはアラニンやセリンといったアミノ酸(どちらもさっぱりとした甘さを持つアミノ酸です)が多いのが特徴。黄えんどう豆はアミノ酸のもとになるタンパク質が豊富な豆なので、このデータも納得。アラニンやセリンはイノシン酸と相乗効果(この2つのアミノ酸もグルタミン酸の味覚受容体に弱く結合するためうま味を感じる)があるので、料理には使いやすいのでしょう。

それよりも驚くべきは4%という塩分濃度です。『塩味が強いと使いにくい』というのが低い塩分濃度の理由のようですが、日本で甘口とされる白味噌でも5〜8%ですから、それよりも低いわけです。たしかに保存だけを考えるのであれば冷凍庫で保存すればいいわけですから、低い塩分濃度でも作れないことはないのか、と。

これを知ると日本でも大豆以外の豆や低い塩分濃度でみそをつくる、という発想があってもよかったのでは、と思います。アメリカを代表するシェフのトーマスケラーはピーソを練り込んだバターを料理に取り入れています。以前のように一つの料理に過剰な労働時間を費やして一皿をつくる、ということが難しくなった時代。12時間かけてフォンドボーをとるよりも長い時間、人間ではなく微生物に働いてもらって発酵調味料を使ったほうが現代にマッチした料理がつくれる、ということでしょう。

また、ピーソは醸造過程でバラやレモンバーベナを加えたり、柚子やカカオを加えて発酵させるなど、バリエーションも様々。先入観のない彼らだからこそ、新しいおいしさをつくることができたわけです。僕が驚いたのはこの点。

ここは一つ発酵を勉強せねば、というわけでnoteに発酵ラボというマガジンを作りました。小規模飲食店や家庭で応用できるレシピなどを掲載していけたら、と思います。

以下、余談。前述の本を読めばいいやん、とも思ったのですが、nomaの本の内容はそのまま日本で応用できません。なぜなら日本には酒税法という壁があるからです。発酵食品にはアルコール発酵をともなうものがありますが(例えば酢)日本では認められていません。そういった問題をクリアしつつ、基礎的な部分の解説をしていくつもりです

まず前提となる基礎知識から。

発酵の定義

まずは発酵の定義について復習しましょう。発酵を辞書で引くと「微生物が酸素の存在しない状態で、糖類を分解してエネルギーを得る過程。酒、みそ、醤油、チーズなどの製造などに古来利用されてきた」とあります。高校の生物の時間に習ったと思いますが「我々は呼吸をすることで、微生物は発酵することでエネルギーを生産する」わけです。

例えばアルコール発酵は微生物がグルコースを分解し、エタノールと二酸化炭素、ATP(アデノシン三リン酸)をつくります。ATPはざっくりエネルギーの供給源と理解してください。乳酸発酵も微生物がグルコースを分解して、乳酸とATPを作ります。つまり、微生物は生存のためにATPを作り、我々はその副産物の恩恵に預かっているわけです。

ここからちょっと話がややこしくなります

で、ややこしくなってしまうのですが、発酵とは嫌気性環境で行われる営みなのですが、一部酸素を必要とする微生物(好気性菌)もいるのです。(種麹や酢酸菌がそうです)この反応も一般的には「発酵」と表現されます。一般的に言われている発酵という言葉が示す範囲は科学的な定義よりも広い、ということ。

ただ、発酵の定義である「酸素の存在しない状態」=嫌気的環境は発酵食品を自家製するうえで重要なキーワードなので頭に入れておいてください。自分でみそをつくったことがある人はわかると思いますが、例えばみその場合は重しをすると「たまり」という水分が上がってきます。この水分によって酸素が遮断された状態になるので、発酵がうまく進むのです。漬物にしろ、かぶら寿司にせよ、酸素をどのように遮断してくのか、という理屈は頭に入れておいたほうがいいでしょう。また、嫌気性の食中毒菌(例えば致死率の高いボツリヌス菌)に対してどのように対処するか、というのは安全を考えるうえにおいて最重要課題です。

発酵に関わる微生物は大きく3つ

発酵に係る微生物は大きくわけて

1.納豆菌や酢酸菌、乳酸菌などの細菌類
2.ビール酵母やパン酵母、清酒酵母などの酵母
3.コウジカビなどのカビ類

3つです。食材+微生物の組み合わせで様々な発酵食品が生まれますが、ここで『発酵食品』という概念が出てきます。この言葉が指す範囲は発酵よりもさらに広いので、混乱しがちです。例えば塩辛なども『発酵食品』と言われています。

塩辛はいかの身や内臓を塩で漬け込み、熟成されたもの。イカ自身が持つ酵素によってタンパク質がアミノ酸に分解され、うま味や風味が生まれたものなので、微生物は関係ありません。(好塩性の微生物=乳酸菌類が風味には影響していますが、なくても塩辛にはなります)そのため塩辛について文章を書く場合はたいてい「発酵・熟成」のようなぼかした表現をとることが多いのです。

塩辛の場合はある意味、そのまま放っておけば自己分解は進みます。しかし、そのままにしておくと有害な微生物が繁殖し、腐ってしまいます。そこで塩を加えることで他の微生物の働きを抑えているのです。この塩を使って微生物の働きを抑える、というのは発酵を料理に用いる基本的なテクニックのひとつなので、後ほど解説していきます。

他にも発酵食品と言われているものにも発酵は関係ない食品はたくさんあります。例えば紅茶もその一つです。

こうしたページで紅茶は完全発酵茶という表記がありますが、実際には酵素の働きによるもので菌は関与していません。そのため発酵ではないのですが、お茶の業界では慣習的に「発酵」と呼んでいるので、このような表記になっています。食品由来の酵素が働くという点では酵素反応を利用してつくられるバニラビーンズも発酵食品にカテゴライズされます。

みりんなんかも微妙なところです。みりんは原料として用いられる麹の麹菌に由来する酵素反応(アミラーゼ)によってもち米のデンプンを糖化させてつくるので発酵はあまり関係ありません。そのままにしておくと酵母菌によってアルコール発酵してしまうところですが、はじめからアルコールを入れることで菌の働きが抑えられます。結果として独特の甘味が残る、という原理です。

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醤油は大豆に加える麹菌の働きで醸造されるので、これは紛れもない発酵食品ですね。

魚醤は醤油とよく似てますが、塩辛と同じで魚自身が持つ消化酵素の働きによって、タンパク質の分解と菌は関係ありません。(もちろん、塩辛と同じでその後乳酸菌によって風味が生まれます)魚醤と醤油は酵素と菌という違いはあれども、結果として出来上がるものの味はよく似ていますし、どちらも発酵食品と呼ばれています。しかし、働いている原理が若干、異なるわけです。

世界中で流行っている「黒にんにく」はどうでしょうか? 黒にんにくも時々発酵食品と言われたりしますが、こちらは菌の働きはまったく関与していないどころか、酵素反応もあまり関係ありません。ニンニクが黒くなるのは糖がメイラード反応を起こすからです。というわけで黒にんにくは発酵食品ではありませんが、前述の「ノーマの発酵ガイド」では「黒変は発酵ではない」と前置きした上で

それでも、私たちは黒変はこの本で取り上げるべきだと信じている。魔法のような変化起きるという点では微生物による発酵と同様であり、また私たちの食品庫の中ではどちらの産物も同じ場所に並んでいるからだ

としています。北欧のレストランでは酢漬けのピクルスなども「fermentation(発酵)」と呼んだりします。ただ、ピクルスを発酵食品としてしまうとザワークラウトなどの乳酸発酵系の漬物との差異がわからなくなってしまうので、これは首をかしげたくなるところです。いずれにせよ「発酵食品かそうではないか」という問いにはたいした意味はありませんが、ある食品において微生物や酵素がどのように作用しているのか、は頭に入れておく必要があります。それを理解してはじめて応用が利くからです。

発酵と腐敗

発酵を説明する際、最初に説明されるのはたいてい発酵と腐敗の関係です。微生物の観点から見ると発酵と腐敗は同じ現象で、発酵は人間にとって好ましいもの、腐敗は好ましくないものと説明されます。蒸した大豆に枯草菌を増やしたものが納豆ですが、煮た大豆を放置して菌が増え、粘つきやアンモニア臭が出たら腐敗です。

牛乳を放置すると、乳酸が生成されます。うまくいけばヨーグルトですが、腐った牛乳はおいしくありません。カビが生えてしまえば発がん物質であるカビ毒のリスクもあります。面白いのは日本酒に乳酸が増えてしまうと「火落ち」といって腐敗のカテゴリに区分されること。つまり、腐敗と発酵をわけているのは菌群の違いではなく、人間の判断です。

腐敗したものはおいしくないのですが、一般的に食品1g当たり10の7乗~10の8乗程度に菌数が増えると、色や味、香りなどが損なわれ、食べられないものになると言われています(数字は菌によって異なりますが)。ただ、腐敗したものを食べる=下痢や嘔吐などの特定の症状がでるわけではありません。食品衛生上問題になるのは特定の微生物が繁殖、または毒素を出したことで健康を害する食中毒です。

低温調理の記事でもふれていますが、食中毒は特定の微生物が増殖することによって引き起こされます。日本ではウイルスや原虫を含めて20数種類の微生物が食中毒微生物として食品衛生法の対象とされていますが、食中毒は見かけや味などで判断することはできません。魚には腸炎ビブリオが潜んでいる可能性がありますし、カンピロバクターのリスクがある鶏肉もごく一般的に売られています。

このあたりの安全性は前提となる概念です。しかし、これは発酵に限った話ではなく、料理全般に言えること。そもそも食材には何百万という数の微生物がいますが、そのほとんどは食中毒と関わりのない菌です。細菌は目に見えず、匂いもしないからこそ食中毒が怖くなって全部を悪者にしてしまいがちですが、きちんと理解すれば恐れる必要はありません。

大切なのは事実としっかり向き合って「適切に怖がる」ということです。危険性を度外視して根拠なく安全を盲信してもいけませんし(自分が食中毒になるのはまだしも他人を巻き込むことはNG)逆に知ろうともしないで危険性を煽るのはただの迷惑な人です。人間は長い歴史のなかでリスクを評価し、食文化という形で結実させてきました。それを理解し、知識を正しく使うことが重要でしょう。

知らないことで起きる食中毒

いかの塩辛や和風白菜キムチの食中毒が時折発生していますが、伝統的な製法でつくられたものであればそのような事件は起きなかった可能性があります。例えば塩辛の塩分濃度は10%以上がふつうだったので、常温保存されていたとしても重篤な事件には至りませんでした。腸炎ビブリオは10%以上の環境であれば増殖できないからです。

しかし、今の塩辛は低塩分(4〜7%)が主流。低塩分だと細菌の増殖を抑えられず、結果として長期間熟成させることができません。そのため、調味料で味付けする、という本末転倒な自体が起きています。しかも、どちらも同じ塩辛として販売されているわけですから、知ることでしかリスクを回避できないわけです。

発酵をテーマに考えるのであればこうした安全性の問題もクリアする必要があります。幸いなことに肉や魚ではなく、野菜であれば比較的問題が少ないので、このあたりについても取り上げていきます。とりあえず長くなったので今回はこの辺で。

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樋口直哉(TravelingFoodLab.)
撮影用の食材代として使わせていただきます。高い材料を使うレシピではないですが、サポートしていただけると助かります!