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在宅勤務に抱いていた罪悪感に気づく。
今日は週に1回の交代勤務の日。
「朝起きるのつらいだろうなぁ」と思って寝た昨日。
だけど、意外にも今日の目覚めはすごく爽快だった。
何しろ、心が爽快。
なんで?
仕事に行くのに?
不思議に思いながらも、
1時間かけて、いつもの電車に乗って職場近くの駅に着く。
久しぶりの電車で、
たった1時間(といつもは思っていた)の通勤で体は思いのほかダメージを受けた。
あー、通勤って思いのほか疲れるんだなと思ったけれど
それでも、心は爽快だ。
なんでだろう?
今日っていつもと何が違うんだろう、と問い詰めていると
分かってきた。
あ、今日って罪悪感がないんだ、ということを。
在宅勤務って、もちろん仕事はあるんだけれど、
どうしても職場の仕事を全部持ち帰ることは
現状のわが社の体制では無理。
なので、いつもよりも軽い仕事をせざるをえない。
これでお給料をもらっているということにまず、罪悪感1。
次に、医療関係の方・スーパー・物流で働いている方はお休みもなく、感染のリスクもある。それなのに、自分は家で仕事をしている。
これが罪悪感2。
そして、このコロナで仕事を失ったり、閉店に追い込まれるお店も多い。
それなのに、大したこともしていない自分が首にもならずに給与をもらっている。
これが罪悪感3だった。
だから、今日は仕事に出かけて、「私もちゃんと苦労して通勤して、会社内で働いている」。だから罪悪感を持たなくていい。
これが今日の心爽快の理由だったみたい。
自分で気が付いて、
なんて勝手に思いものを背負っていたんだろうと驚く。
在宅勤務をしている自分を勝手に罰していたんだな。
本当は、せっかくの感謝すべき在宅勤務。
気持ちよく家で働きたかったのに、この罪悪感でブレーキをかけていたんだなと分かった。
本当は、そうじゃないんだよね。
自分で勝手に在宅勤務しているわけでもない。
給与も泥棒しているわけではない。
私が在宅勤務したせいで、
医療関係などの方が大変な思いをしているわけでもないんだよね。
それなのに、勝手に自分を責める、この傾向。
そうそう、今までの人生でもそうだった。
例えば、飲み会で一度同期よりも
自分が面白いと上司に褒められた時があったっけ。
すごく苦しかったな。
人が幸せになるよりも自分が幸せになるのが息苦しかった。
一方で、友達が私よりも先に結婚した時は、そうは思わなかった。
それは友達の幸せを喜ぶという面もあるけれど、
私が一番に幸せにならなくてよかった、むしろ誰にも責められないと安心していた面もあったのかと思う。
でもこれって、おかしいね。
私が望んでいるのはこんなことじゃないって思った。
今の在宅勤務に感謝して家で楽しく働きたい。
大変な思いをして働いている方には、
罪悪感を持ってこそこそ生活するのではなく深く感謝する。
それでいいはず。
だって、私の罪悪感とは何も関係がないはずだから。
そう思うと、あと2週間の緊急事態宣言の在宅勤務、
罪悪感‥ではなく、
せっかくの在宅勤務・ありがたい在宅勤務をどう過ごすかという目線で、もっと前向きに考えていきたいな。