感情に「名前」をつけると、癒されることに気が付いた。
前回書いた、
よくある現象を「普通の物」としてスルーしないで、
切り取って、
名前をつけることで、その現象がライトアップされる。
そのことで人は感動するんだという記事を書きました。
今回は、それが心の癒しにもつながることに
気が付いたという話です^^
その日仕事をしていてね、
上司から大量の事務を頼まれた。
その時に、「うわあー、嫌だなぁ」と素直に感じた。
この時、自分で驚いたの。
あ、私「大量の仕事を頼まれるの嫌だと思ってたんだ」って。
しばらく在宅勤務で、仕事を離れていたせいだ。
だって、今まで大量の仕事を頼まれても
「それが当然」
「やるのが当然」
「何も考えずにやる」
という気持ちしか持たなかった。
だから、嫌と思う前に、すべての感情がシャットダウンされていたんだよね。
だけど、家でゆったりと在宅勤務をして、
仕事のストレスがない状況の2か月を過ごしたために、
今回この「上司から大量の仕事を頼まれる」という現象が
客観的な目線を持ったことで切り取られた。
そして、この現象に「嫌なこと」という名前をつけたんだよね。
でね、なぜか
この「名前を付ける」ことによってね、私、驚くほど癒されたの。
「私、この仕事嫌だと思っているんだ」と受け入れて、
なぜか固まった心が、ほろほろと溶けて行ったような気持ちになった。
もちろん、仕事だしやることにはなるんだけど、
名前がついただけで癒されたの。
よく考えたら、これっていろんなことに当てはまる。
例えば、歌の歌詞を聞いていて、
「私のことを言っているんだ」と
深く感動したり、共感することあるよね。
これは、
いつもは気が付いていなかったり、
又はすごく悩んでいたことに「名前」がついていなかった状態が、
その歌手の人によって、聞いた人にとってしっくりくる的確な言葉に置き換えられた。
つまり、「名前がつけられた」。
そのことで、人は感動するし、心から癒されるんだよね。
そして、最近はやっているノートや手帳を書いて、自分の心と向き合うということもそう。
友達に辛いことを話すと辛さが緩和されるも同じ。
どちらも、自分の中だけでごちゃごちゃしていた気持ちを、
文字にしたり、話すことで客観視する。
そして、
「今自分はこういう状況なんだ、こんな気持ちなんだ」という
名前をつけてあげられるようになると、
人は癒される、ということなんだ。
(ここで大事なのが、自分が渦中にいすぎずに、客観的にならなければ、
しっくりくる名前はつけられないということ)
この考え方、私には大ヒットでね、正直稲妻が走ったよ 笑
でね、
なぜ名前が付くと、癒されるのか。
その後、考えてたの。
このことは、また長くなるので、次回の記事で書きますね^^